23. 落着、ザルツイェーレンの変
第一王子と視線を合わせ、リンティアナは聞き分けのない子供を見るような、呆れた顔をして見せた。
「侮辱ですって? 客観的な事実をお話しただけよ。それに、あなたはまだ王太子ではないわ。むしろこんな騒ぎを起こしたのだから、もう立太子などできないでしょう」
実際には既に廃嫡が内定しているため、王子でいられるかどうかも怪しいところだ。
「……っ」
はく、と息を呑み、第一王子は綺麗な顔をこれでもかと歪めた。
こんなはずではなかった。どうしてこんなことに。なんで自分がこんな目に。そう言いたげに美しい金色の瞳が揺れ、震える唇が苦し紛れの一言を放った。
「お、お前に何がわかる!」
最早、立場を気にする余裕もないのだろう。リンティアナをお前呼ばわりして許される存在など極めて少ない。
ザルツ王が慌てたように立ち上がり「皇女殿下に対して何という口を……!」と怒鳴るが、第一王子はそれを遮るように叫んだ。
「うるさい、うるさい! 父上も母上もトリシャも、本当は私を不出来だと思っているんだろう!」
何かの糸が切れてしまったかのように、大声で叫ぶ。
「ろくなスキルも持たず生まれ、何をやっても弟のほうが出来が良いと言われ続けた私の孤独と苦しみが、お前らにわかるものか! 私を真実愛してくれたのはリラだけだ!」
騎士たちに抑えられながら、尚も叫ぶ。頬には涙が伝い、絹糸のような金髪が幾筋も張り付いている。
リンティアナは立ち上がって溜息を吐き、憐れみを込めた目で第一王子を見下ろした。
「見苦しいわね」
怒りを通り越して憐憫すら感じさせるその声に、場の空気が一層張り詰めていく。
鮮やかな七色の光彩が揺れるリンティアナの瞳の奥で、低く重たい雷鳴が轟くかのようだった。
「民の血税で生きながら、甘えたことを言わないで。才もなく、努力することからも逃げたのなら、せめて大人しくしておきなさいな。あなたの御父上のようにね」
鋭く光る虹色の瞳が、容赦なく第一王子を射抜く。
流れ弾を食らった王は青白い顔をしているが、不甲斐ない王であることは自身が誰よりもよくわかっているのだろう。静かに頷いたようにも見えた。
「知も武もないのであれば、それ以外の武器を磨くべきだった。あなたには王妃譲りの美貌がある。第一王子というこれ以上ない身分も」
「わ、私だって努力した! 王族に生まれた者として正しくあらねばと……でも私には弟のような才が無い。いくら努力してもそれを見せつけられるだけだった!」
金の髪を振り乱し、腹の底から絞り出すような悲痛な声で叫ぶ。恐らくはこれが、第一王子の偽らざる本心なのだろう。
なりふり構わないその姿に、第一王子に対する同情めいた沈黙が会場内に生まれる。だが、リンティアナの声色は変わらず冷ややかだ。
「あなたに能力がなくとも、能あるものを取り立て味方に育てることは出来たはず。あなたが戦うべき分野はそこだった」
「……っ」
「この国には優秀な第二妃と第二王子がいる。選べる道は他にもあったはずよ。二人を頼らなかったのは何故かしら?」
問いながら、リンティアナは距離を詰めた。コツ、と床を打つ音が一際大きく響く。
「王太子の地位は手放したくなかったのよね?」
心の内を見透かすような七色の瞳に射られ、第一王子は呼吸の仕方を忘れたかのように、ヒュッと小さく喉を鳴らした。
「己の弱さと向き合う責務を放棄し、助力を乞うことすらせず、次期王太子の座に居座り続けたこと。そしてあなたを諫めようとする臣民を無実の罪で貶めたこと。それは王族として、無能であることよりも許されない大罪よ」
静かな怒りを宿した声に誰もが聞き入り、無意識のうちに背を正す。寄り添って立つトリシャとマクシミリアンも、真剣な顔でリンティアナの言葉に聞き入った。
「世の中は決して公平ではないわ。だからこそ力ある者は、その力を正しく使わなければならないの」
皇族、王族、そして貴族として普遍の、そして必須の心構えだ。第一王子だけではなく、この場にいる全員に向けた言葉でもある。耳に痛い者もいるだろう。
「あ……」
第一王子は青褪め、その場にがっくりと膝をついた。支えようとする騎士たちの手を振り払い、苦し気に両手で床を叩く。
「わ、私とて……望んで王族に生まれたわけでは、ない……っ」
涙混じりの弱々しい声が響く。今しがた居丈高に怒鳴っていた人間とは思えないほど、その背は弱く、小さく見えた。
「……そうね。その点ではあなたに同情するわ。私たちは皆、生まれる場所を選べないもの」
静かに溜息を吐き、リンティアナは壇上の王妃へと視線を流した。
「子は親を選べない。でも、親だって子を選べないのよ」
立ち尽くし、胸の前で震える拳を握る王妃は、あらゆる感情を必死に抑えているように見えた。その悲痛な表情に今更ながらに気付いたのだろう、第一王子はハッと息を呑んだ。
「あ……あぁ……」
苦し気に歪められた金色の双眸から、押し出されるように溢れる涙。
優秀な弟や、それを持て囃す周囲をどれだけ憎んでも、母への情は捨てきれない。第一王子の表情には、それが如実に表れていた。
ようやく本当の意味で過ちに気付いたように、第一王子は項垂れ、その場に崩れ落ちた。
「リヒト……!」
今にも泣きそうな声で息子を呼び、第一王子のもとに走り寄る王妃。そして。
パァン!!
