第16話 同じ知らせ、違う暮らし
「機械が直ったのは、よかったと思ってます」
翌朝、若い作業員はそう言ってから、勤務表を机に置いた。
佐藤が昨日、出口で声を聞いた男だった。名札には森田とある。
「ただ、土曜の分がなくなると、今月ちょっと厳しくて」
勤務調整の担当者が、追加班の取消通知を開いた。
「基本の給与は変わりませんよ」
「それは分かってます。だから、何かほかに入れる仕事がないか、聞きに来ました」
森田は膝の上で手を組んだ。
佐藤は、机の脇に立ったまま話を聞いていた。
昨日、石井は娘の発表会へ行けると笑った。
同じ変更で、森田は家計を計算し直している。
「元の追加班を戻すわけにはいきません」
担当者が言った。
「今は、その作業自体がなくなっていますから」
「はい」
森田は勤務表を引き寄せた。
「分かりました。もし何かあったら、教えてください」
立ちかけたところで、佐藤が声をかけた。
「三号機の立ち上げ準備、以前も入っていましたよね」
「部品と治具の照合なら。制御のことは分かりませんけど」
「その照合の記録が、今、残っています」
森田が座り直した。
*
村瀬が持ってきた一覧には、未処理の欄が並んでいた。
限定運転で使う治具。
対象から外した部品。
図面と現物の表示が一致するか、確認が済んでいないもの。
「三号機の設定を触る仕事ではありません」
村瀬は森田へ説明した。
「現場の表示と構成表を照合して、違いや不明点を残してほしいんです。判断は担当部署へ戻します」
「第二ラインの治具もありますね」
森田が一覧を指した。
「この略号、現場じゃ別の呼び方をしています。古い台帳の方かもしれません」
村瀬は該当する写真を開いた。
「分かりますか」
「現物を見れば。ただ、似たのが二つあるんで、番号まで確認した方がいいです」
佐藤は村瀬を見た。
村瀬はうなずき、工数の見積を開いた。
「照合の作業は、整備計画に入っています。僕だけでは、今週中に終わりません」
勤務調整の担当者が資料を受け取った。
「業務の必要性は分かりました。追加勤務にするなら、費用と時間を確認します」
森田はすぐには返事をしなかった。
「僕以外にも、入りたい人はいると思います」
「募集するなら、対象と条件はそろえます」
担当者が言った。
「今ここで、森田さんだけに決める話にはしません」
森田は、少し表情を緩めた。
「それでお願いします」
*
大野が工数表を見て、最初に指したのは説明時間だった。
「作業の前に、二時間必要ですか」
「必要です」
村瀬が答えた。
「記録の付け方と、どこまで本人が判断していいかを確認します。そこを飛ばすと、不明な番号を推測で埋めるかもしれません」
「その後は、すぐ一人でできますか」
「最初の照合は僕が一緒にやります」
大野は予算欄を開いた。
照合作業の工数はある。
説明と初回確認を加えると、足りなかった。
「説明は勤務後に集まってもらって、作業だけ追加勤務にする案も出ています」
勤務調整の担当者が言った。
村瀬が顔を上げた。
「その説明も、仕事のために必要な時間です」
大野は表を見たまま、しばらく黙った。
「分かりました。説明も作業時間に入れます」
対象を一度に広げず、まず優先度の高い治具から始める。
佐藤が後回しにできる資料整理を分け、村瀬が初回の確認時間を出す。
大野は変更した計画を承認した。
「二週間の範囲でやりましょう。終わったら、必要な工数を見直す。続くことを前提に募集しないでください」
「はい」
村瀬は条件欄を埋めた。
説明時間を含めて有給。
平日の追加勤務枠を二回。
参加は本人の希望と担当業務との調整による。
佐藤は、その下に初回の日時が入るのを見ていた。
*
午後、森田が募集条件を読みに来た。
「最初は木曜ですか」
「はい。通常勤務のあと、三時間です。説明もそこに含めています」
担当者が賃金の計算欄を示した。
森田は金額を確かめた。
「土曜の一日分とは違いますね」
「今回は、この作業に必要な分だけです」
「分かりました」
森田は自分の予定を開いた。
片方の枠には参加できる。もう片方は家の用事があるという。
