26. 続・女傑の女子会
リンティアナの六歳の誕生日。
身内だけで行われたパーティーのあと、リンティアナは日々の修練の疲れも相まって眠ってしまった。
そして、とびきり嫌な夢を見てしまったのだ。楽しかったパーティーの記憶も消し飛ぶような、およそ考え得る限りで最悪の悪夢だった。
幼い頃からの努力が全て水の泡となり、勇者に恋をしてしまう夢だ。
夢の中のリンティアナは十八歳で、まさに原作のリンティアナと同じ年頃だった。というよりも、容姿も考え方も性格も、まるきり原作のリンティアナだった。
家族とは距離があり、どこか卑屈で、世界のために死ぬ自身の運命を心の底で呪っていた。
なかば自暴自棄になっていたところに現れた美しい勇者に一目惚れをして、彼の中に生きる意味を見出そうと必死にもがく、哀れで愚かな魔法帝。
心の中には、強く抵抗する今のリンティアナがいた。けれど体がまったく言うことを聞かず、まるで見えない檻に閉じ込められているかのようだった。どれだけ声を張り上げても、本当のリンティアナの声は誰にも届くことは無かった。
父や母、そしてアルトランテの制止を振り切って勇者に溺れ、リンティアナは原作通りに魔王討伐の旅に出た。
「ちがう! 私はアンタなんか好きじゃない……!!」
何度もそう叫ぶのに、口から出るのは勇者への賛辞と愛を乞う言葉ばかり。その粘着質な自分の声に吐き気がして、涙が溢れた。
無遠慮に肩を撫でる勇者の掌の感覚がやけに生々しくて、激しい嫌悪感に眩暈がした。
止めて、触らないでと、幾度となく叫んだ。喉が潰れ、口いっぱいに血の味が広がっても、心の檻の中でリンティアナは叫び続けた。
(どうして……こうならないために頑張ってきたのに……)
ついには声も涙も枯れ果ててしまった。崩れるようにへたり込み、膝を抱え、項垂れる。
やはり原作に抗うことなど出来ないのか。今世でもクズ男に振り回され、犬死にする惨めな最期が、愚かな自分にはお似合いなのか。
絶望に満ちたその考えは、リンティアナの弱った心を今にもポキンと折りそうだった。
「ーーーさま、リン様!」
ふと、アルトランテの声が聞こえた気がした。
項垂れていた顔を上げる。どこか切羽詰まったような、リンティアナを心から案じているような声だった。
「リン様、大丈夫です、俺がいます、大丈夫……」
優しく宥めるような声。そう言う自分だって随分と、不安そうに声が揺らいでいるのに。
そう思ったところで目が覚めた。見慣れた自室のベッドの上で、いつの間にか半身を起こし、アルトランテに強く抱きしめられていた。少し痛いくらいに。
「アル……?」
「リン様! 気が付かれましたか? ああ、良かった、随分と魘されていたんですよ」
気付けば頬には涙の跡が幾筋も伝い、額には大粒の汗が浮かんでいた。恥ずかしいことに鼻水も垂らしていたようだ。
けれどそんなことは一つも気にせず、アルトランテはただ真っすぐにリンティアナを見て、目を覚ましたことに心から安堵しているようだった。
「……怖い夢でも見ましたか?」
リンティアナの額に張り付いた髪をそっとかき分け、アルトランテは穏やかに尋ねた。
その声が、見つめる瞳があまりにも優しくて、リンティアナはまた涙が溢れ出すのを止められなかった。
しゃくりあげ、嗚咽を零し、前世のことを打ち明けた。どうしても、今、彼に聞いて欲しいと思ったのだ。
「ーーーそ、それで、もう私には……お、お前みたいな馬鹿女には、もう用はないって、突き飛ばされて……ああもう、今思い出しても腹立つ!」
泣きたいのか、怒りたいのか、そのどちらもなのか。リンティアナはクズ男に振り回された前世の記憶を洗いざらいぶちまけた。
