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AIが変えた世界で、僕らはもう一度働き始める  作者: 北野風人
『仕事を失った日』

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第5話 動かしてはいけない理由

「佐藤さん、ありました」


 午前八時四十一分。


 村瀬から連絡を受けた佐藤健一は、第三工場の裏手にある第二倉庫へ向かった。


 シャッターの隙間から朝の光が差し込んでいる。


 奥には、使われなくなった制御盤やモーターが並んでいた。床には古い搬送装置の部品が積まれ、棚の上には、何年も動かされていないらしい木箱がある。


 村瀬は、その一角でしゃがんでいた。


「これです」


 灰色の金属箱だった。


 幅は三十センチほど。角の塗装が剥がれ、側面には古い管理票が貼られている。


 佐藤は膝をついた。


「型式は?」


「資料に載っていたものと一致しています」


「製造番号は?」


「ここです。ただ、最後の二桁が読みにくくて」


 村瀬が指した部分には、油汚れがこびりついていた。


 佐藤は手を伸ばしかけ、止めた。


「先に写真を撮ろう」


「拭かないんですか」


「拭く前の状態も残しておきたい」


 村瀬は記録用端末を取り出した。


 正面。


 側面。


 背面。


 封印の状態。


 佐藤は管理票を読んだ。


『予備制御器』


『設備更新に伴い保管』


『最終動作確認:未実施』


「故障品じゃないんですね」


「記録上はな」


「じゃあ、動くかもしれませんね」


「そうかもしれない」


 村瀬は背面の端子をのぞき込んだ。


「電源を入れれば、設定が読めるんでしょうか」


「機種によるな」


「試してみます?」


「いや。まだ触らないでおこう」


「どうしてですか」


「保管状態が分からない。電源回路の点検もしていないし、内部の記録がどう保存されているかも確認できていない」


 佐藤は封印を見た。


 紙製の古い封印だった。端が少し浮いている。ただし、破れた形跡はない。


「昔の制御器には、バックアップ用の電池で設定を保持するものもあった」


「これもですか」


「まだ分からない。だから、先に資料を探す」


 村瀬は端末に記録した。


「通電禁止、ですね」


「現時点ではな。正式な点検手順が確認できるまで」


 村瀬はうなずいた。


 佐藤は立ち上がった。


「倉庫からは動かさず、保管責任者に確認を取ろう」


「分かりました」


 帰り際、村瀬がもう一度、灰色の箱を振り返った。


「十年以上前の機械が、今さら必要になるなんて思いませんでした」


 佐藤は答えた。


「俺もだよ」


     *


 午前九時二十分。


 佐藤は保管記録を開いていた。


 旧制御器は十二年前、第三工場の設備更新時に取り外されている。


 故障交換ではない。


 だが、取り外し時の設定バックアップは見つからなかった。


 保管記録には、担当部署と日付だけが残っている。


「これ、設定が残っているかどうかも分からないんですね」


 村瀬が言った。


「ああ」


「でも、当時の仕様を調べる手がかりにはなりそうです」


「そうだな」


 佐藤は画面を切り替えた。


 三号機の再開判断に必要な確認項目が並んでいる。


 異常音の発生条件。


 補正指令と実際の軸応答。


 旧データ変換の妥当性。


 昨日まで、最後の項目は資料の上でしか調べられなかった。


 少なくとも、当時の制御器が一台残っている。


「村瀬」


「はい」


「この制御器、当時の三号機に使われていたものではないんだよな」


「はい。前の設備で使われていた予備品です」


「なら、設定が残っていたとしても、三号機の運転履歴を示すものではない」


「そうですね」


「そこは間違えないようにしよう」


 村瀬はうなずいた。


 佐藤は保管記録の末尾に、新しい確認項目を書き加えた。


『現物の版情報と、当時の変換仕様との対応関係』


 そのとき、社内の購買部門から連絡が届いた。


 瀾華側との限定調査について、見積もりと作業範囲の承認が完了したという。


 佐藤は画面を見た。


 林遠との正式な共同調査が、これで始められる。


     *


 瀾華時間、午前九時五十五分。


 限定調査の承認書類を受け取ると、林遠は一次報告の期限を確認した。


 二営業日以内。


「現地設備の操作は対象外だ。資料提供の範囲も守ってくれ」


 陳凱が言った。


「承知しました」


 小趙には旧ファームウェアの資料一覧を任せた。


 林遠は、佐藤との通話に使う型式表を開いた。


     *


 東都時間、午前十一時。


