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AIが変えた世界で、僕らはもう一度働き始める  作者: 北野風人
『仕事を失った日』

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第2話 成績一位の解雇通知

「林遠さん。あなたの担当する仕事が、なくなります」


 陳凱はそう言って、一枚の書類を机の上に置いた。


 林遠は、すぐには手を伸ばさなかった。


「……仕事が、ですか?」


「正確には、あなたが所属している部署の業務です」


「部署ごと、なくなるんですか」


「はい」


 会議室の壁には、先週の社内表彰式で撮った写真が映っていた。


 まだ表示を消していなかったらしい。


 壇上に立つ林遠が、少し居心地の悪そうな顔で表彰状を受け取っている。


 年間業績評価、第一位。


 その写真の下で、陳凱はもう一枚の書類を差し出した。


『雇用契約終了予定通知』


 林遠は二枚を見比べた。


 一週間前の表彰状。


 今日の通知書。


 どちらにも、同じ会社の名前が入っている。


「先週、僕に賞をくれましたよね」


「ええ」


「それで今日、仕事がなくなるんですか」


 陳凱は眼鏡を外した。


 言いにくいことがあるとき、いつもそうする。


 林遠は十年以上、一緒に仕事をしてきた。


 その仕草を見るのは、初めてではなかった。


「今回の判断は、個人の評価とは関係ありません」


「では、何が理由なんですか」


「業務の再編です。河図を中心にした新しい運用体制へ移行します」


「河図が、僕の仕事を引き継ぐんですね」


「一部はそうです。ただ、正確には——」


「いえ、結構です。おっしゃりたいことは分かります」


 林遠は通知書を持ち上げた。


「僕が開発に関わったAIですから」


 陳凱は黙った。


 河図。


 最初は、障害ログを分類するだけのシステムだった。


 その後、原因を推定し、修正案を出し、テストコードを書くようになった。


 今では複数のシステムをまたぐ変更まで提案する。


 夜中の障害対応は減った。


 若い社員が分厚い仕様書を一から読む必要もなくなった。


 林遠自身、何度も助けられてきた。


 便利になった。


 速くなった。


 そして、会社は人を減らすことにした。


「一つ、確認してもいいですか」


 林遠が聞いた。


「どうぞ」


「河図が出した修正案は、誰が最終承認するんですか」


「新しい運用チームです」


「旧システムとの接続部分も?」


「対象に含まれます」


「過去の仕様変更で、検証が終わっていないものがあります」


 陳凱は顔を上げた。


「どの案件ですか」


「一覧にして提出しています。去年の十二月にも報告しました」


「把握しています」


「その部分は、河図だけでは判断できません」


「分かっています」


「だったら、なぜ——」


「林遠さん」


 陳凱は静かに言った。


「技術的な課題が残っていることと、今の部署を維持することは、別の判断なんです」


 林遠は口を閉じた。


「必要な検証は、新しい体制で引き継ぎます。あなたの指摘が間違っているとは思っていません」


「でも、僕の席はなくなる」


「……はい」


 林遠は椅子の背にもたれた。


 少し笑った。


「便利ですね、AIって」


 陳凱は何も言わなかった。


「仕事を減らしてくれる。残業も減らしてくれる。最後には、給料まで減らしてくれる」


「林遠さん……」


「冗談です」


 林遠は通知書を机に置いた。


「笑えない冗談ですけど」


     *


 午前十時十八分。


 林遠が席に戻ると、河図が昨夜の自動テスト結果を表示していた。


 成功率、九九・九八パーセント。


 残りについても原因候補が三つ並んでいる。以前なら午前中いっぱいかかった仕事だ。


「林さん、何かあったんですか」


 小趙が聞いた。


「部署がなくなる。俺は来月末までだ」


「でも、今期の評価、一位でしたよね」


「ああ」


 小趙は口を閉じた。自分の画面に目を落としてから、小さく言った。


「僕も、来週面談なんです。新しい運用チームに行けるかどうか、まだ分からなくて」


「お前は大丈夫だろ」


 言ってから、林遠は後悔した。


 今朝までは、自分もそう思っていた。


 河図の修正案を開く。二つの候補は妥当だった。三つ目は古い運用条件を欠いている。


 林遠は不足を追記し、再検証へ戻した。


「そこ、追加が必要なんですか」


「旧システムだけに残ってる条件だ。こっちの記録も引き継ごう」


 小趙は自分のノートを開いた。


     *


 昼休み。


 林遠は社員食堂の端に座り、スマートフォンで銀行口座を開いた。


 住宅ローン。


 子どもの教育費。


 父親への仕送り。


 毎月、決まった日に出ていく金額を一つずつ足していく。


 数字は、普段と何も変わらなかった。


 変わったのは、来月以降の収入だけだった。


 会社からは、雇用契約終了に伴う補償金が出る予定だ。


 ただし、金額と支払日は、まだ正式に決まっていない。


 林遠は計算をやめた。


 隣のテーブルでは、若い社員が笑っていた。


「昨日、河図に資料を作らせたら、五分で終わったよ」


「うちも。もう残業いらないんじゃない?」


「そのうち俺たちもいらなくなるかもな」


 冗談だった。


 笑い声が上がった。


 林遠も、少し前なら一緒に笑っていただろう。


 今日は、箸を持つ手が止まった。


 スマートフォンが震えた。


 妻の葉寧からだった。


『帰りに牛乳を買ってきて。あと、一舟のノートも。昨日言ってたやつ』


