18. 事変前夜
それは少し時を遡り、ザルツへ到着した翌日のことだった。
第二王子マクシミリアンと約束した茶席が、思っていたよりも随分と早く実現した。マクシミリアンが出来るだけ早くと希望したからだ。やるべきことはさっさとやる性分のリンティアナは、早速その日の晩餐後に場を設けた。
初めての茶会の席が夜というのは、かなり異例だ。通常は昼の茶席などで短時間の逢瀬を繰り返し、ある程度の親密さと信頼を得られてから晩餐をともにする。夕食後の時間まで共有するのは更に先だ。
だが相手はリンティアナの信頼する叔母スマラクトの実子。そして先方からも是非にと請われている。
リンティアナとしても有力な婿候補として早めに距離を縮めたい相手であるため、断る理由は特になかった。アルトランテには散々「夜の茶会だなんて早すぎます」とか「気を許しすぎです」と苦言を呈されたけれど。
従者の気持ちも知らず、リンティアナは(もし今夜で一気に話が進んでしまったらどうしよう……)などと、ちょっと自信過剰な心配をしていたのだが。
そんなものはあっさりと杞憂に終わった。マクシミリアンが女性を伴って現れたからだ。
こうした場に、事前に参加の承諾を得ていない人物を伴うのは大いに礼を失した行為だ。だが、訪れた二人の表情からは『無礼を重々承知の上で同席させて欲しい』という強い意志が感じ取れた。
処罰されることも厭わない彼らの姿勢に、リンティアナは純粋に興味が湧いた。
マクシミリアンが伴ったのは、トリシャ・エル・ウィルマ・ザフィーア公爵令嬢だった。
父は筆頭公爵であり宰相、母は王家の遠戚という由緒正しい家柄で、第一王子リヒトシュテルンの婚約者でもある。
腰まである薄青の真っすぐな髪に、深い青の瞳を持つ十六歳。透明感のある白い肌も相まって、何とも涼し気な美しさを湛える美少女だ。ともすれば冷たい印象になりがちな色味だが、やや垂れ目気味の瞳が愛らしさを足している。
次期王太子妃に内定している令嬢が、第二王子と連れ立って会いに来るとは流石のリンティアナも予想していなかった。
向かいのソファに二人並んで座る姿は、何だかとても絵になる。
リンティアナは内心で(ん?)と微妙な違和感を覚えたが、その疑問を深堀りする前に、トリシャが意を決したように口を開いた。
「単刀直入に申し上げます。明日の式典で、第一王子殿下は私との婚約を破棄されるおつもりです」
(んぇ!?)
辛うじて我慢したが、リンティアナは口に含んでいた紅茶を危うく吹き出しそうになった。
前世で読み漁ったラノベならいざ知らず、現実では一国の王太子の婚約破棄など、そう簡単にできるものではない。だがトリシャも、その隣に座るマクシミリアンも苦々し気な顔をしている。どうやら冗談の類ではないらしい。
リンティアナは慎重な手付きでカップを置き、平静を装いながら聞いた。
「それは、第一王子殿下がご執心だというご令嬢が関係しているのかしら?」
「……っ」
トリシャとマクシミリアンが同時に息を呑む。
「もう貴国にまで知れ渡っているのですね……。お恥ずかしい限りです」
マクシミリアンが呟き、二人揃って申し訳なさそうに深々と頭を下げる。
(いや、ごめん、調べさせたからなんだよね。うちの密偵たち世界一優秀だから……)
口にするわけにはいかないが、内心で謝罪しておく。
両膝の上で悔し気に拳を握り、マクシミリアンが絞り出すような声で言った。
「仰る通り、兄は件の男爵令嬢……リラ・キーゼルを王太子妃に据えるため、何の非もないトリシャ嬢を排斥しようとしているのです」
マクシミリアンとトリシャは、第一王子の度を越した振る舞いについて話した。
