第十一章 時間の話
気づいたのは、ふとした瞬間だった。
朝食の席で窓から差し込む光を眺めていた時。
ここに来てから何日経つか指を折って数えようとして、ふと思った。
お母さんは、今どうしてるんだろう。
胸の奥に、ずっと沈めていた問いが浮かんできた。
日本では、どのくらいの時間が経っているのだろう。
ルクセリアに来てから二週間以上が経つ。
でも祖母から、鏡には不思議な力があると聞いたことがあった気がする。ルクセリアでの時間と、日本での時間は、同じように流れているわけではないかもしれない。
でも確かなことは何も分からなかった。
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その日の夕方、ノクスを捕まえたのは廊下だった。
公務から戻ってきた彼は凪沙の顔を見て足を止めた。
「どうした」
「聞いていいですか」
改まった言い方になってしまったせいかノクスが少し表情を引き締めた。
「……ここでの時間と、私の世界での時間って、同じ速さで流れてる?」
ノクスは黙った。
少しの間だったけれど、その沈黙で凪沙には分かった。
簡単な答えではないのだと。
「……正直に言うと、分からない」
やがて静かに言った。
「異世界との時間の流れが同じかどうか、王家にも記録がない。伝承には、世界と世界の間には隔たりがあると残っているが、具体的にどのくらいの差があるのかは、誰も確かめられていない」
分からない…その事実に息が止まりそうだった。
その言葉が思ったより重かった。
お母さんが今どうしているのか、どのくらい時間が経っているのか、それすら何も分からない。
それがじわじわと、胸の中に広がっていった。
「……そっか」
「ノアに頼んで調べてもらう。鏡の魔力からなにか分かるかもしれない」
「うん。お願いしてもいい?」
「もちろんだ」
ノクスは目を逸らさずに答えた。
それが少し、凪沙の心を落ち着かせた。
「帰れるかな。私」
気づいたら口に出ていた。
ずっと聞けなかった言葉が、やっと出てきた。
廊下の窓から夕暮れの光が差し込んで、石畳を橙色に染めていた。
「方法は、まだ分からない」
ノクスの言葉は正直だった。
「鏡がどうやってお前をここへ連れてきたのかノアが研究している。帰る方法も、同じ原理のはずだ。でも今は、まだ」
「まだ、分からない」
「……ああ」
凪沙は廊下の壁に背を預けた。
力が抜けたわけではなかった。
ただ、どこかに体を預けたかった。
帰れないかもしれない。
その可能性は、来た時から頭の片隅にあった。
でも今日初めて、ちゃんと向き合った気がした。
ノクスは凪沙の隣の壁に背を預けた。
少し距離を置いて、でも同じ壁に。
「……帰したくないわけじゃない」
低い声で、ゆっくりと言った。
「凪沙に帰る場所があることは知っている。凪沙の世界に家族がいることも」
「うん」
「だから……必ず、方法を見つける。ノアにも急いでもらう」
凪沙はノクスを見た。
横顔が夕暮れの光を受けていた。
彼の真剣な目は約束をしている目だった。
「でも、帰る方法が見つかった時に凪沙がどうしたいかは、凪沙が決めていい」
凪沙は何も言えなかった。
どうしたいかは、まだ分からない。
帰りたい気持ちもある。
でもここにいたい気持ちも、確かにある。
その二つが胸の中でぶつかって、どちらが正直なのか分からなかった。
「……ありがとう」
ノクスは何も言わずに少しだけ凪沙の方へ顔を向けた。
廊下に夕暮れが満ちていた。
二人の影が、同じ壁に並んで伸びていた。