「一回だけでもいいですか」
担当者は村瀬と確認した。
「できます。次の人へ渡せるところで、作業を区切ります」
「じゃあ、木曜を希望します」
森田は申込欄を埋めた。
送信後、画面を見直して尋ねた。
「この二週間が終わったら、どうなりますか」
「続きの仕事は、まだ約束できません」
担当者が答えた。
森田はうなずいた。
「それは、先に分かっている方が助かります」
端末をしまい、村瀬へ一覧を返す。
「この治具、置き場所が変わったものもあります。始める前に、保管担当へ聞いておきます」
「ありがとうございます」
村瀬は連絡先を開いた。
「僕も一緒に確認します」
*
翌週、母の予約日。
佐藤が実家へ着くと、母はまだ玄関にいなかった。
居間の照護端末には、服薬済みと表示されている。
「母さん、そろそろ出よう」
台所から、母が顔を出した。
「診察券、いつもの袋じゃなかったのよ」
佐藤が探そうとすると、母は小さな財布を持ち上げた。
「見つかった。そんなに急かさないで」
病院へ向かう車の中で、佐藤は次回の付き添いも妻と交代できると話した。
母は窓の外を見ていた。
「毎回、来てもらわなくてもいいの」
「でも、手続きとかあるだろ」
「検査のある日は助かる。薬だけの日なら、送迎も頼めるのよ」
佐藤は母を見た。
「使ったことある?」
「あるわよ。あなたの奥さんが調べてくれた」
信号が赤になった。
母は膝の上の袋を整えた。
「来てもらう日を、私にも聞いてちょうだい」
「……分かった」
病院では、母が自分で受付機を操作した。
佐藤が手を出しかけると、画面を指す。
「そこはもう押した」
診察を終えて戻ったあと、佐藤は次回の予定を母と一緒に確認した。
検査の日には付き添う。
その次は、母が送迎の予約をする。
妻へ予定を送ると、返信が来た。
『ありがとう。午前、久しぶりに友達と会えた』
写真には、喫茶店のカップが二つ写っていた。
佐藤はしばらく眺めてから、母の買い物袋を持った。
「帰り、どこか寄る?」
「駅前。いつもの魚屋」
「端末で頼めるだろ」
「自分で見たいの」
佐藤は車の鍵を出した。
「分かった」
*
同じ日の瀾華。
林遠に、契約条件の修正案が届いた。
通常の照会時間は区切られていた。
時間外の支援は、その都度対応可否を確認する。継続した待機を求める場合は、別途体制と費用を定める。
報酬も、最初の案より上がっていた。
林遠は計算欄を開きかけ、契約書へ戻った。
『主担当者:林遠』
『担当者変更には、事前の承認を要する』
陳凱から、続けて連絡が来た。
『先方は担当体制を確定したいそうだ。明日の正午までに、意向を聞かせてほしい』
林遠は椅子に深く座った。
金額は悪くなかった。
返事待ちの求人は、まだどちらも決まっていない。
この仕事を受ければ、退職後の収入に見通しが立つ。
「林さん」
隣で、小趙が声をかけた。
「これ、来ました」
人事システムの通知だった。
『新運用チームへの配属予定について』
「決まったのか」
「来月からです。面談、通ったみたいです」
「よかったな」
小趙は笑った。
「ありがとうございます」
林遠も笑った。
少し前、二人とも次の席が見えなかった。
小趙には、残れる場所ができた。
「引き継ぎ、今週から進めるそうです」
小趙は通知の下を読んだ。
「東都の支援は、今の業務としてはここまでになるんでしょうか」
林遠は自分の契約案を見た。
小趙が作った試験。
村瀬が説明なしで使えた条件表。
それらを成果物に含めながら、担当欄には林遠一人の名前がある。
「陳さんに確認しよう」
林遠は答えた。
小趙はうなずき、新しい配属先へ送る書類を開いた。
林遠は返信欄に指を置いた。
受けますと書けば、明日には話が進む。
担当を分けたいと言えば、誰を置くか、その費用を誰が持つかから相談し直すことになる。
契約案を保存した。
小趙の配属日と、先方への回答期限を、同じ予定表へ入れる。
明日の正午まで。
林遠は、陳凱へ送る質問を書き始めた。
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