 共訳端末で、二度目の通話が始まった。


 林遠は外観写真を見て、型式系列を確認した。


「この世代には電池で設定を保持する機種があります。ファームウェアとは保存先が別の場合もあります」


「設定が残っていても、通電前に保存方法を確認する必要があるんですね」


「はい。起動時の初期化も、機種によります」


 佐藤は、保全と手順を確認するまで通電しないと伝えた。


「それと、この一台は予備品です。三号機の運転履歴そのものではありません」


「定義を調べる手がかりとして扱いましょう」


 役割を確認し、共有された写真へ二人で印を付けた。


 佐藤が見落としていた銘板の隅を、林遠が指した。


「ここ、読める写真をもう一枚お願いできますか」


     *


 午後一時半、許可を得た低速診断を始めた。


 異常音は出ない。


 二回目のあと、佐藤が記録を止めた。


「反転直前の電流が、前回よりなだらかだ」


 村瀬は把持位置を調べた。


「補正値が〇・〇四度違います。同じ重量でも、位置が完全にはそろっていません」


「三回目は条件を整理してからにしよう」


 大野が現場へ来た。


 村瀬は二つの記録を並べ、今回音が出なかっただけでは同条件の再現確認にならないと説明した。


「比較条件が違う、ということですね」


「はい。設定と実際の位置を照合します」


 大野は、来週の工程を再調整したと伝えた。


「使える時間が減っています。今日の結果に、次の確認項目を添えてください」


 去っていく背を見送り、村瀬は操作卓へ戻った。


 佐藤が止める前から、三回目の実施欄には保留の印を入れていた。


     *


 瀾華時間、午後四時十分。


 林遠は河図の解析結果を見直していた。


 旧制御器の補正量。


 新しい形式の軌道偏差。


 数値の範囲は似ている。単位も同じ。


 だが、旧ファームウェアの補足資料が欠けている。


 林遠は、社内で利用が認められた資料だけを対象に、追加の解析を実行した。


『旧制御器の補正指令値と、新形式の実行軌道偏差が異なる場合、変換後のデータにどのような特徴が現れるか。確認方法を列挙してください』


 河図は、いくつかの検証方法を示した。


 入力値と出力値の関係。


 時間遅れ。


 補正方向の符号。


 負荷条件による差。


 そして、最後にこう書かれていた。


『同一条件下で、指令値と実測値を別々に記録し、比較することが望ましい』


 林遠は、佐藤との通話を思い出した。


 佐藤は実機側のログを集めている。ただ、独立した実測との照合方法はまだ決まっていない。


 林遠は一次報告の構成を変更した。


 旧データの定義。


 変換仕様の版管理。


 実機診断結果との照合条件。


 それぞれを、別の項目に分けた。


     *


 東都時間、午後五時二十六分。


 佐藤は診断結果を保存した。


 異常音は再現しなかったが、補正指令と把持位置に差がある。


 林遠から届いた確認方法には、指令値と実測値の独立記録が挙げられていた。


「これ、計測方法を保全と相談してみます」


 村瀬が言った。


「頼む。今日は先に写真を送り直そう」


 朝の銘板写真を開くと、仕様書と違う番号が見えた。


 版番号なのか、製造時の管理番号なのか。


 佐藤は確定できない箇所を明記して送った。


 返信が来るまでに、村瀬は保管台帳と照合していた。


「資料側の番号と、現物側の番号。どちらも消さずに残します」


 十数分後、林遠から連絡があった。


『仕様書の版を示す番号とは限りません。現物に対応する移管記録を確認してください』


 佐藤は翌朝の確認項目を書き換えた。


 古い箱が見つかった。それで仕様まで特定できたと思っていた。


 画面の二つの番号は、まだつながっていなかった。


     *


 瀾華時間、午後六時四十分。


 林遠が帰ると、一舟は食卓の端を空けていた。


 ノートと鉛筆が二人分置かれている。


「約束、覚えてたんだ」


「帰る前に、三回確認した」


「そんなに?」


 林遠は鞄を置き、問題を読んだ。


 一舟が途中まで書いた式を指す。


「ここまでは自分でやった。次が分からない」


「じゃあ、そこから見よう」


 会社の通知が震えた。


 林遠は端末を裏返した。


 問題を解き終えると、一舟は自分で答えを確かめた。


 林遠も手帳を開いた。


 明日の欄には、仕様書と一致しなかった銘板番号が残っていた。


 型式が同じなら同じ仕様だろうと思いかけた、自分の確認不足だった。


 図の正しい線を見つけた息子が、ノートを閉じる。


 林遠は二つの番号を丸で囲んだ。

お読みいただき、ありがとうございます。

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