第6話 一時間だけの猶予
「佐藤さん。九時半までに、再開判断を出してください」
午前八時三十分。
大野は製造部から届いた予定表を机に置いた。
「旧制御器の調査完了も、その時刻まででしょうか」
「少なくとも、次に何をするかは決めたい」
佐藤は、今日調べる四項目を示した。
型式、保管状態、銘板番号、資料の所在。
「通電も分解もしません。九時半には、今ある根拠での判断と、必要な検証計画を提出します」
「人員と見込み時間も入れてください」
「はい」
廊下へ出ると、八時三十六分だった。
村瀬が保管責任者への連絡を終えて待っていた。
*
「一時間ですか?」
村瀬は歩きながら聞き返した。
「もう五十分を切ってる」
「それで、旧制御器を調べるんですか」
「調べられるところまでな」
二人は第二倉庫へ向かっていた。
村瀬は端末を操作した。
「保管責任者の立ち会いは取れました。外観確認と保管記録の閲覧は許可されています」
「通電は?」
「許可されていません」
「それでいい」
佐藤は、今朝入手した保守資料の写しを開いた。
『長期保管後の再通電に際しては、電源回路およびバックアップ電源の状態を点検すること』
村瀬が画面をのぞき込んだ。
「本当に書いてありますね」
「昨日の話とも一致するな」
「じゃあ、今日は電源を入れられませんね」
「そもそも、今すぐ入れる必要はない」
村瀬は首をかしげた。
「でも、設定を読むには……」
「設定が残っているかどうかも分からない。先に型式と資料を確かめよう」
第二倉庫の前では、保管責任者が待っていた。
「外観確認だけですね?」
「はい。封印にも触れません」
シャッターが上がる。
冷えた空気と、古い機械油の匂いが流れてきた。
灰色の制御器は、昨日と同じ保管台の上にあった。
村瀬がしゃがみ込む。
「昨日の写真、少し暗かったんです」
「今日は角度を変えて撮ろう」
「はい」
正面。
側面。
背面。
村瀬は一枚ずつ記録した。
佐藤は銘板を見た。
汚れの下に、小さな英数字が並んでいる。
「最後は……七、でしょうか」
「断定しないでおこう」
「はい。判読不確実、と」
村瀬は入力した。
そのとき、端末を下ろしかけた手が止まった。
「あれ?」
「どうした」
「この台の内側にも、何か貼ってあります」
制御器を載せた木製の保管台。
その側面に、茶色く変色した紙が残っていた。
昨日は、制御器の陰になって見えなかった場所だ。
村瀬は端末のライトを向けた。
『設備移管票』
佐藤は腰を落とした。
資産番号。
移管日。
資料保管番号。
手書きの文字が、かろうじて読めた。
「撮影してもよろしいですか」
村瀬が保管責任者に尋ねた。
「管理記録としてなら構いません。剥がさないでください」
「分かりました」
村瀬は角度を変えながら撮影した。
佐藤が番号を読み上げる。
「KS、四一七の二」
村瀬は検索欄に入力した。
結果は、ゼロ件。
「ありません」
「現行の管理システムには?」
「はい」
佐藤は紙をもう一度見た。
番号の横に、小さく『旧』と書かれている。
「管理体系が変わったのかもしれないな」
「資料そのものが残っていない可能性もありますよね」
「ああ。だから、所在を確認する」
佐藤は保管責任者に尋ねた。
「この形式の資料番号、調べる方法はありますか」
「ああ、それなら」
責任者は少し考えた。
「本社の文書管理担当に、古い台帳が残っているはずです。電子化する前の資料は、そちらで管理していました」
村瀬が顔を上げた。
「紙の台帳ですか」
「そうです。昔は全部、あれでしたから」
佐藤は腕時計を見た。
八時五十四分。
残り三十六分。
「村瀬、文書管理担当に連絡してくれ」
「はい」
「俺は保管記録を整理する」
二人は、その場で作業を分けた。
*
午前九時七分。
「佐藤さん、分かりました」
倉庫の入口で、村瀬が声を上げた。
「KS四一七の二は、旧設備資料の保管番号でした」
