第六章 護衛騎士の条件
カイン・グランツという人は、笑わない人なのだと凪沙は思っていた。
ルクセリアに来てから数日。
護衛として常に近くにいるのに凪沙に向けられる目はいつも同じだった。
警戒しているというより、値踏みしているような目。
信用に足る人間かどうか、まだ判断がついていないという目。
別に嫌ではなかった。
ノクスの幼なじみで護衛騎士なら、突然現れた素性も分からない異世界の少女を簡単に受け入れない方が当然だとも思っていた。
だから凪沙は特別何かしようとはしなかった。
ただ、毎朝顔を合わせた時に「おはようございます」と言うようにしていた。
カインは無言で頷くだけだった。
✦ ✦ ✦
その日の朝、凪沙は早く目が覚めてしまった。
窓の外がまだ薄暗い時間だった。
眠れないまま鏡を手に取って、しばらくぼんやり眺めていると廊下から足音が聞こえてきた。
規則正しい、迷いのない足音。
扉の前で止まって、少しの間があってから、ノックが来た。
「起きているか」
カインの声だった。
凪沙は少し驚きながら「はい」と答えた。
扉を開けると、カインが廊下に立っていた。
いつもの鎧ではなく、動きやすそうな上着姿だった。
「少し付き合ってほしい」
「……どこへ?」
「王宮の中庭だ。朝の見回りをする。来るなら連れていく」
誘っているのか試しているのか判断しかねたけれど、凪沙は「行きます」と答えた。
外の空気が吸いたかったし、何より断る理由がなかった。
✦ ✦ ✦
中庭は静かだった。
朝露に濡れた石畳。
白い花が咲いた植え込み。
噴水の水が低い音を立てて流れていて、空はまだ薄い藍色をしていた。
東の空の端だけが、ほんのりと橙色に染まり始めていた。
「綺麗な場所ですね」
「殿下が子どもの頃よく来ていた。今も考えごとがある時はここへ来る」
カインは中庭の端を歩きながら、淡々と言った。
凪沙はその隣を歩き、しばらく無言で二人分の足音だけが石畳に響いた。
やがてカインが口を開いた。
「あなたに聞きたいことがある」
「はい」
「殿下を傷つけるつもりはあるか」
直球だった。
凪沙は少し面食らったけれど、すぐに首を振った。
「ないです。そんなつもり全然ありません」
「……意図せず傷つけることもある」
「それは……そうかもしれませんが」
凪沙は少し考えてから、カインを見た。
「カインさんは、ノクスのことがすごく大切なんですね」
カインは答えなかった。
でも足が一瞬だけ止まったので凪沙には分かった。
「私は……ノクスのことを傷つけたくないです。夢の中でずっと会ってきて、やっと会えた人だから。それは本当のことです」
カインはしばらく黙って歩いていた。
中庭の噴水の前まで来て足を止めた。
水面に朝の空が映っていた。
「殿下は、あなたが来る前から変わっていた」
唐突に、カインが言った。
「ティアの異変を知ってから、ずっと一人で抱えていた。笑うことが減った。それが……最近、少し戻ってきた」
凪沙は何も言わなかった。
「原因がなんなのかは分かっている」
カインは凪沙を見た。
値踏みするような目ではなく、何かを伝えようとしている目だった。
「だから信用するかどうかはまだ分からないが、歓迎しないわけでもない。殿下は夢の中の少女に会いたがっていたから」
凪沙はしばらくカインの顔を見て、それから胸の中が少し軽くなるのを感じた。
「ありがとうございます」
「礼を言われることは何もしていない」
「でも、話してくれましたから」
カインはまた黙った。
でも今度の沈黙は、最初の値踏みするような重さとは違った。
✦ ✦ ✦
王宮へ戻る廊下で、ノクスに出くわした。
朝の鍛錬を終えたのか、いつもより軽い格好をしていた。
凪沙とカインが並んで歩いてくるのを見て少し目を丸くした。
「……二人で、どこへ行っていた」
「中庭です。見回りに連れていきました」
カインが答えるとノクスは凪沙に目を向けた
「何か言われなかったか」
低い声だった。
カインに向けているようで、どちらかというと凪沙に向いている気がした。
「色々と話してもらいました」
凪沙が答えるとノクスはカインに視線を戻した。
カインは「必要なことだと判断した」とだけ言って、さっさと廊下の奥へ歩いていった。
二人きりになると、ノクスは少し困ったような顔で凪沙を見た。
「……何を言われた」
「傷つけるつもりがあるか、って聞かれました」
「……そうか」
ノクスは目を逸らした。
耳が少し赤くなっていたけど松明のせいではない。
廊下は朝の白い光で満ちていた。
「あいつは……その、口が悪いわけじゃないが回りくどいことが苦手で」
「分かってます。ちゃんと嬉しかったから」
「嬉しかった?」
「心配してくれてる人がいるって、いいなと思って」
ノクスは何か言いたそうで、でも言葉が出てこないような顔をしていた。
やがて小さく息を吐いて、前を向いた。
「……朝食、一緒に食べるか」
「うん、食べる」
二人で廊下を歩いた。
朝の光が石畳を白く染めていて、二人分の影が並んで伸びていた。




