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鏡の聖女と夢の王子  作者: 宵待 桜


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第四十五章 儀式の前夜


満月の夜まであと一日になり、王宮の中で準備が粛々と進められていた。


ノアが最終確認の計算をし、カインが警護の配置を確認していた。


ノクスはレグルス王と長い時間話し合っており、ヴィクターは聖堂の最奥を静かに整えていた。


それぞれが、自分の役割を果たしていた。


その中で、凪沙にできることは今夜の自分と向き合うことだけだった。




✦ ✦ ✦




夜が更けてから、凪沙は部屋の窓辺に座った。


月が、もうほとんど満月に近い形をしていた。


あと一日で、真円になる。


その月明かりが、部屋に柔らかく差し込んでいた。


手の中の鏡を開くと鏡面が青白く輝いていて、縁の文様がこれまでで一番はっきりと、金色に光って見えた。


明日、この鏡と三つの涙晶を聖堂に持ち込む。


すると扉が開き、そしてその時に鏡は凪沙の意志を聞く。


残るか、帰るか。


ずっと答えを出せなかった問いが、今夜はもう逃げられない場所まで来ていた。




✦ ✦ ✦




お母さんのことを、考えた。


牧浦美咲。四十四歳。


現実的で、少し不器用で凪沙の夢の話を空想だと思っていた人。


でも、毎朝必ず朝食を作ってくれていた人。


凪沙が落ち込んでいる時、何も言わずそっと温かい飲み物を置いてくれた人。


今頃、どうしているだろう。


ノアの仮説が正しければ、向こうの世界では、まだそれほど時間が経っていないかもしれない。


でも、もし凪沙が帰らないと選んだなら、いつかお母さんは気づく。


娘が、戻ってこないことに。


その時、お母さんはどんな顔をするだろう。


凪沙の目が、じわりと潤んだ。


泣きたいわけではなかった。


ただ、その想像が、胸の奥に刺さった。


ごめんね、お母さん。


心の中で呟いた。


謝るだけでは足りないと分かっていたけど、今はそれしかできなかった。




✦ ✦ ✦




次に、この世界で出会った人たちのことを、一人ずつ思い浮かべた。


ノクスは夢の中で何年も会い続けた人。不器用で、誠実で、凪沙の前でだけ年相応の顔を見せてくれる人。


「好きだ」と言った時の声が、まだ耳の奥に残っている。


ジブリールは最初にできた友達。知らない場所で、まっすぐな目で「よろしくお願いします」と言ってきた子。


自分の体に何が起きるかもしれないか知りながら、いつも明るくいてくれる子。


カインは最初は警戒していたのに、中庭で「確かなものを守る」と言ってくれた人で、ノクスを一番近くで見てきた人。


ノアは鏡を見る目が、子どものように輝いていた人。食事を忘れながらも、凪沙のために調べ続けてくれた人。


セシリアは「困ったことがあれば何でも」と言って、毎回旅の前に何かを持たせてくれた人。


レグルス王は多くを語らないけれど、全部見えている目をした人。


ヴィクターは長い時間を背負って、千鶴を見送った後悔を、何十年も抱えてきた人。


この世界の人たちが、凪沙の中に深く根を張っていた。


それは、一年近くかけて積み重なった確かなものだった。




✦ ✦ ✦




扉が、静かにノックされた。


「凪沙、起きているか」


「うん」


扉が開いて、ノクスが入ってきた。


凪沙の顔を見て、目元が潤んでいるのに気づいたのか、少し立ち止まった。


でも何も言わずに窓辺の隣に座わり、月明かりが部屋を静かに照らしていた。


「お母さんのことを、考えてた」


「……そうか」


「帰れば、また会える。でも帰ったら、ここには戻れない。残れば、もうお母さんに会えないかもしれない」


「分かっている。だから、俺は……お前に残ってほしいとは言えない」


凪沙がノクスを見ると、その横顔が月明かりの中で、いつより少し苦しそうだった。


言いたいことを、抑えている顔だった。


「でも、帰ってほしいとも……言えない」


「……ノクス」


「どちらでも、凪沙の選択を俺は受け入れる。でも……どちらを選んでも、凪沙が自分の気持ちに正直でいてほしい。誰かのためじゃなく、凪沙自身のために選んでほしい」


凪沙は、その言葉を受け止めた。


ルナリアの言葉が蘇った。


あなたには選ぶ自由がある、と。


鏡はどの選択も否定しない、と。


「ノクス」


「なんだ?」


「私ね、ずっと答えが出なかったのは……どちらかを選ぶことが、どちらかを裏切ることになる気がしてたから」


「………」


「でも、今夜考えて……分かった気がする。どちらを選んでも、私が大切にしているものは、消えないんだって。お母さんへの愛情は帰っても帰らなくても、変わらない。ここで出会った人たちへの気持ちも同じで」


「……そうだな」


「だから、明日は……自分の気持ちに、ちゃんと正直に答えを出す」


ノクスは凪沙をじっと見つめると、目が月明かりの中で静かに揺れていた。


「……信じている」


短く、でも確かな言葉だった。


凪沙は、鏡を両手で包んだ。


温かかくて、手のひらの中で青白い光が揺れていた。


窓の外で、満月に限りなく近い月が王都を照らしていた。


明日、扉が開く。


その先に何があるのか、まだ分からない。


でも今夜、凪沙は自分の心の中を初めてきちんと見た気がした。


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