第四十四章 友人の顔色
王都に戻ったのは夕陽が落ち、夜に変わる頃だった。
馬車を降りて王宮に入ると、いつもの廊下があって、いつもの灯りがあって、いつもの匂いがした。
ヴェルガとフィオラを巡った数日間が、もう遠い記憶のように感じられるほど、王宮は変わらずそこにあった。
でも、凪沙の中では何かが変わっていた。
フィオラで見た、地面にしゃがみ込んだあの男性の顔が頭の中から離れなかった。
そして、もう一つのこと。
ジブリールは、大丈夫だろうか。
✦ ✦ ✦
翌日の朝、ジブリールが王宮を訪ねてきた。
凪沙が旅から帰ったと知らせを受けて、来てくれたらしい。
いつものように明るく廊下を歩いてきたけれど、凪沙はその顔を見た瞬間少し引っかかりを感じた。
顔色が、いつもより少し白い気がした。
「おかえりなさい凪沙さん!ヴェルガとフィオラは、どうでしたか?」
「楽しかったよ。ヴェルガはすごく賑やかで、フィオラは静かで……色々あって」
「色々?」
「後で話す。ねぇジブリール、今日は顔色が少し……」
「え? そうですか?最近、ちょっと疲れてるだけですよ。聖堂の仕事が立て込んでて」
ジブリールは、さらりと笑って答えた。
でも、その笑顔がいつもより少しだけ頑張っている感じがした。
凪沙はもう少し聞こうとして、やめた。
今すぐ聞けることではないと思った。
✦ ✦ ✦
午後、二人で中庭のベンチに座って話した。
凪沙は、フィオラで見たことを少しずつ話した。
倒れていた男性のことや、神官が話してくれたこと。
後天的に力を開いた人に、年を経ると体に影響が出ることがあるという話を。
ジブリールは、黙って聞いていた。
話が終わると、しばらく噴水の音だけが続いており、ジブリールは膝の上で手を重ねて、どこか遠くを見ていた。
「……知ってました」
「え?」
「私が儀式を受けたのは十二歳の時で。その頃から、そういう話は、ちらちら耳に入ってきていて。聖堂で働いていると、神官の方たちの話が聞こえることもあるので」
「ジブリール……」
「でも私は大丈夫ですよ。本当に。儀式を受けてから十年近く経ちますけど、今のところ大きな不調はないので」
その言葉は、明るかった。
でも凪沙には、その明るさの下に何かが沈んでいる気がした。
「今のところ、って……」
「まあ、いつかどうなるかは分からないですけど」
凪沙は、ジブリールの顔を見て胸が痛くなった。
ジブリールは知っていた。
自分の体に何が起きるかもしれないか、ずっと前から知っていて、それでも明るくいてくれていた。
「……怖くなかったの?」
「怖くないわけじゃないですよ。でも、儀式を受けたのは自分で選んだことです。聖堂で働きたかったから力が必要でしたし。後悔はしていません」
「それでも、国が隠してることは……」
「それは、おかしいと思います」
ジブリールが、きっぱりと言った。
「選んだのは自分でも、ちゃんと知らせてもらう権利はあると思いますよ。知らないまま儀式を受けた人もたくさんいるから。それは正しくないと思います」
その言葉は静かだったけれど、しっかりとした重さがあった。
いつも明るくておしゃべりなジブリールの、別の一面だった。
凪沙は、ジブリールの手をそっと握った。
ジブリールは少し驚いた顔をして、それから今度は本物の笑顔を見せた。
「ありがとうございます、凪沙さん。でも、本当に今は大丈夫なので。それより、一日も早く儀式が成功してほしいです。ティアが元に戻れば、こういう人を増やさなくていいから」
「うん。絶対に、うまくいかせる」
凪沙は、強く決意した。
ジブリールのためにも。
フィオラで見た男性のためにも。
知らないまま儀式を受けた、たくさんの人たちのためにも。
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夜、凪沙はノクスに今日の話をした。
ノクスは黙って聞いてくれて、話が終わると苦しそうに顔を歪ませていた。
「ジブリールは、知っていたのか」
「うん。ずっと前から」
「……そうか」
ノクスは、静かに息を吐いた。
「儀式が終わったら、この問題を公にする。父上にも、そう伝える。知らないまま儀式を受けた人たちに、ちゃんと知らせる義務が国にある」
その言葉に、迷いがなかった。
王子としての言葉だったけれど、それはノクス自身の言葉でもあった。
「ノクスは、いい王様になるね」
思わず言った言葉にノクスは少し驚いた顔をして、それから視線を窓の外へ戻した。
「……まだ、そうなれるかどうか分からない」
「なれるよ」
凪沙がはっきりと言うと、ノクスは何も言わなかったが、その口元がわずかに緩んでいた。