とんでもない面食い癖であることはアルトランテも気付いていたようだが、前世の記憶があるという点については流石に驚いたようだ。
眉間に皺を寄せ、俄かには信じがたいと言いたげな顔で、アルトランテはリンティアナの話を最後まで聞いた。
(ああ、やっちゃった……。せっかく最近は少し良い関係になれたのに。頭のおかしい奴だと思われるかもな……)
家族にすら言えない秘密を打ち明け、心が軽くなると同時に重くなった。こんな荒唐無稽な話、きっと信じてはもらえない。そう思って、リンティアナは内心で項垂れていたのだが。
「……リン様、記憶のなかに入る魔法はありますか?」
「へ?」
「俺が殺してきます、そいつら全員」
アルトランテは至極真面目な顔でそう言った。
ぽかんとして二の句を告げずにいるリンティアナに、何を思ったのか更に言い募る。
「あ、大丈夫です。絶対にそんなクズどもより俺のほうが強いですから」
いや、そういうことじゃない。
リンティアナは思わず心の中で突っ込みを入れた。
「……ふふっ、アル、あなた、私の記憶の中のそいつらを殺すつもりなの?」
「はい。あなたを傷つける人間がまだあなたの中にいるのは、我慢なりません」
こくりと頷いて、大真面目に言う。
あまりに真剣な顔で言うものだから、リンティアナは盛大に噴き出してしまった。少しムッとした顔のアルトランテに慌てて詫びる。
「ごめんごめん、でも、それはちょっと難しいかな」
記憶操作の魔法は勿論ある。だが、記憶障害などの弊害を出さないためには、かなり緻密な魔法操作と、針の穴を通すような正確な魔法制御が必要になる。六歳になったばかりのリンティアナには難しかった。
更に言うなら前世の嫌な記憶は、そのまま今のリンティアナの熱意の源だ。消すとしても、それは原作の懸念点を全て片付けた後だろう。
「……ねぇ、これからは嫌な夢を見たらアルに言うわ。そうしたら、またこうして一緒に怒ってくれる?」
そう言って微笑んだ拍子に、瞳の端に溜まっていた涙がぽろりと零れ落ちた。それをアルトランテが指で受け止め、そっと拭う。
「はい。何度でも」
アルトランテも静かに笑った。
窓から漏れ入る月明かりだけに照らされた薄闇の中で、ただ真っすぐに、慈愛だけを滲ませた瞳でこちらを見つめるアルトランテ。その姿は、何だかとても大人びて見えた。
リンティアナが再び眠りにつくまで、二人は他愛のない話をした。その間ずっと、アルトランテはリンティアナの手を労わるように握っていた。
そして、この大号泣事件の後、リンティアナはとんでもない高熱を出して数日間寝込んだ。連日の疲労に加え、前世を打ち明けた安堵感も影響したのだろう。
そうして次に目が覚めた時に、何故か満身創痍で枕元に座っていたアルトランテから、一粒のブラックオパールを手渡された。
優しいグレイッシュブルーの地色に、ちらちらと浮かぶネオンブルーやグリーンの遊色。アルトランテの瞳によく似たその魔法石は、夢のように美しかった。
「ブラックオパールの魔法効果って……魔力制御だっけ?」
「いいえ、治癒です。いずれ必ず制御は出来るようになるでしょうから」
まだ熱があるリンティアナの手にブラックオパールを載せ、アルトランテは自身の傷だらけの手でそっと包んだ。
当時十一歳のアルトランテが倒せるくらいの魔物の魔宝石なのだから、正直に言えば効果は微弱だ。だがそれでも、リンティアナは嬉しくて、とても嬉しくて、喜びの涙をこらえきれなかった。
大丈夫、あなたは間違っていない。
そう言われているような気がしたのだ。
前世の記憶があるとはいえ、当時のリンティアナはまだ六歳の子供。本当はずっと不安だった。
「これでいいのか、本当に生き残れるだろうか」と自問自答する日々。考えれば考えるほど胸が軋むように苦しくて、何かに押し潰されそうな夜もたくさんあった。