長年側にいる実弟と婚約者の目を通して語られた実態は、リンティアナが把握していたよりも遥かに醜悪だった。
***
第一王子リヒトシュテルンは、ザルツ国王ヴァルデマーと王妃レニャとの間に生まれた第一子だ。
年は十九歳。王妃譲りの豪奢な金髪と美貌、そして王と同じ金色の瞳が美しいとびきりの美青年なのだが、幼い頃からその言動でたびたび揉め事を起こしてきた。
待望された王の初めての子で、周囲から大層甘やかされて育った。
そのせいもあってか怠惰な性分で、学業も武術も疎かにし、後継者には必須の帝王学も学ぶ気がない。そのくせ王位継承者という肩書きで気に入らない者には理不尽な処罰を下す。絵に描いたようなワガママ王子だった。
長じてからは出来の良い弟や婚約者のことを目の敵にして、公の場で散々彼らを貶めるような言動を繰り返してきた。王や王妃に咎められても、反省する素振りもなかった。
そして、マクシミリアンやトリシャとともに在籍している貴族学校に、とある男爵令嬢が入学してきてからは輪をかけて酷くなった。
リラ・キーゼル男爵令嬢。
子宝に恵まれなかったキーゼル男爵家に、西の大国フォブリオールの遠戚からはるばる養子に迎えられたという少女。
その明るく快活な令嬢らしからぬ魅力に、第一王子はあっという間に堕ちた。
喜怒哀楽を顔に出し、大きな口を開けて屈託なく笑う彼女の姿は、高位貴族の令嬢たちとは違って新鮮だったのだろう。すぐに校内のあちこちで親密そうに談笑する第一王子と男爵令嬢の姿が目撃されるようになった。
王家によって週に一回行うよう決められているトリシャとの茶会を、第一王子は幾度となくすっぽかして男爵令嬢との逢瀬を楽しむようになった。
その度にトリシャは、どうせ来ない第一王子のために茶会の準備を整え、何時間も独りぽつんと待つ羽目になった。
王宮の使用人たちは皆トリシャに同情的だったが、聞こえよがしに『トリシャ嬢に愛想が無いせいだ』などと陰口を叩く貴族もいた。その様子をみかねたマクシミリアンが、都合がつくときには兄の代理として出席をするようになった。
何度も茶会をともにするたびに、マクシミリアンとトリシャは会話を重ね、第一王子に関する情報を共有してきた。二人ともに『このままではいけない』という強い思いがあったのだ。
そうしている間にも第一王子の行いは更に酷くなり、ついには男爵令嬢との仲を隠そうともしなくなった。
「流石に……」と諫めた側近たちはことごとく処罰され、第一王子の周囲には彼を全肯定するしか能のない太鼓持ちしかいなくなった。
夜会があるたびに第一王子は男爵令嬢にドレスや宝飾品を贈り、当然のようにエスコートをした。体裁を保つためかトリシャにも贈り物はあったが、そのどれもが明らかに男爵令嬢に贈った品よりも格の劣るものばかりだった。
それだけでも公爵家は憤慨したが、第一王子はあろうことか男爵令嬢への贈り物の費用も公爵家に支払うよう命じたのだ。曰く、トリシャが男爵令嬢に嫌がらせをした慰謝料代わりとのことだった。
学生の時分の交友関係は大目に見ようと我慢に我慢を重ねてきたトリシャだったが、謂れのない罪を着せられ、あまつさえ多額の支払いを肩代わりするよう命じられるのは流石に許せなかった。
トリシャは父公爵、そして両陛下へ、事の次第を全て告げた。その場には第二王妃スマラクトとマクシミリアンも同席した。
話し合いが重ねられ、第一王子の処遇が秘密裏に決まった。それは、第一王子が今後も立場や責務を思い出すことなく不誠実な行いを重ねるのなら、立太子の中止とともに廃嫡も辞さないという極めて重いものだった。