実に軽快な音とともに、王妃の平手打ちが炸裂した。
(えっ、ビンタ!?)
流石のリンティアナも驚きを隠せず、目を丸くする。
「は、母上……?」
シンと静まり返った会場に、どこか間の抜けた第一王子の声が小さく響く。周囲も、頬を張られた当人さえも、何が起こったのかをまだ理解できていないようだ。
公の場でのこうした騒動自体もそうだが、衆目の前で王妃が王子を平手打ちするなど異例中の異例。前代未聞もいいところだ。
(やるじゃん、王妃! まぁ、身内が殴らなきゃ誰が殴ってやるんだよって話だしね)
リンティアナは決して体罰推奨派ではない。体罰で解決できることなどそう多くはないからだ。だが、ときには言葉だけでは不十分な場合もあるし、痛みを伴うことで深まる反省というものもある。
失態を犯した息子に対して、虫も殺したことが無いような細腕を躊躇なく振るった王妃に、素直に尊敬の念を抱いた。きっとこれは実母である彼女にしか出来ないことだ。
「リヒト。あなたを正しく導けなかったことは、私たち親の罪です。ともに償う道を探しましょう」
「母上……」
透明感のある灰色の瞳を潤ませて、王妃は第一王子の手を包むようにしっかりと握った。第一王子も弱々しくその手を握り返す。
「あなたを立派な王にせねばと気負い、また私も王妃らしくあらねばと気ばかり焦って……大事なことを見落としていたようです」
白い王妃の頬を、大粒の涙が滑り落ちる。磨き上げた美貌がこれ以上なく絵になり、あまりの美しさに周囲から思わず感嘆のため息が漏れた。
まるで高名な画家が描いた宗教画を見ているかのようだ。だが、そんな空気をものともせずに、王妃はキッと顔を上げ高らかに宣言をした。
「今日からは、私流であなたを教育しなおします!」
言うが早いか、ブンブンと平手打ちの素振りを始める王妃。つまり彼女の意味する教育とは。
「お、王妃! 体罰はなりません、王妃!」
我に返った重鎮たちが慌てて止めに入るが、王妃の決意は固いようだ。
「止めないで! 私は悪いことをしたら体罰ありきの家風で育ったのです!」
「は、はよう御止めせぬか!」
「あああ、意外と力が強い!」
王妃は思った以上に膂力があるのか、重臣の老爺たちでは歯が立たない。騎士たちは原則として貴人に触れることを許されていないため、両手を彷徨わせながらオロオロしている。
見かねた王が玉座を立ち、王妃を後ろから羽交い絞めにしてようやく収まった。
「リヒト、これだけは忘れないでちょうだい。あなたが過ちを犯しても、道を違えても、そして私がどれだけ情けない親だとしても。それでも私はあなたの母です! 生涯あなたを見捨てることはありません!!」
美しく結い上げた髪が乱れるのも気にせず、王妃は声を張り上げてそう言った。
お世辞にも王族として相応しい言動とは言えないが、それでもその姿はその場にいる者の胸を打った。強く、美しく、覚悟に満ちた母としての姿だった。
「母上……うっ……」
第一王子は背を丸め、またぼろぼろと涙を零した。その涙に載る感情は、きっと先ほどまでの怒りや恨みとは違うはずだ。
ほっこり家族愛の大団円を迎えたかと思いきや、またも王妃がその空気を霧散させる。
「そして、お嬢さん!」
ギュンと勢いよく首を回して、王妃はリラへと向き直った。つられた王が後ろでよろめく。
急に矛先を向けられたリラは、ずっと憧れてきた『美しくたおやかな愛され王妃』とは若干異なる様子の本人を前にして、ご自慢の愛嬌も忘れて狼狽えている。
「えっ、あっ、ハイ……」
「私に憧れているのですってね。ではその私が直々に指導いたしましょう」
「えっ」
「大丈夫、私も覚えがあるの。一年もすればきっと見違えるようになるわ!」
絶対に容赦はしないから覚悟なさい。そう言外に滲ませて、王妃はにっこりと微笑んだ。有無を言わせぬ圧に気圧され、リラは震えながら「ひゃい……」と嚙み気味の返事をした。
王は何故か目を輝かせて王妃を見ている。第二妃スマラクトは壇上で面白そうに笑っている。リンティアナも、一応扇子で隠してはいるが肩が大きく震えているので爆笑しているのが丸わかりだ。
眼前に広がる異様な光景に、アルトランテは静かに悟った。この虫も殺せぬような顔をした王妃もまた、リンティアナとは種類の違うゴリラなのだと。流石は何の後ろ盾も持たないところから王妃に成り上がった女傑だ。
アルトランテは納得したように一人うんうんと頷いて、まだ淑女らしくなく肩を揺らしているリンティアナに向け、小さく咳払いをした。