 林遠は画面を見つめた。


 いつもの連絡だった。


 何も知らない妻からの、いつもの買い物の頼み。


『分かった』


 返信したあと、もう一度メッセージを開いた。


 退職を告げられたことを伝える文章を打とうとした。


『今日、会社で——』


 そこまで入力して、消した。


 食堂の窓から、新しい研究開発センターが見えた。


 河図の運用チームは、来月からあちらへ移るらしい。


 林遠はスマートフォンを伏せた。


 牛乳とノート。


 まずは、それを忘れないようにしようと思った。


     *


 午後三時。


 河図が分類した担当案件の一覧から、林遠は古い共同開発の資料を開いた。


 旧制御器の運転データを、新しい解析システムへ移すための変換仕様。海外企業、東都精機との案件だった。


『変換後の値が一致しても、元の定義が一致するとは限らない。』


 自分のコメントが残っている。


 当時、同じ項目名でも装置ごとに基準が違い、何度も現場へ確認した。


 林遠は保存先と外部提供に必要な手続きを、引き継ぎ一覧へ加えた。


     *


 夕方。


 林遠は駅前のスーパーで牛乳を買い、文房具店で息子のノートを買った。


 家に帰ると、台所から炒め物の音が聞こえた。


「ただいま」


「おかえり。牛乳、買えた?」


「ああ」


「ノートは?」


「これ」


 葉寧が袋をのぞいた。


「よかった。一舟、明日使うんだって」


 林一舟は居間のテーブルで宿題をしていた。


「父さん、おかえり」


「ただいま」


「ノート、ありがとう」


「今度は前の日に言えよ」


「昨日言ったよ」


「……そうだったな」


 林一舟が笑った。


 林遠も笑った。


 いつもと同じ夕方だった。


 ただ一つ、会社で渡された通知書だけが、鞄の中に入っている。


 夕食の途中、林一舟が言った。


「今日、学校でAIの授業があったんだ」


「へえ」


「昔は、分からないことがあったら先生に聞いてたんでしょ」


「今も聞くだろ」


「聞くけど、AIの方が早いこともあるって」


 林遠は箸を止めた。


「先生は何て言ってた?」


「答えが早いのと、正しいのは別だって」


 葉寧が笑った。


「いい先生ね」


「うん。でも、AIに聞くと宿題もすぐ終わるよ」


「自分で考えないと、先生にばれるぞ」


「考えてるよ。答えを比べてるだけ」


「便利な言い方を覚えたな」


 林一舟は得意そうに笑った。


 林遠も笑った。


     *


 食後、林一舟が自分の部屋へ戻ると、葉寧が食器を片づけながら聞いた。


「今日、何かあった?」


 林遠は顔を上げた。


「どうして?」


「帰ってきてから、少し静かだから」


「いつも静かだろ」


「いつもは、仕事の文句を一つくらい言う」


 林遠は苦笑した。


 葉寧は手を止めた。


「会社?」


 林遠は答えなかった。


 それだけで、葉寧には伝わったらしい。


「座ろうか」


 二人は食卓に向かい合った。


 林遠は鞄から通知書を取り出した。


 葉寧は最後まで読んだ。


 読み終えても、すぐには何も言わなかった。


「いつまで?」


「来月末」


「次の仕事は?」


「まだ決まってない」


「そう」


 葉寧は通知書を机に置いた。


「補償金は?」


「出るらしい。金額はまだ正式じゃない」


「分かった」


 林遠は妻の顔を見た。


「怒らないのか」


「何に?」


「俺が、仕事をなくすこと」


 葉寧は少し考えた。


「怒っても、仕事は戻らないでしょ」


「まあ、そうだけど」


「でも、もっと早く言ってほしかった」


「今日、決まったんだ」


「今日でも、帰ってすぐ言えたでしょう」


 林遠は何も言えなかった。


 葉寧は立ち上がり、台所から温かいお茶を二つ持ってきた。


 一つを林遠の前に置く。


「明日から、どうするつもり?」


「仕事を探す」


「うん」


「それしかないだろ」


 葉寧は首を横に振った。


「それだけじゃないと思う」


「どういう意味だ」


「あなた、ずっと忙しかったじゃない。家にいても、会社から連絡が来てた」


「仕事だからな」


「知ってる。でも、これからのことは、一人で決めないで」


 林遠は湯飲みに手を伸ばした。


 まだ熱かった。


「……分かった」


 葉寧は小さくうなずいた。


「まず、補償金がいくら出るのか確認して。それから、生活費を一緒に計算しよう」


「もう計算した」


「一人で?」


「ああ」


「じゃあ、もう一回」


 林遠は妻を見た。


 葉寧は真面目な顔をしていた。


「二人で」


 林遠は、ようやく少し笑った。


     *


 夜十一時。


 求人情報を閉じたところで、会社のアカウントに照会が届いた。東都精機からだった。


『旧制御器における補正量の定義について、仕様書と運転記録の間に差異が確認されています。』


 午後に整理したばかりの案件番号がある。


 林遠は返信を書いた。


『当時、変換仕様の確認を担当しておりました。関連資料の提供範囲を社内で確認のうえ、改めてご連絡いたします。』


 送信してから、変更履歴を開く。


 最後に仕様を確認したのは自分だ。ただ、変換処理の実装を最後まで担当したわけではない。


 履歴の中に、見覚えのない更新が一件あった。


 日付は、林遠が案件を離れたあとだった。


 隣の退職通知書を脇へ寄せ、林遠は更新番号を控えた。

お読みいただき、ありがとうございます。

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