第十八章 旅路
出発の朝は、空が淡い桃色に染まっていた。
王宮の正門に馬車が二台用意されており一台は荷物用で、もう一台が人を乗せる用だった。
黒い木製の車体に金の縁取りに、馬が二頭繋がれていて蹄が石畳を叩く音が朝の静けさの中に響いていた。
カインが荷物の確認をしていて、ノアは手帳を開いたまま馬車に乗り込もうとして踏み台を踏み外しかけた。
カインが無言で支えると、ノアは「ありがとうございます」と言いながらもまだ手帳から目を離さなかった。
その光景に凪沙は思わず笑った。
「いつもああなんですか」
カインに聞くと、カインは短く答えた。
「毎回です」
ノクスが凪沙の隣に来ると、旅向きの少し動きやすい装いで普段より少しだけ軽やかに見えた。
「乗れるか」
「うん」
ノクスが先に乗り込んで、手を差し伸べた。
凪沙はその手を取って、馬車に乗り込んだ。
ノクスの手は温かい手だった。
すぐに離れたけれど、その温度がしばらく手のひらに残った。
✦ ✦ ✦
王都の門を抜けると、景色が変わった。
石畳の道が続いていたけれど、両側に広がるのは白い建物ではなく緑だった。
木々が続いて、その間に畑が見えて朝露が光を受けてきらきらしていた。
農業魔法を使っているのか、季節外れに見える花が咲いている畑もあった。
凪沙は窓にほとんど張り付くようにして外を見ていた。
「凪沙は王都の外は初めてだったな」
向かいの席に座っていて、凪沙の様子を見ていたらしかった。
「うん。全然違う」
「どこが」
「空が広い。王都にいると、建物があるから空が狭く見えてたんだと思う。ここは遮るものが何もなくて」
凪沙は窓から顔を引っ込めてノクスを見た。
「ノクスは、王都の外ってよく行く?」
「公務で各地を回ることはある。でも……こういう形の旅は、久しぶりだ」
「こういう形って?」
「目的はあるが急ぎではない。人数も少なくて窮屈じゃない。だから、悪くない」
その声が少し柔らかかった。
窓から差し込む朝の光が、ノクスの銀髪を金色に染めていた。
向かいの席でノアが手帳を開いたまま眠り始めた。
カインがそれを見て、静かに溜め息をついた。
✦ ✦ ✦
馬車が揺れる中で、凪沙はノクスに色々と聞いた。
ルクセリアの地理のことや、各都市の特色のこと、王家の歴史のこと。
ノクスは面倒がらずに答えてくれた。
時々ノアが目を覚まして、ノクスの説明に「それは正確には少し違って」と補足を入れた。
するとノクスが「お前は起きていたのか」と言い、ノアが「途中から」と答えた。
そのやり取りを見ていると、二人が幼い頃からの知り合いなのだと分かった。
言葉数は少ないけれど、距離が近い。
「ノクスとノアさんって、昔から仲良かったの?」
「仲良い、というか」
ノクスが少し考えた。
「ノアは子どもの頃から書庫に入り浸っていた。俺も書庫が好きだったから、よく会った」
「殿下は本を読むより地図を見ていましたね」
ノアが手帳に目を落としながら言った。
「各地の地図を全部眺めて、どこへ行けばどの道が最短か、ということをずっと考えていた」
「子どもの頃から王子らしい」
凪沙が言うと、ノクスは少し目を逸らした。
「……そういうわけじゃない」
「どういうわけだったの?」
「どこかへ行きたかっただけだ。ただ、王子だから一人では行けなくて」
その言葉が、思いのほか素直で、凪沙は少し黙った。
子どもの頃のノクスを想像した。
地図を広げて、行けない場所を眺めていた銀髪の男の子を。
「今は行けてるね」
「……そうだな」
ノクスはまた窓の外を見た。緑が続いていた。
道の先に、うっすらと建物の輪郭が見え始めていた。
✦ ✦ ✦
セントリアが見えてきたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
王都とは違う街だった。
白い石造りという点は同じだけれど、あちこちに高い尖塔が立っていて、その先に十字に似た形の飾りがついていた。
街全体が、静かに敬い、慎む雰囲気を纏っているような印象だった。
門をくぐると、石畳の道が続いていた。
行き交う人たちの中に、白い衣を纏った神官の姿が多かった。
王都とは違って賑やかさよりも落ち着きがあって、でも冷たくはなかった。
巡礼者らしき旅人がいて、小さな礼拝堂の前で祈りを捧げている人がいて、子どもたちが石畳の上で遊んでいた。
「凪沙さん!!!」
聞き慣れた声が飛んできた。
馬車の窓から顔を出すと、ジブリールが道端で手を振っていた。
栗色の髪が揺れて、満面の笑みで走ってきた。
「来ました来ました!待ってましたよ!」
馬車が止まると、ジブリールが扉に駆け寄ってきた。ノ
クスが先に降りて、次に凪沙が降りた。
「もう着いてたの?」
「昨日から帰ってました!聖堂の仕事の都合で一日早く帰省してて、ちょうど良かったです」
ジブリールは凪沙の手を両手で掴んで、嬉しそうに揺らした。
「地元に来てもらえて嬉しい!案内します! 美味しいものもたくさんありますよ!」
「ジブリール、まず宿に入れ」
カインが言った。
ジブリールはきりっとした顔で頷いた。
「もちろんです!いい宿、押さえてあります!」
凪沙は改めてセントリアの街を見渡した。
尖塔の向こうに、青い空が広がっていた。
風が王都より少し冷たくて、でも気持ちよかった。
おばあちゃんもここにも来たのかな?と思った。
同じ風を、同じ石畳を、祖母も感じたのかもしれない。
そう思うと、初めての街なのにどこかなじみがある気がした。
「初めてのセントリアはどうだ?」
「好きかもしれない、この街」
凪沙が答えると、ノクスは少し口元を緩めた。
「そうか」
それだけ言って、先に歩き出した。
凪沙はその後を追いながら、ショールを少し引き上げた。
セシリアが持たせてくれた、薄い青色のショールを。




