第8話 誰が責任を取るのか
「三号機、明日の試験予定に入っています」
翌朝八時三十五分、村瀬が生産計画を示した。
安全承認は未了。
機械が動くわけではないが、搬入と人員配置は再開を見込んで組まれている。
「計画側へ保留を反映してもらおう。会議では、昨日の設定履歴を使う」
佐藤は林遠の技術要約を添えた。
旧仕様の承認と、現在の用途に対する確認は、分けて説明する必要があった。
*
九時十分、製造技術部の担当者は承認記録を開いた。
「当時の手順には従っています。数値と単位の検査も通っています」
「その点は確認しました」
佐藤は答えた。
「今日は、用途が増えたときの検証条件を知りたいんです」
担当者は評価資料をたどった。
旧データを使う構成はあるが、その量を実測偏差として扱えるかを、この資料だけでは説明できなかった。
「製品側の適用条件も取り寄せます」
「お願いします」
製造部の責任者が、代替ラインの予定を示した。
「こちらも止め続けられません。振り替え先の保守時間が削れています」
佐藤は予定表を見た。
三号機だけを考えれば済む状態ではない。
「午後三時までに、比較項目を絞った検証案を出します。実施できる条件も明記します」
大野が生産管理へ、再開未承認を計画に反映するよう連絡した。
「先に準備だけが進まないようにします。検証に使える保守枠を確認しましょう」
*
瀾華時間、午前十時二十分。
林遠の端末に、東都側から追加の照会が届いた。
『三号機再評価に関する技術見解の提出依頼』
内容を読んでいた林遠は、最後の項目で手を止めた。
『現行設定での継続運転可否について、技術的見解を求める』
「……これは、答えられないな」
隣の小趙が顔を上げた。
「何ですか?」
「東都側が、運転を続けていいか聞いてきている」
「林さんなら、分かるんじゃないですか?」
「現物を見ていない」
「ログはありますよね」
「全部じゃない。それに、設備の状態も、運転条件も、東都側が管理している」
林遠は照会文を閉じた。
「こっちが答えられるのは、旧データの定義と変換処理の範囲までだ」
「じゃあ、断るんですか?」
「必要なことは答える。ただ、答えられないことまで引き受けない」
林遠は陳凱に連絡した。
十分後、会議室で追加依頼の内容を説明した。
陳凱は資料を読み、眉を寄せた。
「運転可否まで求められているのか」
「はい」
「最初の二日間の技術支援には入っていないな」
「入っていません」
「どう返すつもりだ?」
林遠は準備した文書を表示した。
『確認済みの事実』
『追加検証が必要な事項』
『現地で判断すべき事項』
「旧項目の定義と、当初の使用範囲は確認できます」
林遠は最初の欄を指した。
「ただし、現在の評価モデルへの影響は、変換処理と入力条件を確認しないと判断できません」
「運転可否は?」
「こちらでは判定しません。東都側の現地責任者が、安全手順と設備状態を踏まえて判断する必要があります」
陳凱はうなずいた。
「それでいい」
「ただ、追加の技術検証には時間が必要です」
「どれくらいだ?」
「今日の残りと、明日の半日程度です」
「契約は?」
「追加作業として承認を取る必要があります」
陳凱は少し考えた。
「じゃあ、必要な工数を出してくれ」
「私がですか?」
「作業の中身は、お前が一番分かっている。金額と契約条件は会社で決める。お前は、何をどこまで調べるか整理してくれ」
「分かりました」
会議室を出ると、小趙が待っていた。
「どうでした?」
「追加作業の範囲をまとめることになった」
「じゃあ、続けられるんですね」
「先方が承認すればな」
林遠は席に戻った。
画面の左側には、引き継ぎ作業の一覧が残っている。
『未完了:二十三件』
その隣に、新しい文書を開いた。
『東都向け追加技術支援・工数見積』
最初の項目を入力する。
『旧形式の時刻変換処理の確認』
次に、必要な資料。
確認方法。
想定時間。
作業範囲外となる事項。
林遠は、最後の欄で少し手を止めた。
『現地設備の運転可否判断』
そこに、対象外と記入した。
今まで、頼まれた仕事は、できるだけ引き受けてきた。
時間が足りなければ、残業した。
分からないことがあれば、自分で調べた。
それでも、来月には会社を辞めることになる。
林遠は、もう一度、工数見積の画面を見た。
仕事を引き受けるというのは、何でも引き受けることではない。
どこまでできるかを決めることも、仕事の一部だった。
*
東都時間、午後一時三十分。
村瀬は制御器の時刻と収集サーバーの時刻を並べた。
変換後の時刻しかない古い記録もある。
