22. 物語と現実
「わ、私は、ずっと王様と王妃様の物語に憧れていたんです。お二人のようになりたいって、私が殿下に言ったから……っ!」
第一王子の腕に縋りつき、大粒の涙を流して見せるリラ。第一王子は途端に愛しいものを見る顔つきになった。
その瞬間、リンティアナの眉が僅かに揺れたことをアルトランテは見逃さなかった。
大いに不快。隠しきれないその感情が滲むような仕草に、アルトランテも心の底から同意した。
ザルツイェーレンの現国王と王妃の恋物語。『真実の愛』と題されたそれは、ザルツ国内の少女たちが一度は憧れ、夢見るお話だ。
それ以前に発行されたエリュシオンの現皇帝と皇妃の物語を真似て作られたものだが、身分差を超えて結ばれたという点以外は、全くと言って良いほど別物だ。
エリュシオンの皇妃、リンティアナの実母リーリアも、元は子爵家の令嬢だった。
妃となるには身分が足りず、それでも圧倒的な実力があったことが幸いして、皇妃として立つことに異を唱える者は少なかった。
最後の一押しのために国民向けに発行した皇帝と皇妃の物語は、決して単なる恋愛話などではなく、身分に関わらず能力のある者を登用するという国の意思を示すものだった。
だが、それを真似るように発行されたザルツの恋物語は、虚実を織り交ぜ『真実の愛は身分差に勝つ』というだけの、まるで子供向けのお伽話のような内容だった。
王妃となるべくエリュシオンから嫁いだスマラクトが引き立て役の悪女のように描かれ、その結果エリュシオン皇帝は激怒し、今日の冷戦状態を招いた。虚飾で国民の理解を得た代わりに、大国を敵に回したのだ。悪手だったと言わざるを得ないだろう。
しかし事実としてザルツ王妃レニャは誠実な人間でもあった。だからこそスマラクトの協力を得られたのだ。
ザルツがすべきだったのは虚飾の恋物語を広めることではなく、王妃の研鑽と人柄を称え、第二王妃スマラクトの懐の深さに感謝を示すことだった。
それが出来ていたなら、少なくとも同じような恋物語を実現させようと目論む愚かな輩は現れなかっただろう。
「わ、私はただ、王妃様のようになりたくて……っ」
リラは相変わらずしくしくと泣き続けている。
第一王子くらい粗忽者であれば絆されたかもしれないが、既に会場のほぼ全員が彼女たちに敵意を向けている状態だ。マクシミリアンやトリシャに至っては、もう呆れ果てたような視線を注いでいる。
「王妃様のようにと仰る割には、学院時代からマナーも学業も疎かになさってきたではありませんか」
容赦なく斬るトリシャ。
「で、でも、だって……優秀な第二妃がいれば大丈夫だって、殿下が……!」
第一王子に矛先を向け、またもワァッと幼子のように泣き出すリラ。自己愛に満ちたその泣き声に、リンティアナの眉間が大きく歪んだ。もう隠す気もないようだ。
アルトランテは一歩下がり、促すようにそっと道を開けた。
「そ、それに! トリシャ様は殿下のこと好きじゃないんでしょ? だったら私でもいいじゃないですか、だって私の方が殿下のこと好きなんですから! そのほうが絶対に良いって、皆言ってるもの……!」
意味も筋も通らないことを、リラが耳障りな金切り声で叫ぶ。その直後だった。
「いい加減になさい」
リンティアナの冷ややかな声が響いた。
それと同時に会場中がシンと静まり返る。あれだけ泣きじゃくっていたリラさえも、本能的な恐怖に身を竦めるかのように押し黙っている。
アルトランテの手を取り、リンティアナはゆっくりと階段を降りた。静かに床を打つ靴音だけが会場内に響く。
「全く……聞くに堪えないわ」
はぁ、と大げさに溜息を吐き、リンティアナは会場を見回した。
「この国は、かつて過ちを犯しました」
声を張り上げているわけでもないのに驚くほどよく通る。誰もが一言も聞き漏らすまいと耳を傾けているせいもあるだろう。
「現ザルツ王は愛した女性を正妃とした。真実正妃に相応しいものを側妃として」
凛とした声は威厳に満ち、その奥底には静かな、けれど確かな怒りを宿している。忘れたわけではあるまいと言外に滲ませ、リンティアナはちらりと視線を壇上へ投げた。
