第三十一章 小さな祝宴
翌日、レグルス王の提案で内輪だけの小さな祝いの席が設けられた。
王都はいつの間にか冬の気配が漂い始めており、朝の空気が鼻の奥を刺すように冷たくなっていた。
ルクセリアに来てから半年近くが経ち、春に来て、夏を過ごし、秋が深まり、今は冬の入り口に立っている。
季節が一つ、ほとんど丸ごと変わっていた。
大々的な発表はまだできず、涙晶のことは国民にはまだ伏せられていた。
ティアの異変自体を公にしていない以上、その「治癒」も静かに進めるしかない。
それでも関わった人たちだけで、ささやかに労う時間を持とうということになった。
王宮の小さな食堂に長いテーブルが用意された。
レグルス王とセシリア、ノクス、カイン、ノア、そして凪沙。
さらにジブリールも、嬉しそうに駆けつけた。
「呼んでいただけて嬉しいです! 涙晶が見つかったって聞いて、もう居ても立っても居られなくて!」
ジブリールが席に着くなり、興奮した様子だったので凪沙は思わず笑った。
「でも、ジブリールには詳しいことは話せないかもしれない」
小声で言うと、ジブリールは少し首を傾げた。
「分かってます。なんとなく事情があるんだろうなって。聞かない方がいいことも、あるってことくらい」
その言葉に、凪沙は少し驚いた。
明るくて、おしゃべりなジブリールがこんなに分かってくれているとは思わなかった。
「ありがとう、ジブリール」
「私は、凪沙さんが元気で、楽しそうにしてるのが一番嬉しいので!」
ジブリールは満面の笑みで言った。
その素直さに、凪沙の胸が温かくなった。
✦ ✦ ✦
食事が進むにつれて、テーブルは賑やかになった。
セシリアが、トウマや漁村の人々のことを聞きたがって凪沙が一つ一つ話すと、嬉しそうに耳を傾けてくれた。
レグルス王は珍しく笑った顔を見せて、ノクスの子どもの頃の話を始めた。
「ノクスは、五歳の頃に城の池に落ちたことがある」
「父上、それは」
ノクスが慌てて止めようとしたけれど、レグルス王は構わず続けた。
「カインを助けようとして、自分が落ちたんだ。助けなくともカインは泳げたから何も問題なかったのだが」
「そうですね。殿下は昔から無茶をする人でした」
「お前のためだったんだぞ」
「分かっています。でも結局助けられたのは殿下の方でした」
テーブルに、笑いが広がった。
凪沙も笑いながら、ノクスの方を見た。
ノクスは少し恥ずかしそうな顔をしていたけれど、嫌そうではなかった。
ノアも、珍しく食事に集中していて手帳を開かなかった。
セシリアが「今日はゆっくりしてね」と声をかけるとノアは少し驚いた顔をして、「……そうします」と素直に頷いた。
✦ ✦ ✦
食事が終わって、皆がそれぞれの部屋に戻った後、凪沙は中庭に出た。
夜の中庭は静かだった。
噴水の音だけが、変わらずに続いていた。
空に満月が出ていて、明るい月光が石畳を白く染めていた。
凪沙は手の中の鏡を見た。
月光を受けて、銀色の蓋が静かに輝いていた。
涙晶を見つけてから、鏡はずっとこんな風に、穏やかな光を保っていた。
すると背後から足音が聞こえたので振り向くとノクスがこちらに歩いてきた。
「ここにいたか」
「うん。月が綺麗で」
ノクスは凪沙の隣に並び、二人でしばらく満月を見上げた。
「さっきの陛下が話してた池の話、本当?」
凪沙が聞くと、ノクスは少し顔を赤くした。
今日は耳ではなく、頬の方が赤かった。
「……本当だ。子どもの頃の話だ」
「優しいね、ノクスって」
「優しいというか……あの時は、ただ怖かっただけだ。カインが沈むんじゃないかと思って」
「それでも、飛び込んだんだよね」
「大切なものを失うかもしれないと思った時、考える前に動いてしまう。昔から、そういう性分らしい」
その言葉に、凪沙の胸が小さく跳ねた。
大切なものという言葉の重さが、なんとなく自分にも向けられている気がした。
これは、気のせいなのかもしれないけれど。
「ノクス」
「うん」
「今日、楽しかった。みんなで集まって、こういう時間を過ごせて」
「こういう時間が、これからも続いてほしいと思う」
ぽつりと、本音のように言った。
「あと二つの涙晶を見つけて、ティアが元に戻ったとしても……お前がここにいなくなることは想像したくない」
その言葉に、凪沙は息を呑んだ。
帰る、ということについてノクスがこんなにはっきりと気持ちを言ったのは初めてだった。
「……私も」
凪沙は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「帰りたい気持ちが、なくなったわけじゃない。お母さんのことも考える。でも……ここを離れることを考えると、前よりずっと寂しくなる」
ノクスは凪沙を見た。
月光の中で、その目が、いつもより真剣だった。
「凪沙」
「なに?」
ノクスは、何か言おうとして、一度止まった。
深く息を吸って、もう一度口を開いた。
「まだ、ちゃんと言葉にできていないことがある。でも……今は、まだ言わない方がいいと思っている」
「どうして?」
「お前が帰れるかどうか、まだ分からないから。もし……俺の気持ちを言って、それがお前の選択に影響してしまったら、それは、お前のための選択じゃなくなる」
その言葉に、凪沙の胸が、強く締めつけられた。
ノクスの誠実さが、こんな時にも彼自身の気持ちより先に出てしまう。
「ノクスは、いつもそうだね」
凪沙は、少し切なくなりながら言った。
「自分の気持ちより、私のことを先に考える」
「……それが、間違っているか?」
「ううん。優しいと思う。でも、いつかちゃんと聞かせてね。ノクスの気持ち」
「……約束する」
満月が、二人を静かに照らしていた。