「過去ログだけでは、反転直前の順番を決められない部分があります」
佐藤はうなずいた。
「独立計測なら、今の指令と動きを比べられるか」
「はい。ただ、動きの遅れを時計の差として消してはいけません。制御器の記録と外部計測器に共通の基準信号を記録できるか、保全に確認しました」
村瀬は接続図を示した。
基準信号で時計の対応を取り、手首軸の動きは別の測定値として残す。
「必要な精度が出なければ、結果を判定には使いません」
「それでいこう。旧データの問題を全部解く試験にはしない。今の指令に対して、実機がどう応じるかを測る」
中止条件と保存先を確認し、二時四十二分に計画を提出した。
*
午後三時五十分。
大野は検証計画を読み終えた。
「確認したいのは、時刻の対応関係ですね」
「はい」
佐藤が答えた。
「それが確認できれば、補正指令と実測動作の関係を、現在より正確に評価できます」
「異常音の原因まで分かりますか」
「この試験だけでは特定できません。ただ、次に必要な検証を絞れます」
大野はうなずいた。
「実機を動かす必要は?」
「オフライン比較で確認できる部分を先に進めます。その結果を踏まえ、現場検証が必要で、安全条件が整った場合に限って、許可された低速動作を実施します」
製造部の責任者が口を開いた。
「試験をしない可能性もあるんですね」
「あります」
「それでは、明日まで待つ意味がないのでは?」
「条件が整わないまま動かしても、判断に使える結果が得られない可能性があります」
佐藤は答えた。
「その場合は、動かさない方がいいと考えています」
大野は資料を閉じた。
「分かりました」
会議室が静かになった。
「正式な連続稼働試験の停止は継続します」
佐藤は、ゆっくり息を吐いた。
「ありがとうございます」
「ただし、明日の現場検証は、保守作業のために確保した時間の一部だけを使います」
大野は予定表を表示した。
「四十五分です」
村瀬が顔を上げた。
「四十五分……」
「準備と片づけも含めてです。安全条件が整わなければ実施しません。時間を超える場合は中止してください」
「承知しました」
佐藤は答えた。
「それから」
大野は製造部の責任者を見た。
「生産計画の再調整は、私から説明します」
「分かりました。ただ、明日の結果を受けて、次の判断は必ずお願いします」
「もちろんです」
大野は佐藤に向き直った。
「佐藤さん。技術的な見解は、あなたが出してください」
「はい」
「最終的な再開可否は、所定の承認手続きで決めます」
「承知しています」
「責任を曖昧にしないためです」
佐藤はうなずいた。
誰か一人に、すべてを背負わせるわけではない。
だが、誰も判断しなくていいわけでもない。
それぞれが、自分の判断に責任を持つ。
ようやく、その形が見えた気がした。
*
午後四時二十八分。
佐藤が制御室へ戻ると、妻からメッセージが届いていた。
『お義母さんの病院、予約が取れたよ。明日、帰ってから少し相談できる?』
佐藤は時計を見た。
明日の現場検証は午後。
四十五分で終わっても、その後に記録を確認する必要がある。
『分かった。遅くなるなら早めに連絡する』
送信すると、すぐに返信が来た。
『無理しないでね』
佐藤はスマートフォンを伏せた。
机の上には、明日の検証計画がある。
その横には、母親の通院予定を記した手帳。
佐藤は手帳を開き、明日の欄に小さく丸をつけた。
それから、村瀬の席へ向かった。
「準備はどうだ?」
「計測器は確保できました。ただ、時刻同期の確認が残っています」
「分かった。今日できるところまで進めよう」
「はい」
*
午後五時十五分、村瀬は計測器の割り当てを確認した。
「準備と撤収を含めて四十五分。動作を全部は入れられません」
佐藤は試験項目を減らした。
最初に時計の対応を確認する。
次に反転動作。
追加比較は余裕がある場合だけ。
「測れなかった場合も、理由を残そう」
「取り付けに時間がかかったのか、精度が足りなかったのか、ですね」
「ああ。次の人が同じ準備をやり直さずに済むように」
村瀬は空の記録様式も作った。
結果の欄だけが白い。
林遠から、旧形式の時刻変換処理を確認中との返信が届いた。
佐藤は独立計測の予定を伝えた。
「明日は、同期確認が通らなければそこで終了です」
村瀬が言った。
「分かってる。残り時間を取り戻そうとして、順番を変えない」
佐藤は四十五分の枠を印刷した。
準備、測定、保存、撤収。
必要な仕事だけに絞っても、余白はほとんどなかった。
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