13. 湯上り、二人の時間
「アル、お願いできる?」
「勿論です」
濡れて艶やかさと重量を増した豊かな黒に、アルトランテはまるで宝物を扱うかのように優しい手付きで触れる。リンティアナにも、そして完璧に準備を整えて待っているアルトランテにも、この役目を他の誰かに任せるという選択肢はない。
ゆったりと深くソファに沈み、リンティアナは全てをアルトランテに任せた。慣れた仕草でソファの後ろに回り、アルトランテはあらかじめ用意しておいた魔道具を手に取った。
「それ、お姉様の新作?」
「そうです。風量の調節が更にしやすくなったとか」
「へぇ~。あ、本当だ。前より優しい風だね」
リンティアナは勿論、アルトランテもそこそこ生活魔法が使えるので、魔法で髪を乾かすことも出来る。風魔法を応用すればどれだけ長い髪でも一瞬だ。何かと忙しい皇宮ではそうしているのだが、こうして辺境伯家の温泉に来た時は別だ。
他愛のない話をしながら丁寧に髪を梳き、魔道具でゆっくりと乾かす。
この時間が双方にとって意義あるものだということを、お互いによく理解しているのだ。ついでに魔道具師をしているリンティアナの二番目の姉から託された新作の使い勝手も確かめられるので、一石二鳥だ。
リンティアナの二番目の姉ベアトリスは凄腕の付与魔法師で、エリュシオン随一の魔道具制作者として名を馳せている。
国内外を問わず皇族貴族から庶民に至るまで、ベアトリスが考案した魔道具は世に広く普及しているのだ。
当の本人は超が付くマイペース気質で、自分の好きなものを好きなように好きなだけ開発しているのだが、結果として大いに国益に貢献している。
今回の魔道具はいわゆるドライヤーで、髪を乾かすものだ。
以前リンティアナが「魔法で乾かすよりも時間がかかる分、何か別のメリットがあればいいよね」と何気なく発した一言で改良が重ねられ、ついに『水分と栄養分が補給され、同時に繊細な回復魔法が掛かるので風魔法で乾かすよりも髪が断然美しくなる』という女子垂涎の機能が備わった逸品だ。
優しく髪を撫でる温風の心地よさに脱力しながら、リンティアナは『お使い』が作成したザルツイェーレンに関する報告書を流し見た。
分厚い束をぱらぱらと捲り、今回の訪問のお目当てでもある従弟、ザルツ第二王子についてのページで手を止める。
背後に立つアルトランテが面白くなさそうに呟いた。
「本当に婚活なんかするんですか」
「そうよ、そのために頑張ってきたんじゃない」
「難しいと思いますけどね。だってリン様の伴侶って、相当ハードル高いじゃないですか」
「う……」
「顔だけの男は嫌だって言う割に、やっぱり顔が良いのが好きだし」
「うぅ……」
ぐうの音も出ない事実に、リンティアナは何も言い返せずに唸った。
確かに、リンティアナが恋愛や結婚の相手に対してかなり高い水準を求めていることは否めない。
何せ生まれた時から推しの作画の美男美女に囲まれているのだ。しかも彼ら彼女らは決して顔だけではなく、人格も優れ、優秀で思いやりもある。
そんな環境で育ってしまえば、どうしても欲が出る。『顔だけの男は御免だが、どうせなら顔も良いに越したことは無い』と、そう思ってしまうのだ。
「……」
無言のまま、アルトランテは斜め後ろから顔を寄せ、じっとリンティアナを見た。横顔に無言の圧をビシビシと感じて、リンティアナは内心でドギマギした。
(うう、今日も本当に顔が良い……アルのちょっと影がある感じ、やっぱりドンピシャなんだよね)
正直なところ、リンティアナは初対面の時からずっと変わらずアルトランテの容姿が大好きだ。
少し癖のある髪に、ともすれば睨んでいるように見えそうな鋭い眼差し。体温の低そうな表情も相まって、どこか普通ではないように見える。
いつもカッチリとした黒のスリーピースに身を包んでいるところも、露出の少なさがかえってエッチに見える典型例のようでたまらない。
尋常ではない面食いかつオタク気質のリンティアナにとって、この従者をそういう目で見るなという方が無理な話だ。
(いやでも、アルは私のことそういう目で見てないし! いつもナチュラルに失礼だし!)
「それになんか、結局幼馴染の従者と結ばれるとか、そういう王道過ぎるテンプレ展開はどうなのかなって……顔は本当に物凄く良いんだけど……」
唸りながらぶつぶつと小声で呟くリンティアナは、途中から声に出てしまっていることに気付いていない。
「え? 顔が何ですって?」
「うわっ、声に出てた!? いや何でもない! えっと、やっぱ顔も良いに越したことないよねって!」
苦しい誤魔化し方だ。
「わ、私よりアルは!? 誰か好きな人とかいないの?」
あからさま過ぎる話題転換だが、アルトランテは溜息を一つ吐いてから乗ってやった。
「畏れ多いお相手ですよ。でもまぁ、死を覚悟してでも想いを伝えようとは思ってますけど」
「えっ」
てっきり曖昧な返事で濁されるかと思っていたのに、リンティアナのほうが驚いてしまう。
(死を覚悟しなきゃならない相手って誰……? アルが敵わないって相当だよね? アッ、まさか!?)
「お、お母様……!? 駄目よ、お父様は周囲の反対を押し切って無理やり既成事実を作っちゃったくらいお母様を溺愛してるのよ!」
「どうしてそうなるんですか」
「え、じゃあ…………お父様!?」
「本当嫌になるな、このポンコツゴリラ」
「なんて!?」
とんでもない不敬発言が飛び出た気がしたが、同時に左右のこめかみをぐりぐりとマッサージされて、リンティアナは思わず悲鳴を上げた。
「いやああ、痛い痛い痛い!」
こんなに痛いのにマッサージだから攻撃とはみなされていないのか、攻撃無効の魔法が反応しない。
リンティアナは目にうっすら涙を貯めながら「この魔法、まだ改良の余地があるわね」と頭の片隅で思った。
「……俺だって、なんでこんなポンコツじゃなきゃ駄目なのかわかりませんよ」
「だからなんて!?」
痛みが邪魔をして、アルトランテの一言はリンティアナには届かなかったようだ。
そのことに安堵したような、逆にがっかりしたような。相反する複雑な思いを感じながら、アルトランテは更に呟いた。
「王道の何が悪いんですかね」
深く重い溜息を魔道具の風に紛れさせ、アルトランテは美しい黒髪を心ゆくまで指で梳いた。




