第十四章 祭りの夜
書庫での発見から三日が経って、ノアは王宮にこもりきりになった。
いつの間にかルクセリアに来てひと月半が過ぎており、夏の日差しが王都の白い石造りの建物に降り注いで、朝から光がまぶしかった。
ノアは食事を忘れることもあるらしく、カインが「また昼を食べていない」と呆れた顔で言っていた。
凪沙が差し入れを持っていくとノアは顔を上げずに「ありがとうございます」と言って、でも二時間後にはまた手つかずのままだった。
「ノアさんって、ああいう人なんですね」
帰り道、ジブリールに言うと苦笑いした。
「昔からです。気になったら止まれない人で。でも必ず結果を出すんですよ。だからみんな信頼してて」
「そっか」
「あ、そうだ!凪沙さん、今週末にルミナ祭があるの知ってますか?」
ジブリールが急に声を弾ませた。
「ルミナ祭?」
「年に一度、女神ルミナへの感謝を捧げるお祭りです。王都全体でやるんですよ。夜に大通りに灯篭を流して、露店が出て、魔法の花火もあって。すごく綺麗なんです」
「花火……魔法の?」
「普通の花火より色が多くて、形も自由に作れるんです。去年は蝶の形の花火が出て、それはもう綺麗で」
ジブリールは目を輝かせながら続けた。
「凪沙さんも行きましょうよ!殿下も毎年出席されるはずですし!」
「ノクスも来るの?」
「公式の行事なので。でも途中で抜け出すことはできるはずで……」
ジブリールはにやりとした。
「二人で見たら素敵じゃないですか、花火」
「……それを私に言うの?」
「殿下には言えないので」
凪沙は戸惑いながらも、胸の中が少しだけ温かくなるのを感じた。
✦ ✦ ✦
祭りの夜、王都は別の顔をしていた。
大通りに露店が並んで、色とりどりの布で飾られていた。
魔法の灯りがいつもより多く灯されていて、街全体がほんのりと橙色と青白い光に包まれていた。
どこからか聞こえてきた弦楽器の音と、誰かの歌声が混ざって夜風に乗って流れてくる。
凪沙は人ごみの中で立ち止まって、ぐるりと見渡した。
日本のお祭りとは全然違う。
でも、お祭りの持つあの独特の浮き立つ空気は同じだった。
非日常が日常の中に紛れ込んできたような、特別な夜の感じ。
そして隣にノクスがいる。
公式の行事を終えて、目立たない格好に着替えてきたらしく、いつもの王子らしい衣装ではなかった。
濃い色の上着に外套。
銀髪は少し隠れるように帽子をかぶっていた。
それでも顔立ちは隠れなくて、すれ違う人たちが時々振り返っていたけれど、ノクスは気にした様子もなかった。
「来たかったんだろ」
凪沙が周囲を見渡しているのを見て、ノクスが言った。
からかっているわけではなく、ただ確認しているような口ぶりだった。
「うん。ジブリールが教えてくれて」
「ジブリールか……」
何かを察したような顔をしたけれど、ノクスは何も言わなかった。
二人で大通りを歩いた。
露店を覗きながら、ゆっくりと。
凪沙が気になったものがあると立ち止まり、ノクスはその隣で待ってくれた。
小さな細工物を売る露店の前で、凪沙は足を止めた。
ガラスで作られた小さな雫型の飾りが、魔法の灯りを受けてきらきらと光っていた。
涙の形。
それはティアと同じ形に思えた。
「綺麗だね」
「ルミナ祭の定番だ。女神の涙を模した飾りだから」
「そうなんだ」
凪沙はその一つを手に取って、光に透かしてみた。
中が空洞になっていて、光が屈折して虹色に散らばったので思わず声が出た。
「わあ」
隣でノクスが露店の主人に何かを言って、小さな袋を受け取った。
凪沙がそれを見ると、ノクスは少し目を逸らして差し出した。
「持っていろ」
「買ってくれたの?」
「……初めてのルミナ祭だろ。記念くらいいいだろ」
ぶっきらぼうな言い方だったけれど、耳が少し赤かった。
凪沙は袋を受け取って、中を覗いた。
さっき手に取ったのと同じ雫型の飾りが入っていた。
「ありがとう。大切にする」
「……そんな大げさなものじゃない」
ノクスはそう言いながら、また前を向いた。
その横顔が、祭りの灯りを受けて少し柔らかく見えた。
✦ ✦ ✦
大通りの端に川があって、そこに灯篭が流されていた。
白い紙でできた小さな舟の形の灯篭が蝋燭の明かりを揺らしながら、川の上をゆっくりと流れていった。
いくつもいくつも、上流から流れてきて視界の端まで続いていた。
凪沙は川岸に立って、それをしばらく眺めた。
ノクスも隣に立っていた。
「灯篭には何を込めるの?」
「感謝と願い事だ。女神ルミナへ届けるために流す」
「ノクスは何を願う?」
「……ティアが、持ちこたえてくれること」
静かに言った。
でもその言葉の重さを、凪沙はもう知っていた。
その時、夜空に光が散った。
花火だった。
でも凪沙の知っている花火とは全然違った。
光が広がった先から、蝶の形が生まれた。
青白い蝶が夜空を舞って、ゆっくりと消えていった。
次は星の形。次は、涙の形。
「……綺麗」
凪沙は空を見上げたまま言った。
ノクスは空を見ていなかった。
凪沙がそれに気づいたのは、花火が三つ目に上がった時だった。
視線を感じて横を向くと、ノクスが凪沙を見ていた。
空ではなく、凪沙を。
目が合うとノクスはすぐに空へ視線を戻した。
声には出なかったけれど、口元がいつもより硬く結ばれていた。
凪沙はまた空を見た。
蝶の形の花火が、また一つ夜空に広がっては消えていく。
胸の中が、さっきより温かかった。
鏡が温かくなる時に似ていたけれど鏡は今、袋の中に入ったままだった。