「資料は?」
「台帳上は、残っています」
佐藤は顔を上げた。
「どこに?」
「本社の文書保管室です。ただ、保管箱を特定して取り出すには、申請が必要だそうです」
「今日中に見られるか」
「そこまでは分からないそうです」
佐藤は時計を見た。
残り二十三分。
「申請しよう」
「今からですか?」
「ああ」
「九時半には間に合いませんよ」
「九時半に必要なのは、今ある情報での再開判断だ。資料の調査まで終わらせる必要はない」
村瀬は少し考えた。
「……じゃあ、申請は僕がやります」
「頼めるか」
「はい。佐藤さんは報告書をまとめてください」
村瀬は端末を開いた。
資料保管番号。
使用目的。
閲覧希望日。
関係部署。
一つずつ入力していく。
「佐藤さん」
「何だ」
「これ、申請が通ったら、僕が取りに行ってもいいですか」
佐藤は顔を上げた。
「文書管理担当の許可が出ればな」
「じゃあ、そこまで確認しておきます」
「助かる」
村瀬はうなずいた。
佐藤は昨日の診断記録を開いた。
異常音は再現しなかった。
だが、手首軸の反転直前には、前回と異なる補正指令が記録されている。
その差が音と関係しているかどうかは分からない。
旧データ変換の定義にも、未確認部分が残っていた。
佐藤は報告書の最後に、新しい項目を加えた。
『旧資料保管番号を確認。原本の閲覧を申請中』
画面の右上には、九時十四分と表示されていた。
あと十六分。
佐藤は、再開判断の欄を開いた。
村瀬は申請の控えを佐藤へ送った。
「資料が来たら、型式の対応は僕が先に見ます。分からないところだけ、佐藤さんに聞いてもいいですか」
「もちろん。ただ、読めなかった番号を推測で埋めないように」
「空欄のまま残してあります」
佐藤は添付表を開いた。
写真の不鮮明な箇所にも印がある。
「これなら、文書管理の人にも確認を頼めるな」
村瀬は台帳の連絡先を表へ加えた。
資料が届くまでに、次の人へ渡せる形にしていた。
*
午前九時二十八分。
大野は時計を見てから、差し出された報告書を開いた。
「正式な連続稼働試験の再開は、現時点では勧められません」
佐藤は、低速診断で条件が一致していないことと、旧データの意味が未確認であることを説明した。
「原因はまだ特定できていません。ただ、今日、原本の保管番号を確認しました」
「いつ読めますか」
「閲覧を申請中です。待つ間に、ログの取得周期と比較条件を整理します」
大野は検証計画の担当欄を指した。
「保全の枠は、私も調整します。製造部への説明は十時です。確認できたことを、この一枚に絞れますか」
「できます」
佐藤が追記すると、大野は製造部へ資料を転送した。
停止は続く。
だが、説明も人員調整も、佐藤だけの仕事ではなくなった。
廊下へ出ると、村瀬から連絡が来た。閲覧申請は受け付けられているという。
*
東都時間、午前十時三十二分。
瀾華では九時三十二分だった。
林遠は、送られてきた設備移管票を拡大した。
『KS四一七の二』
「河図の一覧では見つかりませんでした」
小趙が言った。
「旧番号の台帳も見よう」
検索先を切り替えると、一件の移行記録が現れた。
小趙は新管理番号を控え、本文の所在を管理担当へ尋ねた。
『原本保管記録あり。本文ファイルは未索引』
林遠は案件番号を付けて閲覧を申請した。
台帳の末尾に、追記履歴が一件ある。
「この日付……」
変換仕様の正式承認から三週間後だった。
詳細を開くと、閲覧権限がないと表示された。
「保管先の変更かもしれませんね」
「そうだな。内容を見てから判断しよう」
小趙が追記も申請対象へ加えた。
林遠は佐藤へ、資料の所在を確認できたと連絡した。
現物の番号が、初めて文書につながった。
その文書には、自分が確認を終えたあとに付け加えられた一枚がある。
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