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高校生、うっかりマズローを論破してしまう  作者: シンリーベクトル


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課金がゴールのガチャ産業



放課後の部室。

佐伯がドアを開けて入ってきた。

「みんな、ちょっといい?」


その後ろには、三年生らしき男子が立っていた。制服はきちんと着ているが、どこか疲れた顔をしている。


「この人、三年の南条先輩。受験も近いのに、最近ずっと元気ないんだって」


西村がノートを閉じて向き直る。

「体調不良?」


南条は首を振る。

「いや……塾に入ったんだけどさ、入った瞬間“これで安心”って思っちゃったんだ。

 授業は受けてるけど、机に向かう時間は減ってる」



高橋がニヤリと笑う。

「典型的だな。“塾に通う=努力してる”って錯覚。

 本番のレースはまだ始まってないのに、もうゴールまでのルートをゲットしたと錯覚してやがる」


俺はぼそっと言う。

「しかも、その錯覚って摩擦係数を上げる。

 “もうやってる感”って重りがついて、動き出すのが遅くなる」


西村は黒板に小さな矢印を描きながら言った。

「さらに、塾のペースに完全に合わせると、本来の自分のペースと速度にノイズが入る。

 私も一回だけ塾に入ったことあるけど——三日で辞めた」


南条が目を丸くする。

「三日!? なんで?」


西村はチョークで簡単な計算式を書きながら淡々と答える。

「一コマ90分で問題5問。家なら同じ時間で20問解ける。

 効率は塾の4倍。だから通う意味がないって結論になった

メリット‥でもないけどお金を払えばこんだけ勉強しましたよーという安心感が買えるだけだしね」


南条は小さくうなずき、考え込んだ。

「……言われてみれば、家でやってた頃のほうが進みは早かったかも」



高橋が肩をすくめる。

「あんだけ欲しかったゲームのキャラがガチャを当ててしまえば安心でゲーム熱が覚める事あるだろう?」


西村が続ける。

「摩擦を減らすには、潤滑剤を足すか、角度を変えるか。どっちも自分で選べる」


佐伯が南条に笑いかける。

「じゃあ、まずは“今日は30分やればOK”って日にしてみません?」


南条は少し考えてから、小さくうなずいた。



その時、国枝先生が勢いよく顔を出した。

「お前ら、コーヒーの件進展あったか?」


高橋が即答する。

「先生、それも摩擦係数下げないと解決しませんよ」


先生は真顔で言った。

「じゃあ潤滑剤持ってこい」


南条が思わず笑った。止まっていた矢印が、少しだけ動き出した気がした。

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