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高校生、うっかりマズローを論破してしまう  作者: シンリーベクトル


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依頼


部活が正式に認められて最初の放課後。

佐伯がプリントを机に置き、やけにリーダーらしい声を出した。

「部活のタスクとってきたよ。二年の女子。遅刻と欠席が増えて、このままだと不登校になるかもって」


山本が眉をひそめる。

「いつのまに‥人助けクラブに?」

スルー‥みんな空気読むのがうまいなぁ


「詳しくはわからない。本人は何も話してないらしい」


俺は窓の外を見た。

「それはまさしく“環境の摩擦係数”が上がったサインやね」


西村が補足する。

「摩擦が上がるってことは、日常の動作に必要な外力が増えるってこと。

学校に来るという動きも、その力を超えられなければ止まる」


窓際の高橋が、無表情で顎に手をやる。

「じゃあ、摩擦を下げるか、外力を強くするかだな。……外力って、場合によっちゃ“脅し”でも成立するだろ?」


山本がわずかに引きつった笑みを浮かべる。

佐伯が咳払いして、話題を戻した。

「まずは接点を作ろう。話してもらえなきゃ、何も始まらない」



翌日、俺たちはその女子――坂井を昼休みに見つけた。

教室の隅でスマホを見ている。

佐伯が軽く声をかけると、最初は警戒したが、山本が自分の過去を一言だけ話すと、坂井の表情が少し緩んだ。


「……父親が最近仕事辞めて、家にずっといて。気分が悪いと私に当たる」


空気が一瞬で重くなる。


俺は静かに言った。

「原因は家庭か。外に出ることが、そのまま安全圏になるようにすればいい」


高橋が淡々と提案する。

「俺、部室の棚を直す予定だったけど、手伝ってくれないかって口実で呼ぶのはどうだ。作業中は話さなくてもいい。」


その温度のない声に、坂井が一瞬きょとんとした。

西村が頷く。

「手を動かす作業は、思考を軽くして摩擦係数を下げる効果がある」


佐伯が笑顔で言った。

「じゃあ決まり! まずは部室に来てもらおう」



放課後、坂井は部室の扉の前で立ち止まっていた。

中から高橋が顔を出す。

「ほら、こっち。逃げたいなら今のうちだぞ。……逃げても、家の摩擦は減らないと思うけどな」


中に入ると、机の上には工具と木材。

佐伯が明るく手を振る。

「坂井さん、これ持ってきてくれる?」


ぎこちなく作業を始めた坂井の指先から、少しずつ力が抜けていく。

ネジを締める音が、教室のざわめきとは違う、一定のリズムを刻む。


「……家にいると、息苦しくなる」

ぽつりと漏らした声は、工具の音にかき消されそうだった。


高橋は手を止めずに、薄く笑った。

「じゃあ、ここにいればいい。少なくとも、俺たちは殴らない」


──外力で動かすより、摩擦を減らす方が早いときもある。

今日、坂井の道はほんの少しだけ、滑りやすくなった。

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