アルトランテの傷だらけの手に、そっと背中を押されたような気がした。
嬉しさのあまりベッドを飛び出して、そのままの勢いでブラックオパールを自身の魔法の杖にはめ込んだ。出来上がった杖を抱きしめて眠ったことを今でもよく覚えている。
(……アルが、そう言う意味で私を好きになってくれたらって思ったことは、まぁ、正直あるけど。あんな情けない姿まで見せてるしなぁ……)
リンティアナにとっては黒歴史とも言える大号泣事件のことを思い出し、胸中で小さく溜息を吐く。
正直に言えば、アルトランテの顔は勿論、性格も、少し失礼が過ぎる態度も、何もかもが好みど真ん中だ。
恋愛脳を捨てきれていないリンティアナの心の中の小人など、うっかりするとアルトランテの一挙一動に見悶えてしまうくらいだ。でも。
特に情緒不安定だった幼少期を丸ごと、家族よりもずっと近くで見せてきた。号泣したり、八つ当たりしたり、ときには理不尽な無理難題も言ってきた。
唯一の専属従者として、アルトランテの能力の底上げのために相当な苦痛を伴う魔力の交換もさせたし、挙句の果てには死んでもおかしくない魔王討伐にまで連れて行ってボロボロにした。
主従だから許してくれているだけ。どう考えても恋愛対象にはなり得ない。
(なのにさ!? なんか時々ドキッとすること言うし! 本当やめて欲しい、期待すると後が辛くなるんだから!)
振られるだけならまだ良い。万が一にでも従者を辞めたいと言い出されたり、距離を取られたりしたら。
朝起きて、いるはずのアルトランテがいないことを想像しただけで絶望感がすごい。おはようの挨拶に「お早くないです、もう昼ですよ」と溜息交じりに返す声も無くなるのかと思うと、彼とどうにかなる期待など、怖くてとても出来そうにない。
(やっぱ無理……って、あ)
ハッと気付けば、四方から降り注ぐ生暖かい視線。
何をわかったというのか、母たちも姉たちも、うんうんと頷きながら笑顔でリンティアナを見つめている。
「我が娘ながらじれったいわね。でも正直、こういうの大好きよ」
「そうね、私も大好きだわ」
「私もです」
「もちろん私もぉ~」
にっこりと愛好を深める母や姉。
「……リンティアナ。私たちは皇族で、民の税で生きる以上、望む通りには生きられない場合もある」
母リーリアが真剣な眼差しで言う。その隣で、だけど、とヴェロニカがその言葉を継いだ。
「私たちの末娘であり、魔王の脅威から世界を救ってくれたあなたには、出来るだけのことをしてあげたいと皆が思っているわ」
しっかりとリンティアナを見つめ、深い慈愛を湛えた声で、一言ずつ言い含めるように告げる。
「そうね。リンの好きになさい」
「私たちみんな、リンちゃんの味方よぉ」
母たちに続き、姉たちも穏やかに笑う。何だか気恥ずかしくて、リンティアナは曖昧な笑顔を返した。
胸のあたりがくすぐったい。リンティアナの幸せを願う彼女たちの気持ちが、暖かな羽毛のようにふわふわと心の内側をくすぐっている。
「それとね」
母リーリアが一際はっきりとした声でそう言って、何故か席を立つ。そして光の速さでリンティアナの傍らに立ち、その肩をがっしりと掴んで言った。
「万が一、アルに無体なことをされたら母に言いなさいね。まだあの子に負ける気はしないわよ」
「えっ、何、急に……」
「ええ、ええ。私も加勢しましょう。治癒魔法も意外と拷問に使えますのよ」
いつの間にか母リーリアの反対側に立つヴェロニカも、不穏かつ物騒なことを言う。
(いや、なんでアルが私に無体を働くことが前提になってんの……?)
ゴゴゴ……と大気を揺らしている気がするほど圧の強い母たちに、リンティアナは小さく「は、はぁい」と返すのが精いっぱいだった。




