第四十九章 ノクスへの別れ
もう少しだけと言った。
そのもう少しは三日間だった。
誰かに決められたわけではなく、ただ三日が経った時に凪沙の中でもういいと思えた。
思えたというより、これ以上引き延ばすことが誰のためにもならないと分かった。
その三日間を凪沙はルクセリアで生きた。
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ジブリールには、二日目に伝えた。
中庭のベンチで二人で並んで座って、凪沙が「帰ることにした」と言うとジブリールはしばらく黙っていた。
それから、少し鼻をすすって、「そうですか」と言った。
「泣かないの?」
凪沙が聞くと、ジブリールは首を振った。
「泣きます。でも、今は泣かないようにします。凪沙さんが泣いちゃうといけないので」
「ジブリール……」
「ずるいですよ。せっかく我慢してるのに」
ジブリールが涙をこらえながらの、いつもの笑顔だった。
「凪沙さんのこと、ずっと忘れません。絶対に」
「私も。ジブリール、体に気をつけてね」
ジブリールは頷いた。
でも、その頷き方が少し力強かった。
まるで凪沙の言葉を受け止めて、ちゃんと生きると決めたような、そういう頷き方だった。
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カインには廊下で伝えた。
「帰ることにしました」と言うと、カインはすぐには答えなかった。
少しの間、前を向いたまま、しばらく何も言わなかったが次第に口を開いた。
「……これから先も殿下のことを、あなたに頼みたいと思っていたのですが」
「私じゃなくて、カインさんがノクスをこれからも守って下さい。カインさんはノクスの幼なじみであり、ノクスの騎士でしょう?」
「私だけでは足りないこともあります。あなたがいることで殿下は昔のように笑うようになった。それは、私にはできなかったことです」
「カインさんにしかできないことは沢山あります。将来、ルクセリアの王になるノクスをどうかお願いします。ノクスの気持ちを一番理解できるのはカインさんなんですから」
「………かしこまりました」
カインの目が少しだけ和らいだのがわかると凪沙も安心したように微笑んだ。
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ノアには書庫で伝えると、手帳を持ったまま固まっていて、それから眼鏡を押し上げて言った。
「時間の流れの差については、まだ正確には分かっていませんが……向こうの世界で、あまり時間が経っていないといいですね」
「うん。そうだといいなと思ってます」
「鏡の研究を続けます。いつかまた、何か分かったら……届けられればいいですが」
ノアは、少し困ったような顔で言った。
それは届けられる方法がないことを分かった上で言っているからだ。
でも、そう言わずにはいられなかったのだろうと凪沙には分かった。
「ありがとう、ノアさん。たくさん教えてくれて」
ノアは、少し照れたような顔をして、また手帳に目を落とした。
でも、手帳には何も書かなかった。
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セシリアには、三日目の朝に伝えた。
セシリアは凪沙の話を全部聞いてから、その手を取った。
「あなたは、本当によく頑張ったわ」
「……セシリア様には、ずっと良くしていただいて」
「親のようなことは何もできなかったけれど」
「いいえ。してもらいました。たくさん」
セシリアは、凪沙を抱きしめた。
突然だったけれど、凪沙はその温かさの中で声を出さずに少し泣いた。
でも肩が少し震えのでセシリアには伝わっていたはずだけれど、何も言わずにしばらくそのままでいてくれた。
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レグルス王とヴィクターへの挨拶は謁見の間で行われた。
レグルス王は凪沙の話を聞いて、深く頷いた。
「お前は、立派に聖女の役割を果たした。この国はお前の名を永遠に記憶する」
「……ありがとうございます」
「お前の世界でも、どうか幸せに生きてくれ」
レグルス王の幸せにという言葉に凪沙は思いのほか胸に刺ささり泣きそうになるのを我慢した。
レグルス王の近くにいたヴィクターは凪沙に深く頭を下げた。
「千鶴様によく似た選択をなさいました。きっと向こうで、いつの日かお会いになれるでしょう」
「そうですね。いつの日か、おばあちゃんに会えたら……ここのことを話します」
「ぜひ……。私は長い間、千鶴様は意志があっても帰るしかなかったのだと思っていました。でも、鏡に残されたメッセージのことを聞いて分かりました。千鶴様は愛する人…アルタイル様がいたから、アルタイル様のために、ご自身の意志で帰ることを選ばれたのですね」
「……はい」
「私が間違えていました。あの方を、ずっと哀れに思っていた。でも、あの方は最後まで、ご自身の道を歩まれていた」
ヴィクターの目が遠くを見るような色になった。
何十年も前の、あの日の記憶を見ているような目だった。
ヴィクターは、初めて本当に穏やかな笑顔を見せた。
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最後の夜、ノクスが部屋に来た。
扉を開けると、ノクスが廊下に立っていた。
いつもと変わらない格好で、いつもと変わらない顔をしていた。
でも、その目だけが、いつもと違った。
何かを、ずっと抑えている目だった。
「少し、中庭に出ないか?」
「うん」
真夜中の中庭はとても静かで、噴水が低い音で流れていて、冬の星が上に広がっていた。
言葉がいらない時間だった。
でも言わなければならないことが、お互いに分かっていた。
「明日、帰るね」
「……そうか」
「ノクス」
「うん」
「出会えてよかった。夢の中だけじゃなくて、ちゃんと、ここで会えて。ちゃんと話せて、ちゃんと触れられて。それが本当によかった」
「俺も、凪沙が来てくれた時から世界が、少し違って見えていた。ティアのことだけを考えていた頭の中に別のものが入ってきた。凪沙の笑い方とか、鏡を見る時の顔とか、どうでもいいことで笑う声とか。全部覚えている。全部忘れない」
凪沙は涙をこらえていたけど、こらえきれなくて一筋だけ流れた。
「……前を向いてね」
「凪沙が言うから、そうする」
ノクスが凪沙の方を向いて、それからゆっくりと凪沙の手を取って、その手を握っていた。
中庭に、冬の風が吹いた。
噴水の水が星明かりを受けてきらきらしていて、二人の影が石畳の上に並んで伸びていた。
それがずっと続けばいいと思った。
でも、続かないからこそ大切なのだとも思った。




