第14話 動き出した朝
『通常の対応時間については、調整可能です』
翌朝、陳凱から届いた返事を、林遠は朝食の席で読んだ。
『ただし、先方は緊急時の支援を希望しています。対応できない場合の扱いも含め、条件を整理してください』
葉寧が椀を置いた。
「時間、相談できそう?」
「ああ。ただ、緊急のときは呼びたいそうだ」
「どんなときが緊急なの?」
林遠は画面を見た。
「まだ決まってない」
葉寧は向かいに座り、契約案をのぞいた。
「この金額で、どこまで引き受けるの?」
「作業範囲は書いてある」
「時間の方」
次のページには、技術照会への対応と、必要に応じた会議への参加が並んでいた。
どちらにも上限はない。
「働いた時間の分なのか、いつでも呼べるようにしておく分なのか。それ、違うでしょう」
林遠は椀へ伸ばしかけた手を止めた。
会社にいたときも、夜の連絡には応じてきた。短い質問のはずが、日付の変わるころまで続いたこともある。
「普通の照会と、時間外の支援を分けてみる」
「土曜のことも忘れないでね」
「覚えてる」
居間で、一舟が鞄を閉じた。
「その日、お昼どうする?」
「何が食べたい?」
「一緒に作るのでもいい」
林遠は手帳を開いた。
葉寧の勉強会。その下に『一舟と昼食』と書き足す。
*
東都精機第三工場では、村瀬が計測器の固定位置を確かめていた。
交換前に撮った写真と、目の前の取り付け位置を交互に見る。
中村が整備記録を持ってきた。
「交換部品の確認、終わりました」
佐藤は部品番号と締結記録に目を通した。
出力側支持部を整備し、所定の調整を行っている。静止状態で測った遊びは、交換前より小さくなっていた。
「動作条件は?」
「交換前に独立計測した低速動作です。負荷も経路も変えていません」
村瀬が設定画面を示した。
昨日、林遠たちが修正したのは評価用モデルだ。実機の制御設定には反映していない。
今日はまず、機械側の整備効果を見る。
大野が安全柵の外で足を止めた。
「始められますか」
「最終確認中です」
佐藤が答えると、大野は腕時計を見てうなずいた。
村瀬が作業許可を読み上げる。
立ち入り区域。非常停止系。計測器の固定。中止条件。
中村が柵の内側を見渡し、外へ出た。
「準備完了です」
「お願いします」
村瀬が操作卓に手を置いた。
*
三号機の腕が待機位置から離れた。
治具を持ち上げ、ゆっくり移動する。
手首が返る。
佐藤は音を聞いていた。
最初の朝に聞いた、乾いた接触音はない。
村瀬は記録の保存を確かめ、二回目を始めた。
同じ経路。同じ位置での反転。
動作が終わると、交換前後の波形を並べた。
「収まるのが早くなっています」
村瀬が画面を拡大する。
交換前には長く残っていた揺れが、今は小さい。
「時刻の対応は?」
「測定精度を含めても、差が残ります」
中村が隣からのぞいた。
「もう一回、取れますか」
「許可された回数内です」
三回目も、似た形になった。
村瀬が三本の記録を重ねる。その横に、交換前の記録を置いた。
中村は静止状態の測定値と見比べた。
「機械側の整備後確認は、基準を満たしています。今日の動作でも改善が確認できました」
村瀬が佐藤を見た。
「交換前後の差、測れましたね」
「ああ」
佐藤は確認欄へ記録番号を書き込んだ。
「この項目は完了にしよう」
村瀬は一度、画面を見直した。
「はい」
何度も開いてきた一覧に、完了の印が入った。
中村は工具箱を閉じ、三号機を振り返った。
「今度は、いい記録が残せましたね」
*
評価室へ戻ると、村瀬は保存した測定記録を開いた。
試験前に固定した修正版モデルの条件で、交換後の動きを予測させる。今日の結果に合わせた調整はしない。
青い予測線と、白い実測線。
反転後の収まり方が、以前より近づいていた。
村瀬は画像を報告書へ貼り、次の記録を開いた。
「ここだけ、まだ残ります」
部品を載せた、ある姿勢だった。
揺れは小さくなっている。それでも実測の方が、収まるまでわずかに長い。
「このときの負荷条件を出してくれ」
佐藤が言った。
村瀬は部品重量、把持位置、軸の姿勢を並べた。
