第四十八章 沈黙の先に
翌朝、目が覚めた時、答えは出ていた。
眠りの中で決まったのか、それとも昨夜のうちにもう決まっていたのか、自分でもよく分からなかった。
ただ、目を開けた瞬間にもうそれ以外のことは考えていなかった。
帰るという言葉が胸の中で静かに、でも揺るぎなくそこにあった。
怖くないわけではなかった。
悲しくないわけでもなかった。
でも、それよりも深いところに確かなものがあった。
祖母が選んだ道を自分も歩もうと思えた。
愛しているから、帰る。
それが今の凪沙の正直な答えだった。
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しばらく、誰にも言わなかった。
朝食を食べて、いつものように廊下を歩いて、いつものように中庭に出た。
冬の空気が鼻の奥を冷たく刺して、王都の景色が、いつもと同じようにそこにあった。
石畳も、魔法の灯りも、遠くに見える尖塔も、全部が今日は少し違って見えた。
一つひとつを目に焼き付けるように見ていて、中庭の噴水の音を耳に残るように聞いていた。
冬の空気の匂いを、深く吸い込んだ。
ここで過ごした一年近くの時間が、一場面ずつ頭の中を流れていった。
初めて来た夜の星空。
ジブリールと歩いた王都の大通り、カインと並んで歩いた中庭の朝、ノアが手帳を落とした嵐の山。
ヴェルガの賑やかな市場やフィオラの広い平原。
全部大切で、全部本物だった。
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午後になると凪沙がベンチに座っているのを見つけたノクスが中庭に来て隣に静かに座った。
噴水の音が、冬の空気の中に響いていた。
「凪沙……鏡に何か書いてあったか」
ノクスはきっと、聖堂で凪沙が鏡を顔に近づけた場面を見ていたのだろう。
「うん。全部読めたの」
「……そうか」
ノクスは凪沙が話す準備ができるまで、待っていてくれているのが分かった。
凪沙は、少し間を置いてから口を開いた。
「おばあちゃんの言葉が、刻まれてた」
「……千鶴様の」
「うん。おばあちゃんがね、帰ることを選んだ理由が書いてあった」
「なんて書いてあった?」
「愛する人がいたから帰れなかったんじゃなくて、愛する人がいたから帰ることを選んだって」
言葉が、空気の中に溶けていった。
噴水の水が流れ続けていて、冬の日差しが石畳を薄く照らしていた。
「……凪沙は、どうするつもりだ」
凪沙がノクスを見ると、その横顔が答えを知りながら聞いている顔をしていた。
でも、ちゃんと凪沙の口から聞きたいという顔でもあった。
「帰るよ」
「………」
「ノクスのことが好きだから。この世界が好きだから。だから帰る」
ノクスは目を閉じ、そしてゆっくりと目をあけた。
今のノクスは何を思い何を感じているのか凪沙にはわからなかったけど凪沙は後悔のないように言葉を続けた。
「ノクスは絶対に、いい王様になる。この国の人たちをちゃんと守れる人になる。私がいたら、その邪魔になるかもしれない。それは嫌だから」
「……俺は、凪沙が邪魔だなんて思ったことは一度もない」
「分かってる。でも私が思うの。ノクスがこの国のために、ちゃんと生きてほしいって。私のことを想いながら、でもちゃんと前を向いてほしいって」
「凪沙…」
「おばあちゃんも、きっと同じことを思って帰ったんだと思う。アルタイル様に、ちゃんと生きてほしかったんだと思う」
「……祖父は、生涯忘れられなかった」
「うん。それでいい。忘れなくていい。ただ前を向いていてくれれば。それだけでいい」
ノクスは、長い間凪沙を見つめていた。
その目の中に抑えているものがたくさんあって、だけどそれを全部言葉にしようとはしなかった。
やがてノクスは目の前にある噴水を見たあと、それから遠くの空を見た。
「……いつ、行く」
「もう少しだけ、ここにいたい」
「分かった」
二人でしばらく、同じ空を見ていた。
冬の空は、高くて、青かった。
どこまでも続いているような、そういう空だった。




