第7話 古い記録の一行
「林さん、閲覧許可が下りました」
翌日、午前十時十七分。
小趙が旧資料管理システムを示した。
KS四一七の二。
黄ばんだ移管記録の最後に、補足確認票が綴じられていた。
『旧制御器の軸補正指令値は、実測された軌道偏差を示すものではない。』
林遠は対象型式を照合した。
系列は現物写真と一致する。ただし、ファームウェア版はまだ確定できない。
「最初の注記を、型式ごとに詳しくした資料ですね」
小趙が言った。
「ああ。この値を今どこで使っているか、追おう」
林遠が原本を読んでいる間に、小趙は共有可能な要約の申請を準備した。
*
河図には、解析利用が認められた現行仕様と構成図を指定した。
変換後の値の参照先は四件。
診断履歴表示、変換データ検証、動作補正評価、保守用デジタルツイン。
林遠は後ろの二件を開いた。
「履歴を読むだけじゃなくなってる」
古い運転データを、新しい設備の評価にも使う。
更新後も記録を活用できるのは、この製品の長所だった。
「実機への反映は二通りあります」
小趙が別の仕様を示した。
「自動と、担当者承認後。三号機の設定は東都側で確認が必要です」
林遠は照会を作った。
定義が違うことは分かった。
今度は、その違いをどこで扱っているかだ。
*
東都時間、午前十一時四十二分。
第三工場の制御室では、村瀬が二つの記録を並べていた。
異常音が出た日の試験。
その後に行った制限付き診断。
指令値。
実測値。
モーター電流。
手首軸の角度。
それぞれの波形が、画面に重なっている。
「佐藤さん、ここを見てください」
村瀬が言った。
「反転直前です」
佐藤は画面をのぞいた。
異常音が出た日の記録では、補正指令の変化が少し鋭い。
後の診断では、なだらかだった。
「時間軸はそろえたか?」
「まだ完全ではありません」
「記録周期が違うんだな」
「はい。制御ログと実測ログで、取得周期が違います」
村瀬は別の画面を開いた。
「それで、同期方法を調べていたんですが……」
そこには、現在の設備診断システムの構成図が表示されていた。
制御器。
センサー。
診断サーバー。
デジタルツイン。
そして、その上に、AI評価モデル。
村瀬は一つの接続線を指した。
「実測ログの一部は、デジタルツイン側で時刻を補正しているみたいです」
「補正方法は?」
「標準設定だと、収集時刻を基準にしているようです。ただ、三号機で同じ設定かどうかは確認中です」
佐藤は画面を見た。
「なら、画面上で重なって見えても、実際の順番が同じとは限らないな」
「はい」
村瀬は少し悔しそうに笑った。
「最初に波形を見つけたときは、何か分かったと思ったんですけど」
「見つけたことは無駄じゃない」
佐藤は言った。
「比較できない理由が分かった。それも進展だ」
村瀬はうなずいた。
そのとき、佐藤の端末に連絡が届いた。
林遠からだった。
『旧資料の補足定義を確認しました。正式な共有手続き中ですが、技術的に確認したい項目があります』
続けて、通話の依頼。
佐藤は時計を見た。
十一時四十七分。
瀾華では十時四十七分だ。
「村瀬、同席してくれるか」
「はい」
*
林遠と通話がつながった。
共有許可が出た要約を、佐藤と村瀬が読む。
「こちらでも、時刻の扱いを調べています」
村瀬は構成図を示した。
「制御器、収集サーバー、モデル側で時刻が別です。今の重ね合わせだけでは、差を正確に読めません」
「そこは重要ですね。指令値と実測値を、別々に追える形にできますか」
林遠が聞いた。
「独立計測も含めて検討します。評価結果の反映方式は、こちらで確認します」
佐藤が答えた。
双方の確認項目が同じ表に並んだ。
型式と版、入力の意味、時刻、実機反映。
「ようやく、調べる相手と項目がそろいましたね」
佐藤が言うと、訳音声のあとで林遠が応じた。
「ええ。ここからは、別々の表を作らずに済みます」
