第四十三章 加護の大地
ヴェルガを出て、フィオラへ向かったのは、翌朝だった。
王都への帰り道から少し外れた場所にある農業都市。
馬車で半日ほどの距離だという。
ノクスは「遠回りになる」と言ったけれど、凪沙が「行きたい」と言うと、それ以上は言わなかった。
街道を進むにつれて、景色が開けていった。
王都周辺の岩がちな地形とは違い、どこまでも続く平原が広がっていた。
冬だというのに、畑には青々とした作物が育っていた。
農業魔法の恩恵だろうか。
でも、それだけじゃない気がした。
この土地そのものが何か特別な力を持っているような、そんな柔らかい空気があった。
「ここが……女神の加護が強い土地」
凪沙が呟くと、ノクスが頷いた。
「ティアの恩恵が、王都よりもよく届く場所だと言われている。だから農業魔法の効果が高く、季節を問わず作物が育つ」
「ヴェルガとは全然違うね」
「ああ。ヴェルガは人が作った豊かさだ。フィオラは大地が持つ豊かさがある」
✦ ✦ ✦
フィオラの街は、こじんまりとしていたが穏やかで温かい場所だった。
石造りの家の軒先に、乾燥させた花や野菜が吊るされていた。
子どもたちが冬の平原を走り回っており、市場には、色とりどりの野菜や果物が並んでいた。
魔法の灯りも王都ほど多くはなかったけれど、それでも街のそこかしこに温かい光があった。
凪沙は、その街を歩きながら不思議な感覚を覚えていた。
来たことはないのに知っている気がする。
なんとなく懐かしい。
もしかして祖母から聞いたことがあったのかもしれない。
お伽話のような形で、フィオラのことを。
そう思いながら鏡を握ると、その銀色の重さがいつもより少し近く感じられた。
「ヴェルガの記録に、千鶴様はこの街に長くいたとありました」
ノアが手帳を見ながら言った。
「戦いの後、傷ついた人々の治療を手伝ったという記述もあります。鏡の力が治療にも使えたのかもしれません」
凪沙は、街の人々を見渡した。
今日も、当たり前のように暮らしている人たち。
祖母はここで、この人たちの先祖を助けたのだろうか。
おばあちゃん。あなたは、ここにいたんだね。
✦ ✦ ✦
街を歩いていると、小さな診療所の前で人だかりができているのに気づいた。
何事かと思って近づくと、一人の男性が地面にしゃがみ込んでいた。
三十代くらいだろうか。
顔が青白くて、息が荒かった。
周りの人たちが、心配そうに声をかけていた。
「また……また倒れた」
誰かが呟いた「また」という言葉が、凪沙の耳に引っかかった。
診療所から出てきた女性の神官が、男性に治療魔法をかけ始めた。
青白かった顔に、少しずつ血の気が戻っていった。
ノクスがカインに何かを耳打ちして、二人で少し離れた場所へ移動した。
街の地図を確認しているようだった。
凪沙は、神官の近くに歩み寄った。
治療が一段落したところで、小さな声で聞いた。
「あの……この方は、以前からこういうことが続いているんですか」
神官は、凪沙を見た。
王子の連れだと分かっているはずだったけれど、凪沙の目に警戒心がないと感じたのか少し表情が和らいだ。
「……ここ数年、定期的に倒れるようになって。十年前に儀式を受けてからは、ずっと元気だったんですが」
「儀式を受けてからということは……力を開いてもらってから、ということですか」
「そうです。後天的に魔力回路を開かれた方に、こういう症状が出ることがあって。私たち治療を担う者の間では、知られていることなんですが……」
神官はそこで言葉を濁し、ノクスたちの方をちらりと見て、声をさらに低くした。
「表立って言える話ではないので」
凪沙はノクスを見ると、顔が静かに、でも確かに固くなっていた。
知っていたのか、それとも初めて耳にしたのか表情からは読み取れなかった。
「この街には、そういう方が多いのですか」
「……少なくありません。農業魔法を使う人が多い土地なので、後天的に力を開く人も多くて」
神官は、そこで言葉を止めた。
それ以上は言えない、という空気があった。
人だかりが少しずつ散っていった後、男性は神官に支えられて診療所の中に入っていった。
その背中を、凪沙はしばらく見ていた。
✦ ✦ ✦
街を出る頃、凪沙はノクスに聞いた。
「知ってた?後天的魔法使いの人たちが、ああなることを」
「……副作用があることは聞いていた。だが、ああいう形で目にしたのは初めてだった」
「……表立って言えないって言ってた。国は、知ってるの?」
「知っている。だが、認めれば、国の施策そのものが問われる。ティアが弱まっているから、後天的魔法使いを増やす必要があった。その裏で犠牲を払っている人がいる。しかも……その儀式がさらにティアを弱めていた。助けようとして、傷つけていた。国が何年もかけてやってきたことが、そういうことだったんだ」
ノクスの声は怒りとも、自責とも、どちらとも取れる感じに聞こえた。
凪沙は、その横顔を見た。
王子として、いつかこの国を背負う人間として、今この事実をどう受け止めているのか言葉では測れなかった。
ノクスは表情には出さないようにしているけれど、その奥に苦しさがあるように思えた。
「だから、ティアを本当の意味で直さなければいけないんだね。涙晶が揃っても、もうこういう人を増やさないためにも」
「ああ」
ノクスは、平原を見渡した。
冬の風が、広大な畑の上を吹き抜けていた。
「儀式が終わったら……この問題に正面から向き合わなければならない。国として」
その言葉に、王子としてのノクスがいた。
ティアを守るだけでなく、その先にある人々の問題まで、ちゃんと見ている人。
凪沙はその横顔を見て、胸の中に温かいものと少し切ないものが同時に広がるのを感じた。
ジブリールも、後天的魔法使いだ。
そのことが、頭をよぎった。
馬車が、王都への道を進んでいった。
冬の平原が、ゆっくりと後ろへ遠ざかっていった。




