第四十一章 儀式の前に
三つの涙晶が見つかって以来、王宮の空気は少しずつ変わっていた。
目に見えて何かが変わったわけではない。
でも、レグルス王とノクスの間で交わされる言葉の数が増えて、ノアが書庫に籠もる時間が長くなって、カインの眼差しがいつもより鋭くなっていた。
何かが、近づいている。
そういう気配が王宮全体に漂っていた。
聖堂での儀式の準備が、本格的に始まっていた。
✦ ✦ ✦
ある夕方、ヴィクターが王宮を訪ねてきた。
謁見の間ではなく、小さな応接室に通された。
ノクス、凪沙、ノア、そしてヴィクターが、テーブルを囲んだ。
ヴィクターはもう、敵でも味方でもないという曖昧さが消えて同じ方向を向こうとしている人の顔になっていた。
「今日は、二つお話があります」
ヴィクターが話を切り出した。
「一つは、ティアが弱まった理由について。もう一つは儀式の準備についてです」
「……まず、ティアのことから聞かせてくれ」
「かしこまりました。殿下」
ずっと気になっていたことだった。
涙晶が揃えば力は戻る。
でも、なぜ弱まったのかが分からないままでは、また同じことが起きるかもしれない。
ヴィクターは少し目を細め、そして静かに答えた。
「二つの理由が重なりました。一つは、女神ルミナが天へ帰ってから千年以上が経ち、涙の力が自然と薄れていったこと。もう一つは……後天的魔法使いの儀式です」
「儀式が、ティアを消耗させていたのか」
「ティアの力を源として、後天的に魔力回路を開く儀式です。長年にわたって繰り返されたことで自然な衰退に加えて、さらに急激に弱まっていった。国が儀式を増やせば増やすほど、ティアを消耗させていた。その悪循環に気づくのが遅すぎました」
「つまり……後天的魔法使いを増やそうとしたことが、ティアをさらに弱めていたということですか?」
凪沙が言うと、ヴィクターは目を伏せた。
「そうです。ティアが弱まるから儀式を増やす。儀式を増やすからティアが弱まる。その繰り返しでした。だからこそ、涙晶が揃ってティアの力が完全に戻った後は、儀式のあり方そのものを見直さなければなりません」
凪沙はノクスに視線を向けると、ノクスは目を伏せていた。
その目に、フィオラで見た男性の顔が浮かんでいるのかもしれないと凪沙は思った。
「……では、もう一つの話を」
気持ちを切り替えしてノクスは二つ目を問うと、ヴィクターは頷いた。
「三つの涙晶と鏡を聖堂に持ち込む前に、過去の記録を確認しておきたいのです。鏡の聖女がかつてどのような形で扉に関わったのか、何か手がかりがあれば儀式をより安全に進められます」
「先代の鏡の聖女…凪沙の祖母の記録か」
「そうです。ただ、王家の書庫にもセントリアの文書にも、具体的な記述はほとんど残っていない。歴史書に『鏡の聖女』と呼ばれる人物が現れたとあるだけで、彼女が何をしたのか鏡をどう使ったのか、詳細が見当たらないのです」
ノアが、手帳を開きながら頷いた。
「私も書庫を調べましたが、同じ壁にぶつかっていました。ただ、一つ心当たりがあります」
「それは、どこですか」
「ヴェルガです。商業都市ヴェルガには、王国各地から集まった古い文書や交易記録を保管している商人組合の書庫があります。当時の戦いに関する記録が、そこに残っている可能性があります。商人たちは歴史を商いの記録として残す習慣がありますから、王家の書庫より具体的な情報が見つかるかもしれない」
凪沙は、その話を聞きながら鏡を握った。
祖母が何をしたのか。
どんな形でルクセリアを守ったのか。
それを知ることが、今度の儀式に繋がるかもしれない。
「私、ヴェルガ行って確かめたい」
凪沙の決意にノクスはヴィクターに目を向けた
「ヴィクター、儀式の前に時間はあるか」
「満月の夜が、扉を開くのに最も適していると言われています。次の満月まで十日ほどあります」
「ヴェルガまで馬車で二日。調査に一日あれば戻れる。ならば行こう。凪沙の祖母が何をしたのか、知った上で儀式に臨む方がいい」
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出発の前夜、凪沙は部屋で鏡に向き合っていた。
縁の文様は相変わらず鮮明に見えた。
光の加減によっては、金色に光って見えることもあった。
最後の場所が近づいていることを、鏡自身が感じているのかもしれない。
「おばあちゃんが何をしていたのか、私知りたいの。おばあちゃんが鏡の聖女として残したものがあるなら、私は見たい」
答えは返ってこなかった。
でも、ヴェルガへ行けば少し分かるかもしれない。
祖母が歩いた道の、また一欠片が見えるかもしれないと思うと不思議と心が落ち着いた。
まだ答えの出ていない問いを抱えたまま、それでも前に進んでいける気がした。




