第33話 新しい版の向こう側
朝、食卓の端に白い花の写真があった。
一舟が、学校へ持っていく資料を選んでいた。
小さな葉だけだったころの写真と、昨日の花。
二枚を重ね、同じ場所だと分かるように印を付けている。
「次も撮るの?」
林遠が尋ねると、一舟はうなずいた。
「行ける日に。張さんも、毎回は来ないって」
「そう」
一舟は写真を保存し、端末を鞄へ入れた。
林遠は息子を見送ってから、仕事の画面を開いた。
昨日、読むのを明日に回した通知が、一番上にあった。
教材に使うモデルの新しい版。
来月の公開に向け、以前の訓練場面を再現できるか確かめたいという、エマからの依頼だった。
窓口が調整した作業枠を確認する。
その下には、周敏からの質問も届いていた。
『簡易な端末でできる練習が増えるなら、家で準備できる部分も増やせますか』
許真も、次に職場で試す日を待っている。
林遠は、まず試験の結果を見てから相談すると返した。
仮想の検証室を開く。
机の上で、部品の縁が光っていた。
「これは、見えます」
マークが言った。
アステラ側で記録された試用の映像だった。
新版の表示では、白い反射に紛れていた細い段差が分かれて見える。
林遠は旧版を隣へ出した。
同じ撮影データ。
同じ位置。
旧版では、光と形の境目が曖昧だった。
新版は複数の画像をまとめ直し、確認しきれない場所を淡い斜線で示していた。
隠れた裏側を埋めているわけではない。
見えた部分と、まだ分からない部分が、前より区別しやすかった。
マークが視点を戻す。
「最初にこれがあったら、もう少し落ち着いて見られたかもしれません」
林遠は、その言葉を記録した。
予定した通話の時間になると、エマがつながった。
画面の隅に、双方の現地時刻が表示される。
「簡易端末向けの表示も改善されています」
エマが説明した。
「ただ、以前の教材をそのまま移せるかは、これからです」
林遠は対象一覧を見た。
許真が使った基礎教材も入っている。
「この表示なら、家で見られる例を増やせるかもしれませんね」
「はい。実際の端末でも確かめましょう」
林遠は、提供された技術資料を開いた。
入力と出力の形式。
操作の呼び出し方。
変更された設定項目。
内部処理の説明は、概要にとどまっていた。
「中間のデータも見られますか」
エマが資料を見直した。
「どの部分が必要ですか」
「表示が変わった理由を、こちらでも追えるようにしたいんです」
「内部を全部開くことはできません。ほかの製品にも使っている技術なので」
林遠は画面へ目を戻した。
「問題が起きたとき、説明できなくなりませんか」
エマは検証の条件表を開いた。
「入力、出力、設定は保存できます。こちらで調べる必要がある部分は、私たちが引き取ります」
少し間を置く。
「今回の改善にも、開発費がかかっています。技術を守りながら、外から確かめられる範囲を作りたいんです」
林遠は条件表を読んだ。
自分たちの支援も、費用と担当を決めて続けることになったばかりだった。
「では、受け取った結果を、入力と設定に結びつけて残せるようにしてください」
「できます」
「再現しない場合に、内部の調査を依頼する手順も必要です」
エマが欄を加えた。
「契約担当に確認します」
林遠も、求める資料の一覧を短くした。
試験環境は、現在の学習会とは切り離してある。
候補版を試しても、予約済みの練習は、確認済みの旧版で続けられる。
最初の課題を開いた。
マークが記録した操作をたどる。
部品の縁を回り、見えない側で止まる。
必要な測定を選ぶ。
所定の基準面からの値を確かめ、保留にする。
林遠は、事前に固定した確認項目と照合した。
判断に必要な情報は残っている。
表示を探す操作は、一つ減っていた。
エマも同じ条件で再生する。
「一致しています」
確認済みの印が付いた。
林遠は端末構成と設定を残した。
「まず、一件ですね」
「はい。この条件では使えます」
エマが答えた。
林遠は周敏への報告欄に、確認できたことを一行入れた。
居家学習へ使えるかは、まだ試していない。
それでも、新しい版に期待できる理由はできた。
東都側の試験は、村瀬の勤務枠で行う予定だった。
佐藤は結果の受け取り先に入っているが、操作には参加しない。
林遠は状態を保存し、次の仕事へ戻った。
翌朝、窓口から届いた記録に、赤い印があった。
不一致。
林遠は添付を開いた。
場面番号は同じ。
