第三十三章 嵐の山へ
山岳地帯への遠征の計画は、これまでの旅とは違う緊張感を持って進められた。
王都にはすっかり冬が来ていた。
窓の外を見ると、石畳が薄く霜で覆われていることもありルクセリアに来てから、もうすぐ七か月が経とうとしていた。
地図を広げたテーブルを囲んでノクス、カイン、ノア、そして凪沙が集まっていた。
レグルス王も時々顔を出して、意見を加えてくれていた。
「目標の山は、王国でも最も険しい場所の一つだ」
ノクスが地図の上の一点を指した。
その場所は、王都から遠く地図の端に近い場所だった。
「常に嵐が吹いていると言われている。地元の言葉で『神の怒りの山』と呼ばれることもある」
「神の怒り……」
「凪沙さんに説明すると、実際には女神の力が強く残っている場所だからこその現象だと考えています」
凪沙はその名称の重さを感じ、わからないところをノアが補足してくれた。
「『嵐の中心に静寂がある』という記述の意味を、私なりに解釈すると……嵐そのものが、涙晶を守る結界のようなものなのかもしれません」
「結界ですか?」
「涙晶へ近づく者を選別する仕組み、ということです。鏡を持つあなたなら、嵐の中に道が見えるかもしれません」
凪沙は、自分の手の中の鏡を見た。
これまで、鏡は確かに道を示してくれた。
聖堂で、そして海岸で。
今度は嵐の中で何を示してくれるのだろう。
✦ ✦ ✦
「今回は険しい山道になる。多くの人数ではかえって危険が増す可能性が高い。だから前回と同じく俺とカイン、ノア、そして凪沙。この四人で動く」
「護衛は、カインだけでいいの?これから行く場所は今までよりも危ないのに」
嵐の中で王子であるノクスに何かあれば国が揺らぎ、ティアどころではなくなってしまう。
凪沙はそれが心配だった。
「これ以上増やせば誰が情報を漏らしているか分からない以上、リスクが増える。最小限で信頼できる者だけで動く方がいい」
「殿下の判断に賛成です。それに、四人なら、私一人で十分目を配れます」
「頼りにしてるよ、カイン」
ノクスから伝わる信頼に、カインは少し誇らしげな顔をした。
✦ ✦ ✦
会議が終わった後、凪沙は一人で中庭に出た。
緊張感のある会議の後で少し頭を冷やしたくて、噴水の音を聞きながらベンチに腰を下ろした。
しばらくして、ノクスが来て隣に座った。
「大丈夫か」
「うん。ちょっと、緊張してて」
「正直に言うと、今回の旅はこれまでより危険が伴う」
その言葉に、凪沙は少し身構えた。
「嵐の中を進むことになるし、山道も険しい。凪沙に無理をさせたくない」
「でも、行かなきゃいけないんだよね」
「……ああ」
ノクスは、少し言葉を選ぶように間を置いた。
「鏡を持つお前がいなければ、涙晶を見つけられないかもしれない。それは分かっている。でも」
「凪沙に何かあったら、涙晶なんてどうでもよくなる」
「王子が、そんなこと言ったら駄目だよ」
「わかってる。だから絶対に俺の指示に従ってくれ。一人で先に進もうとするな。危険を感じたら、すぐに言ってくれ」
「分かった。約束する」
ノクスは、少しほっとしたような顔をした。
「……ありがとう」
今の私にできることはノクスの不安を少しでも軽くすることだから。
✦ ✦ ✦
出発の前夜、凪沙は荷物の最終確認をしているとセシリアが訪ねてきた。
今回は、厚手の外套を持ってきてくれた。
「山は、寒さが厳しいと聞いています。これを」
「ありがとうございます」
セシリアは、凪沙の手を取った。
前回よりも、その手に力が入っていた。
「今回は、心配で仕方ないわ」
正直な言葉だった。
凪沙は、その言葉にセシリアの母としての顔を見た気がした。
「ノクスのことも、よろしくね」
また同じ言葉だったけど、今回はその意味が少し違って聞こえた。
まるで、お互いを守り合ってほしいという願いのように。
「はい。ちゃんと、お互い守ります」
凪沙が答えるとセシリアは少し驚いた顔をして、それから優しく微笑んだ。
「……頼もしくなったわね、凪沙さん」
その言葉に、凪沙は少し誇らしい気持ちになった。
✦ ✦ ✦
夜、凪沙は鏡を手に取って月明かりの下で縁を見た。
文様が、また少し増えていた。
前回よりも、もっと密に。
まるで、目的地に近づくほど鏡が語る言葉が増えていくようだった。
次は、何を見せてくれるんだろう。
怖さと、期待が同じくらいの重さで胸の中にあった。
窓の外で、星が静かに輝いていた。
明日からの旅が、どんな景色を見せてくれるのかは、まだ分からない。
でも、一人ではない。
その確信だけは、しっかりとあった。