工場内の評価AIに比較させると、治具を含む重心位置と、負荷のかかり方が候補に挙がった。
佐藤は登録画面を開いた。
「重さは合わせたが、重心までは見直してなかったな」
同じ重さでも、軸から離れた位置で支えれば、かかる力は変わる。
「この治具、設備更新後も使っていますよね」
村瀬が言った。
「ああ。登録値と現物を照合しよう」
佐藤は負荷条件の確認を一項目加えた。
その上にある完了の印は残した。
村瀬は新しい欄へ、使った治具の番号を入れた。次に確かめるものは、もう決まっていた。
*
瀾華時間、午前十時過ぎ。
林遠と小趙は、東都から届いた結果を読んでいた。
機械側の整備後確認は完了。
評価では、特定条件の差が残る。
「次に見るところ、ずいぶん絞れましたね」
小趙が言った。
「佐藤さんたちが、同じ条件で測ってくれたからな」
林遠はモデルの適用範囲を更新した。今回の比較で確認した条件を列挙し、未確認の負荷条件を分けて記す。
小趙が参照先を確かめ、東都へ返した。
林遠は続けて、契約条件案を開いた。
通常照会は決めた時間帯に受ける。
時間外の支援は、対応できるか確認してから引き受ける。
常時待機を求める場合は、体制と費用を別に定める。
陳凱へ送ると、ほどなく会議室へ呼ばれた。
「時間外は、断る場合もあるということか」
陳凱が文面を示した。
「はい。僕一人では毎日待機できません」
「先方も、困ったときの連絡先がなくなるのは不安だろう」
「窓口は会社に残せませんか。現地で取る措置と、こちらへ頼む解析を分けたいんです」
陳凱は案を読み直した。
「担当者の指定と、連絡を全部お前が受けることは別、か」
「そうです」
しばらくして、陳凱は余白へ書き込んだ。
「契約部門に回す。待機が必要なら、代われる人員も含めて見積を変えることになる」
「お願いします」
林遠は席へ戻った。
条件によっては、依頼の範囲が狭くなる。契約が成立しない可能性もある。
送信済みの文面を開き、もう一度読んだ。
削るところはなかった。
葉寧へ短く送る。
『条件案を出した。土曜は空けてある』
*
東都では、大野が検証結果を読み終えていた。
「限定した工序なら、試験へ進める可能性はありますか」
「あります。ただ、この姿勢と負荷条件は追加確認が必要です」
佐藤が残差のある記録を示すと、製造部の担当者が工程表を開いた。
「その姿勢を使わない作業なら、あります」
薄い部品を移載する工程だった。
村瀬が、確認済みの条件表を寄せる。
「負荷と動作範囲を照合します。監視項目と停止条件を付ければ、試験案にできます」
「お願いします」
大野が言った。
「製造部と品質保証にも確認してもらう。許可が出るまでは始めません」
会議を終えると、佐藤と村瀬は計画をまとめた。
使う部品、治具、速度、姿勢。
今回確認していない動作は、対象から外した。
提出後、製造部から候補部品の一覧が届いた。
佐藤が開いていると、大野から電話が入った。
「明日の限定試験が通れば、第二ラインへ回している分を戻せる見込みです」
「数量は足りますか」
「試験後の運転条件と処理能力を確認できれば、土曜日の追加班を取り消せるかもしれません」
添付された仮の勤務表に、佐藤は見覚えのある名前を見つけた。
食堂で話していた男だった。
娘の発表会があると言っていた。
「まだ、本人たちには確定と伝えないでください」
「分かっています。明日の判断時刻は、予定どおりでお願いします」
「はい」
通話を切ると、村瀬が隣に来た。
「何かありました?」
佐藤は勤務表を見せた。
村瀬は黙って読んだあと、自分の計画を開いた。
「条件の照合、もう一度見てもらえますか」
「ああ」
二人で部品一覧を追っていく。
途中で、村瀬の指が止まった。
「この品番、対象から外した方がいいですね。重量は範囲内ですけど、使う治具が違います」
佐藤も図面を開いた。
「そうだな。これは明日の対象に入れない」
予定数量が減った。
村瀬は製造部への確認欄に理由を書き、修正した一覧を送った。
佐藤は、仮の勤務表を閉じた。
明日、返せる答えはまだ決まっていない。
机の上に残したのは、条件を確かめ終えた部品の一覧だった。