王や宰相、重鎮たちは皆思うところがあるのだろう。青くなって視線を下げるばかりだ。だが、王妃レニャは神妙な顔をしながらも俯くことはなかった。第二妃スマラクトも同様だ。
(ええ、そうでなくては)
僅かな満足を感じながら、リンティアナは第一王子とリラに向き直った。
「……レニャ王妃は血の滲むような努力をされてきた。だからこそ我が叔母、スマラクト第二妃の協力を得られたのよ」
今日のザルツイェーレン王室があるのは、王妃と第二妃の並々ならぬ努力があってこそだ。
元子爵令嬢のレニャには、王の寵愛という極めて扱いの難しい手札しかなかった。王妃として必要な知識や経験も、後ろ盾も、味方すらも足りない。その状況ではいくら本人にやる気があろうとも、王妃として真っ当な公務など出来るわけがない。
早晩離縁するか、あるいは王がその座を辞して臣下に下るか。そのどちらかになるだろうと、エリュシオン皇帝をはじめ周辺諸国は呆れかえっていた。ところが、だ。
正妃として迎えられたはずが側妃に追いやられ、激高してもおかしくない立場のスマラクトが、レニャの後見として自ら名乗りを上げたのだ。
妃の公務を一手に担う傍らで、スマラクトはレニャに必要な教育を施し、知識と教養を与え、王妃として立つ実力と自信を身に着けさせた。
厳しいことで有名なスマラクトのスパルタ教育は苛烈を極めたが、レニャは必死に食らいつき、一度も弱音を吐かなかった。
その健気な奮闘ぶりはエリュシオンまで聞こえてくるほどで、開戦も待ったなしとまでに怒り狂っていた父皇帝でさえも、結局は認めざるを得なかった。
(本当、恐れ入るわ。あのお父様を納得させたんだもの)
壇上に並んで座る王妃と第二妃の姿を見て、リンティアナは純粋に尊敬の念を抱いた。
二人は今も、前代未聞の不祥事の最中でも俯くことなく背を正し、王族としての務めを果たそうとしている。青い顔で項垂れている王よりも余程玉座に相応しい。
(案外、あの二人の間には王よりも固い絆があるのかもしれないわね)
内心で小さく微笑んで、リンティアナは固まったままのリラへと向き直った。
「リラ嬢。あなたが王妃殿下に憧れたのは事実なのでしょう。けれど王妃殿下のような努力をしてこなかったことも事実」
一歩、また一歩と距離を詰める。広々としたホールは静まり返り、リンティアナの靴音だけが冷たく響いた。
すっかり青い顔をしているリラの目の前に立ち、理解を促すように視線を合わせる。
「何より、あなたには第二妃のような味方がいない」
スマラクトは決して心優しいだけの女ではない。
国のためにならないことは容赦なく切り捨てる冷酷さも持ち合わせている。その彼女が認めたということは、それだけの努力と成果が王妃の背に見えていたということだ。
(……自分がお姫様になることしか考えていないこの娘には、逆立ちしたって無理でしょうね)
一度目を瞑り、小さく息を吐き、第一王子とリラをしっかりと見据える。
「為すべきを為さず、得るべき信頼も得られなかった。その結果が今この状況よ」
リンティアナの言葉に同調するように、周囲の貴族たちも冷ややかな視線を二人に送る。ようやくそのことに気付いたのか、リラは辺りを見回しながら狼狽えた。
「あ……、え、だって、だって……っ」
この期に及んでまだ『だって』などと言えるのも、ある意味凄い。現状に納得していないと言っているようなものだ。
同じく納得していないのだろう、第一王子が業を煮やしたようにリンティアナに歩み寄り、食って掛かる。
「わ、私はこの国の王太子だぞ! 私たちを侮辱するなど、いくら大国の皇女とはいえ許されることでは……ぐぁっ!!」
言い終わる前に、アルトランテが第一王子を拘束した。すぐそばでリラが悲鳴を上げてもお構いなしだ。
常のごとく無表情ではあるが、アルトランテの青緑色の目にちらちらと混じる虹色の光彩が、彼の抑えきれない感情の揺らぎを表している。
アルトランテは第一王子の両腕を容赦なく背後で押さえ、膝裏を蹴ってその場に跪かせた。周囲からは賛否の混じったどよめきが起こり、王宮警備の騎士や魔法師たちも戸惑っているようだ。
「ありがとう、アル」
穏やかな笑顔で礼を言い、リンティアナはゆっくりと第一王子の目の前にしゃがみ込んだ。




