第四十二章 商いの街
第四十二章 商いの街
ヴェルガは王都から馬車で二日の距離にあり、街に近づくにつれて道が広くなっていった。
行き交う人や荷馬車の数が増えて、街道の脇には小さな茶屋や宿が並び始めた。
冬の寒さの中でも、この道だけはどこか温かい活気を持っていた。
ヴェルガの門をくぐった瞬間、凪沙は思わず立ち止まった。
王都やセントリアとは違う。
ヴェルガは、もっと雑然としていて、もっと賑やかで、いろんな国の人たちが入り混じっていた。
露店が通りの両側にずらりと並んで、見たことのない食べ物や布や道具が並べられていた。
言葉も、聞いたことのない言語が飛び交っていた。
「すごい……」
凪沙が声を漏らすと、ノクスが隣で小さく微笑んだ。
「ここは王国の中で最も外国人が多い街だ。色々な国の商人が集まってくる」
「魔法は? みんな使えるの?」
「使える者も使えない者もいる。外国から来た人間には、ティアの恩恵が届かない場合も多い。それでも、ここは豊かだ。商いの力が魔法の代わりをしている部分がある」
凪沙はその言葉を聞きながら、街をもう一度見渡した。
魔法がなくても豊かに生きている人たちがいる。
ティアの恩恵がなくても、知恵と働きで街を作り上げている人たちが。
その事実が、なぜか凪沙の胸に深く刺さった。
✦ ✦ ✦
商人組合の書庫は、街の中心部にある大きな建物の地下にあった。
ノアが商人組合の長に書庫の閲覧を申請している間、凪沙とノクスは一階の広間で待っていた。
広間には世界中から集まった商品の見本が飾られていて、見ているだけで飽きなかった。
「あれ、何かな」
凪沙が指差したのは薄い透明の石だった。
光を当てると、虹色に輝く。
「東の国で採れる光石だ。装飾品に使われる。ルクセリアには入ってこない珍しいものだ」
「綺麗だね」
「……お前が持つと、よく似合いそうだな」
ノクスは言い終えてから少し視線が逸れた。
凪沙はその横顔を見て、心が温かくなった。
✦ ✦ ✦
ノアが書庫で調べている間、凪沙とノクスは街を歩いた。
露店で温かい飲み物を買って、並んで飲みながら歩いた。
見知らぬ食べ物を、凪沙が「これ何?」と聞いて、ノクスが「知らない」と答えて二人で買って食べた。
甘くて少し辛くて、不思議な味がした。
「美味しいかどうかよく分からない」
凪沙が言うと、ノクスも同じ顔をしていた。
「……同じく」
街の雑踏の中で、二人分の笑い声が、小さく混ざって消えていく。
そういう何でもない時間が、凪沙には一番大切な気がした。
特別なことは何もない。
でも、隣にノクスがいて、知らない街を歩いていて、美味しいかどうか分からないものを食べて笑っている。
それが、当たり前になっていた。
こういう時間が、続いてほしい。
そう思った瞬間、胸の中にまた別の気持ちが浮かんできた。
それは家にいるお母さんのこと。
お母さんはルクセリアを知らない。
この街の賑やかさを、見せたいと思った。
この温かい飲み物の味を一緒に感じたいと思った。
どちらの気持ちも、本物だった。
どちらかを選べば、どちらかを手放すことになる。
その重さを凪沙はまだ、きちんと抱えていた。
✦ ✦ ✦
夕方ごろにノアが書庫から戻ってきて、手に持っている手帳がびっしりと埋まっていた。
「見つかりました」
ノアの目が、興奮で輝いていた。
「千鶴様の時代の交易記録に、こんな記述がありました。『北の山脈を越えた先の国から、大量の兵が押し寄せ、王都が包囲された。しかし、異国の聖女と王太子の働きにより、三か月で撃退された』と」
凪沙は、その言葉を聞いて胸の中で何かが動いた。
北の山脈を越えた先の国からの侵攻。
三か月の戦い。
そして、祖母と、若き日のアルタイルが共に戦ったということ。
「おばあちゃんは……戦ったんだ」
「鏡の力を使って、王国を守ったのだと思います。具体的にどのような力かは分かりませんが……記録には、『聖女の鏡が光を放ち、敵の前進を止めた』とあります」
凪沙は、手の中の鏡を見た。
この鏡を持って、祖母は戦場に立ったんだ。
十代の、ただの女の子が。
きっと怖かったはずだ。
でも、それでもここにいる人たちを守ろうとしたのだろう。
その想いが、今の凪沙に静かに流れ込んでくるような気がした。
「もう一つ、気になる記述があります。『聖女は戦いの後、王太子と共に各地を旅した。フィオラの平原で、長い時間を過ごしたという』と」
「フィオラ……?」
「農業都市フィオラです。女神の加護が強い土地として知られています。千鶴様とアルタイル殿下が、そこで何かをしたのかもしれません」
凪沙とノクスは顔を見合わせた。
その目に、次へ向かう意志が静かに灯っていた。
街の夕暮れが、ヴェルガを橙色に染めていた。
どこかの露店から、料理の匂いが漂ってきた。
活気があって、雑然としていて、でもどこか温かいこの街を祖母も歩いたのだろうかと凪沙はふと思った。




