第二十八章 漁村の人々
翌朝、四人は村へ向かった。
家々は、王都とはまるで違う作りをしていた。
石ではなく、木と藁で組まれた建物が並んでいる。
屋根は低く、潮風に耐えるためか、どこも丈夫そうな造りをしていた。
魔法灯のような洗練された灯りはなく、軒先には素朴な手作りのランプがぶら下がっている。
村の中央には小さな広場があって、漁から戻った人々が網を繕っていた。
子どもたちが砂浜で貝殻を拾いながら走り回っていて、その様子だけは王都の子どもたちと変わらなかった。
「魔法灯がない」
凪沙が小さく呟くと、ノクスが頷いた。
「この辺りはティアの恩恵が届きにくい。距離が遠いほど、魔法の効果は薄くなる」
「そうなんだ……」
凪沙は改めて村を見渡した。
王都で見た当たり前のように使われている魔法の灯りや治療魔法が、ここにはない。
それでも、人々の表情は暗くなかった。
たくましく、穏やかに、自分たちの暮らしを生きている顔をしていた。
✦ ✦ ✦
村長の家を訪ねると、白髪の老人が出迎えてくれた。
日に焼けた顔に、深い皺が刻まれていた。
ノクスが身分を明かすと、老人は驚いた様子で深く頭を下げた。
「王子殿下が、このような辺境まで……何かお力になれることがあれば」
「潜水に詳しい者を探している。湾の奥、深いところまで潜れる者がいれば」
老人は少し考えてから、頷いた。
「うちの孫が、潜るのが得意でして。漁の合間に、深いところまで行くこともあります」
呼ばれてやってきたのは、凪沙より少し年上に見える青年だった。
日に焼けた肌に、引き締まった体つき。
名前はトウマと名乗った。
「湾の奥ですか。あそこは流れが強くて、あまり潜らない場所なんですが」
「危険なら、無理にとは言わない」
ノクスが言うと、トウマは少し笑った。
「危険は承知の上です。王子殿下のご依頼なら、やらせていただきます」
その言い方には、卑屈さがなかった。
むしろ、自分の腕を信じている自然な自信があった。
✦ ✦ ✦
準備のため、ノクスたちがトウマと話している間、凪沙は広場で村の子どもたちと出会った。
砂で何か作っていた小さな女の子が、凪沙の服を見て興味深そうに近づいてきた。
「お姉ちゃん、王都から来たの?」
「うん。遠いところから」
「王都には、魔法の灯りがいっぱいあるんでしょう。見てみたいなあ」
女の子の目が輝いていた。
凪沙はその目を見て、少し胸が痛くなった。
同じ国に住んでいるのに、見える景色がこんなに違う。
「いつか、見に行けるといいね」
「うん!」
女の子は元気よく頷いて、また砂遊びに戻っていった。
凪沙はその背中を見ながら、ノクスが隣に来たことに気づいた。
「……ティアが弱まったら、王都だけじゃない。ここみたいな場所が、もっと困ることになる」
凪沙はその言葉の重さを、改めて感じた。
「ここは、すでに恩恵が薄い場所だ。完全に消えたら、ここから先に困窮が広がっていく」
「だから、涙晶を見つけることが大事なんだね」
「ああ」
ノクスは女の子の方を見た。
砂の城を作っている、小さな後ろ姿を。
「ここにいる人たちの暮らしを守るために、俺たちは王子や聖女である。そう思っている」
凪沙はその言葉を、胸の中で繰り返した。
聖女という言葉が、もう重荷ではなく自分の意志として響いた。
✦ ✦ ✦
その夜、村の家の一軒で、簡単な夕食をもらった。
魚を焼いただけの料理で、塩気がちょうど良くて、とても美味しかった。
村の人々は、突然訪ねてきた王子と異国の少女を温かく迎えてくれた。
食事の後、家の外で焚き火を囲み、村の人たちが昔話や海の伝説を話してくれた。
「この湾には、昔から不思議な言い伝えがあるんです」
老婆が、火を見つめながら言った。
「満月の夜、湾の底から青い光が昇ってくることがあると。それを見た者は幸運に恵まれると」
凪沙は、ノクスと目を合わせた。
それは涙晶の光のことだろうか。
「最近も、その光は見られますか」
ノアが聞くと、老婆は少し考えた。
「もう何年も見ていませんね。昔は、もっと頻繁に見えたものですが」
凪沙とノクスは、また目を合わせた。
光が見えなくなった。
それは、ティアが弱まっていることと無関係ではないはずだった。
焚き火の炎が、ぱちぱちと音を立てていた。
凪沙は、その音を聞きながら明日のことを思った。
明日、確かめられるかな。
鏡を握りしめると、その存在感が手のひらにしっかりと伝わってきた。
きっと、近づいているのだろう。
涙晶のある場所に。
そして、祖母が見たかもしれない景色に。