*
午後一時十五分。
村瀬は診断システムの設定記録を開いていた。
三号機のデジタルツイン。
過去の運転データをもとに、設備の状態を再現する仕組みだ。
通常は、設備の摩耗や負荷の変化を予測し、保守時期の判断に使われている。
村瀬は設定一覧をスクロールした。
「佐藤さん、見つかりました」
「何が?」
「三号機の運用設定です」
佐藤は隣に立った。
画面には、二つの項目が並んでいた。
『評価結果の自動反映:無効』
『補正設定の変更:担当者承認が必要』
佐藤は、少し肩の力を抜いた。
「少なくとも、AIが勝手に補正設定を変える運用ではないんだな」
「はい」
「承認履歴は?」
「あります」
村瀬が画面を切り替えた。
直近の変更記録が表示された。
変更日。
担当部署。
承認者。
変更内容。
佐藤は一つずつ確認した。
「補正設定の更新は、連続稼働試験の開始前か」
「はい」
「変更理由は?」
「デジタルツインの評価結果をもとに、手首軸の動作を微調整した、とあります」
佐藤は画面を見た。
AIが直接設備を動かしたわけではない。
だが、AIの評価結果が、人間の承認を経て、実機の設定に反映されている。
「承認者は?」
村瀬は記録を開いた。
そこには、製造技術部の担当者名があった。
佐藤の知らない名前ではなかった。
以前、設備更新の会議で何度か顔を合わせたことがある。
「佐藤さん?」
村瀬が声をかけた。
「どうしました?」
「いや」
佐藤は画面を閉じなかった。
「この変更が悪いとは限らない」
「はい」
「でも、今回の異常音との関係は確認する必要がある」
村瀬はうなずいた。
「変更前の設定、残ってますかね」
「履歴を調べよう」
二人は、変更前後の設定差を確認し始めた。
*
瀾華時間、午後二時四十分。
小趙は改訂前後の資料を並べた。
「補足確認票のあと、説明文は変わっています。変換式はそのままです」
林遠は当時の承認記録を開いた。
『履歴参照および保守診断用途を対象とする』
自分の名前の横に、その一文がある。
「最初から、動作補正評価を対象にした仕様じゃなかった」
「なら、用途が増えたときの審査を探す必要がありますね」
小趙が言った。
林遠はうなずいた。
古い式を直すべきか、使う側を直すべきか。
先に、その境目を調べなければならない。
報告には当初の対象用途と、現用途についての追加確認事項を書き分けた。
送信前、小趙が報告書の表題を指した。
「『変換の誤り』だと、今の結論より強すぎますよね」
林遠は自分が仮に入れた見出しを見た。
調べ始めたときの疑いが、そのまま残っている。
「そうだな。『適用範囲の確認』にしよう」
小趙は直した版を保存した。
林遠は、最初の推測を残したまま説明しかけたことを、作業メモにも記した。
*
東都時間、午後四時四十八分。
佐藤が計画を提出すると、大野は翌日の会議に製造技術部も呼ぶと決めた。
「設定を承認した担当者に、評価時の条件を説明してもらいます」
「お願いします。変更前の設定も比較します」
制御室へ戻る途中、村瀬から連絡が届いた。
『変更前の設定が見つかりました。手首軸の補正設定に差があります』
佐藤は足を速めた。
画面には変更前後の値と、動作安定性を改善するための評価資料が並んでいた。
「この入力に、旧変換データが使われています」
村瀬が参照先を開く。
林遠の報告と照合すると、当初の対象用途とは違う処理につながっていた。
「承認記録もあります。ただ、再評価の担当欄は部署名だけです」
「明日、そこで判断できる人に来てもらおう」
佐藤は資料を保存した。
誰かが勝手に機械を動かしたわけではない。
提案も承認も記録されていた。
その判断が何を前提にしたのかを、今度は確かめる。
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