第三十章 聖堂にて
王都に着いたのは、夕暮れだった。
馬車が王宮の門をくぐると、レグルス王とセシリアが既に知らせを受けて待っていた。
涙晶の発見は、先に伝令を出して報告されていた。
レグルス王は布に包まれた涙晶を見て、しばらく言葉を失っていた。
「……本当に、見つけたのか」
「はい、父上」
ノクスが答えるとレグルス王は涙晶に手を伸ばしかけて、でも触れる前に止めた。
「聖堂で、確認しよう。今すぐに」
✦ ✦ ✦
聖堂へ向かう道のりは、不思議な緊張に包まれていた。
夕暮れの王都を、王の一行が通っていく。
何が起きているのか分からない国民たちが不思議そうにこちらを見ていた。
凪沙は、布に包まれた涙晶を自分の手で抱えていた。
重さはほとんどなかったけれど、その存在の大きさが腕の中にしっかりと感じられた。
聖堂に着くと、最奥のティアの前まで迷わず進んだ。
普段なら神官たちが行き来している時間だったけれど、今夜は王の指示で人が遠ざけられていた。
ティアの前に立つと凪沙は布をゆっくりと開いた。
涙晶がティアの光を受けて、淡く輝いた。
「近づけてみてくれ」
レグルス王からの言葉を受けて凪沙は両手で涙晶を持って、ゆっくりとティアに近づけた。
その瞬間だった。
ティアの光が、大きく揺れた。
これまで見たどの揺れとも違った。
波紋のように広がって、聖堂の壁を青白く染めていった。
涙晶も、それに応えるように強く光った。
二つの光が互いを呼び合うように、共鳴していった。
凪沙は思わず目を細めた。
光が、視界いっぱいに広がっていく。
そして光が落ち着いた時、ティアの輝きは明らかに変わっていた。
以前よりも強く、深く、安定していた。
水面に映った月のように頼りなかった光が、今は確かな存在感を持って揺れていた。
その光景にしばらく誰も口を開かず、聖堂が静寂に包まれていた。
「……本物です」
ノアの手帳を持つ手が興奮で小さく揺れながら、震えた声で喋っていた。
「ティアと共鳴したので涙晶が本物であることは間違いありません。三つ全てが揃い、鏡と共に聖堂に集まった時に初めて扉が開かれます。今夜はその確認ができました」
レグルス王は、しばらくティアを見つめていた。
その目に、これまで見せたことのない感情が浮かんでいた。
安堵と、それ以上の深い感謝のようなもの。
「ありがとう」
レグルス王は、凪沙に向かって深く頭を下げた。
「王が、客人に頭を下げるなど本来あってはならないことだ。だが……」
「やめてください、陛下」
凪沙は慌てて言った。
「私だけじゃなくて、みんなで見つけたものですから」
レグルス王は頭を上げて、凪沙を見た。
その目に、少し柔らかい光が浮かんだ。
「謙虚なところも、聖女らしい」
その言葉に、凪沙は少し照れた。
✦ ✦ ✦
その時、聖堂の入り口から足音が聞こえてきた。
ゆっくりとした、重みのある足音。
凪沙は、その音だけで誰が来たのか分かった。
ヴィクターだった。
白い長衣を纏って、いつもと同じ穏やかな笑みを浮かべていた。
でもその目は、すぐにティアと凪沙の手の中の涙晶に向いた。
「……これは、何の集まりでしょうか」
声は穏やかだったけれど、その奥に何か鋭いものが感じられた。
「涙晶を見つけた」
レグルス王が、はっきりと言った。
隠す必要はないと判断したのか、それとも、もう隠せないと分かったのか。
ヴィクターの表情がわずかに変わり、笑みは崩れなかったけれど目の奥で何かが動いた。
「……それは、素晴らしいことです」
言葉は祝福だった。
でも、その響きには祝福らしい温かさがなかった。
「ティアの力が補強されたなら、国民にとって、何よりの良い知らせでしょう」
「ヴィクター」
「なんでしょうか、殿下」
「お前はティアが弱まっていることを、なぜ隠していた」
ノクスは直接的にヴィクターに問いた。
聖堂の空気が、一瞬で張り詰めた。
ヴィクターは、しばらく何も言わなかった。
穏やかな笑みのまま、ノクスを見ていた。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「殿下は、まだお若い」
「答えろ」
「答えは、いつか分かります。今はまだ、その時ではありません」
それだけ言って、ヴィクターは深く一礼した。
「涙晶の発見おめでとうございます。今夜は、これで失礼させていただきます」
ヴィクターは、ゆっくりと聖堂の奥へ消えていった。
その後ろ姿を見ながら、凪沙は背筋に冷たいものを感じた。
いつか分かる、って……どういう意味なんだろう。
ノクスも、同じことを考えているようだった。
その顔には、安堵と、新たな不安が両方浮かんでいた。
✦ ✦ ✦
その夜、王宮の廊下で凪沙はノクスと並んで歩いていた。
「一つ、見つけられたね」
「ああ」
「あと、もう一つ」
凪沙が言うと、ノクスは少し頷いた。
「風の中に眠る涙だ。山の頂、嵐の中心にあるという」
「次は、そこへ行くの?」
「準備が必要だ。今回よりも、もっと厳しい道のりになるだろう」
凪沙はその言葉を聞いて、少し不安と、それでも前を向く気持ちが同時に湧いた。
「ヴィクターさんのこと、心配?」
「ああ。あいつが何を考えているのか、今夜でますます分からなくなった」
ノクスは窓の外を見た。
王都の灯りが、いつものように揺れていた。
「でも、今夜は……一つ、確かなことがある」
「何?」
「お前がいてくれて、本当に良かった」
その言葉は迷いのないもので、凪沙は胸に刻んだ。
「私も、ノクスがいてくれて良かった」
二人で、しばらく窓の外を見ていた。
王都の灯りが、夜の中で静かに揺れていた。