教材の版も、モデルの候補版も同じだった。
治具の上に、昨日の部品が載っている。
村瀬が測定を選ぶ。
値は、所定の範囲に収まっていた。
林遠の記録では、範囲を外れている。
どちらも、処理は最後まで終わっていた。
林遠は試験環境を起動した。
もう一度、同じ場面を開こうとする。
その前に、村瀬の記録が目に入った。
「再実行する前に、最初の状態を保存します。設定の変更は、そのあとにします」
時刻。
端末の識別情報。
読み込んだファイル。
村瀬は、最初の結果を上書きしていなかった。
林遠も保存状態を複製し、別の枠へ開いた。
同じ操作を行う。
やはり、範囲を外れる。
偶然の揺れではなさそうだった。
許可された記録を河図へ渡し、相違点を拾わせる。
入力ファイルは一致。
計測位置の指定も一致。
端末から読み込まれた、測定の基準設定に差があった。
林遠は、その項目を開いた。
部品のどの面を基準として、高さを測るか。
自分の環境では、課題で指定された下面が選ばれていた。
村瀬の環境では、治具側の基準面を使っていた。
単位も、測る位置も同じだった。
だが、どこをゼロとするかが違っていた。
林遠は移行資料へ戻った。
旧版では、教材側の基準指定を優先していた。
候補版では、端末の測定設定を利用する経路が追加されている。
変更点には書かれていた。
自分の確認記録にも、読んだ印があった。
以前のテスト一式に、何が保存されているか。
そこまでは確かめていなかった。
予定した通話枠で、村瀬とエマがつながった。
林遠は、二つの測定を並べた。
「ここで、基準にしている面が違います」
部品の下面が光る。
次に、治具側の面が光った。
二本の測定線は、少し長さが違っていた。
村瀬が端末の記録を示す。
「こちらでは、手で変更していません。保存した場面を開いて、そのまま測りました」
エマが開発側の仕様を確認した。
「この経路では、端末設定が入ります。明示されていない場合の移行処理も、こちらで調べます」
林遠は試験用の複製を作った。
部品と治具の位置は変えない。
測定の基準だけを、両方で同じ面に指定する。
実行すると、値がそろった。
別の基準面に変えても、両方の値は一致した。
元の課題が求めていた下面へ戻す。
今度は、どちらも同じ理由で保留になった。
村瀬が記録を保存した。
「測定値の計算が違ったのではなく、違う基準で測っていたんですね」
「はい」
林遠は答えた。
「最初の二つは、そのまま比較できませんでした」
共有してきた検証パッケージを開く。
場面。
教材。
モデルの版。
操作。
端末の基準設定を明示する欄は、なかった。
「こちらの記録にも、欠けています」
林遠が言った。
エマが画面を見ていた。
「移行時の説明と、未指定の扱いは、開発側でも確認します」
林遠は、自分が付けた確認済みの印を開いた。
消さずに、成立した条件を追記する。
その上で、候補版への移行確認中という表示を加えた。
「旧版で確かめた範囲は、そのままです。ただ、このパッケージだけで、新版でも同じ条件になるとは言えません」
村瀬がうなずいた。
「再現するときに必要なものを、追加しましょう」
林遠は彼を見た。
「最初の状態を残してくれて、助かりました」
村瀬は少し笑った。
「やり直すと、何が変わったか分からなくなるので」
以前、皆で何度も困ったことだった。
今度は、困る前に記録があった。
通話の終了時刻が近づいていた。
確認できたことと、次に調べることを分けて保存する。
林遠は、配布した検証パッケージの一覧を開いた。
同じ基準設定を使う課題を探す。
一件だけではなかった。
エマが尋ねた。
「ほかの施設でも、候補版を試していますか」
窓口の記録に、一件の返信があった。
別の学習施設からだった。
『こちらでも再現を試しました。初回の状態と、実行結果を添付します』
林遠はファイルを開いた。
その施設では、今回見た場面だけでなく、別の課題にも差が出ていた。
使っている測定機能は、同じだった。
林遠は配布先の一覧へ戻った。
旧版を使っている施設。
候補版の試験に参加している施設。
これから移行する予定の施設。
区別して、通知の下書きを作る。
自分たちの画面で一致させるところまでは、できた。
次は、このパッケージを受け取った人たちへ、何を伝えるかだった。
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