15. 期待
ザルツイェーレン王国は、大陸最大のエリュシオン帝国と次点のフォブリオール王国に次いで、三番目に大きな国土を有している。併せて三大国とも呼ばれているが、国力には圧倒的な差があり、特にエリュシオンとは比べるべくもない。
国境が接していることもあって国同士の付き合いは長いのだが、現在のエリュシオンとザルツイェーレンは微妙な関係だ。
現ザルツ王がまだ王太子だった頃、エリュシオンの現皇帝アレクサンドリートの妹である第二皇女スマラクトが、未来のザルツ王妃となるべく輿入れした。
しかしその後ザルツ王太子は自国の子爵令嬢と恋に落ち、周囲の猛烈な反対をよそに彼女を王妃に据えると宣言。既に王太子妃として立派に公務をこなしていたスマラクトは、何の瑕疵も無いのに側妃という立場に追いやられた。
当然ながら怒り狂った皇帝は、子爵令嬢の王妃戴冠を押し進めるのなら国交断絶、侵略ののち属国とすることも厭わないと声明を出した。それが実行される寸前でことを収めたのは、お飾りの王太子妃と貶められたスマラクト当人だった。
自分は第二王妃として国政に携われればそれでいいと言い切り、スマラクトはザルツ王太子と子爵令嬢の婚姻を後押ししたのだ。
それには子爵令嬢の真っすぐで献身的な性根や健気な奮闘、王太子の人間的な弱さ、更にはスマラクトの『本当は結婚なんかしないで仕事がしたいバリバリのキャリアウーマン気質』が複雑に関係していた。
簡単に言えば、スマラクトは子爵令嬢のことを甚く気に入ったのだ。
心が弱く、王族としての重圧に耐えるだけで精いっぱいの王太子にも、思うことはあれど同情した。
王太子に対して愛はないが情はある。ならば愛は別の者が与えてくれる方が都合が良い。その代わり自分は存分に仕事をして国を盛り立てよう。
そう心に決めたスマラクトの行動は早く、見事の一言に尽きた。ザルツからの『正式な使者』として、自らエリュシオンへ出向いたのだ。
第二王妃として立つことに否やはないこと。そして、この一件はエリュシオンが世界に器の大きさを見せ、またザルツ側に多大な恩を売ることにもなり、損は一つもないことを兄皇帝に毅然と訴えた。
それはある意味ではとても皇族らしい合理的な考え方だった。
意志の強さは姉兄よりも筋金入りのスマラクトは、兄がどれだけ声を荒げようとも動じなかった。
『私はここに議論をしに来たのではない。報告をしに来たのだ』と言わんばかりのその泰然とした姿に、最後は皇帝が折れるほかなかった。
このことは瞬く間に両国の間に広まり、当時のスマラクトは次期第二王妃という肩書きながら、既に実質的な王妃であると誰もが認める存在となった。
正式に代替わりをした現在でも、元子爵令嬢のザルツ王妃と第二王妃スマラクトの関係はすこぶる良好だ。しかし皇帝は未だにザルツ王を「隙あらば殺す」と公言するほど嫌っているため、その想いを理解するエリュシオンの貴族や国民からも、ザルツに対する風当たりは厳しい。
緊張感ある関係性とはいえ、様々な経済的交流もある。和睦は無理でも、このあたりでもう少し仲良くしておきたいとリンティアナは思っている。だが、このところザルツに関しては何かと不穏な噂を耳にする。
外交に携わっている四番目の兄ライモンドから聞いた話では、王太子になる予定のザルツ第一王子が下級貴族の娘に入れ込んで婚約者の公爵令嬢を蔑ろにしているだとか、それを諫めようとした臣下を不当に罰しただとか、まるでどこのラノベだと言いたくなるようなことが起きているようなのだ。『お使い』をお願いしたナディアからの情報とも一致している。
(うーん…。前世でよく読んだ『王子の婚約者が悪役令嬢扱いされて婚約破棄されるけど、実はそっちが主人公でした』系かしら。だとしたらちょっと楽しみだわ)
通された王城賓客室のソファに沈み込みながら、リンティアナは何だかわくわくした。
王太子を篭絡した下位貴族の娘とやらの手腕が大いに気になる。母皇妃のような見事な立ち振る舞いが出来るのか、またはザルツ王妃のように強力な援護者がいるのか。
この世界の現実は決して物語のように甘くはない。果たしてそのご令嬢には、一体何が出来るのだろう。
「……また悪い顔して」
紅茶を淹れながら、アルトランテが呆れたように言う。
「調査報告によれば、件の令嬢は一般的な淑女のマナーすら覚束ないそうじゃないですか。そんな小娘に皇妃様方と同じ芸当が出来るとは到底思えません。面倒なことになりそうですね」
そう言って、本当に心の底から面倒くさそうに溜息を吐く。
基本的にアルトランテは、リンティアナに関連しないことは全て面倒くさいと思って生きているのだが、そのなかでも『関係が無いにも関わらずリンティアナに害を及ぼしそうなこと』が一等嫌いだ。
今回もその匂いを嗅ぎ取ったのだろう。眉間の皺がいつも以上に深いし、主人の前で不機嫌オーラを隠そうともしない。
そんな従者の心の内を知る由もなく、リンティアナは暢気にお使いの報告をニヨニヨしながら読み返している。アルトランテの眉間の皺が一段と深くなった。
「一応言っときますけど、ここに来た目的を忘れないでくださいね」
「わかってるわよ、婚活ね。目当てはポンコツ第一王子じゃなくて第二王子だから大丈夫よ!」
「いや、式典で祝辞を述べるのが訪国の目的ですから」
「ハッ」
「ハッじゃないんですよ。やっぱり忘れてましたね」
「いやまさか、そんなことあるわけないじゃない。いやだわ、アルったら。ほほほ」
「俺に淑女の仮面は効きませんよ。アホのことは放っておいて、さっさと祝辞の文言をおさらいしてください」
アホとは、もしかしなくてもザルツ第一王子とその恋人のことだろう。
リンティアナは渋々報告書をアルトランテに手渡した。それでいいんです、と言いたげにフッと鼻で笑う様子は本当に憎たらしい。だが、こんな風に素を隠さず接することが出来る存在など、この男のほかには現れないのだろうとも思った。




