第13話 直すために集まった
「そのファイル、私の方でも試せますか」
エマ・リードが言った。
共訳端末の訳音声を聞き終えると、小趙は共有範囲を確認した。
「人工的に作った試験データです。顧客の記録は入っていません」
「では、同じものをお願いします」
林遠の画面には、三つのファイルが並んでいた。
数値は同じ。違うのは、その値が何を表すかという情報だけだった。
指令値。
実測値。
種別不明。
「東都側と同じ版の試験環境です。設備には接続していません」
小趙は三つ目を読み込ませた。
『受付完了』
東都精機の会議室で、村瀬が顔を上げた。
「種類が分からなくても通るんですね」
「入口では。使われる先まで追います」
小趙が処理記録を開いている間に、エマも同じ操作をした。
彼女の画面には、別の表示が出た。
『データ種別を特定できません』
『評価入力から除外』
「こちらは通りません」
林遠は二つの版番号を共有表へ入れた。
昨日まで空いていた結果欄が、初めて埋まった。
*
小趙が、受け付けられた値の行き先を拡大した。
『実行軌道偏差』
元のファイルでは種別不明だった値が、実際の動きから求めた値を入れる場所へ渡されている。
「元の項目名は?」
林遠が聞いた。
「履歴側には残っています。でも、この評価処理では参照されていません」
旧形式を共通形式へ移す、互換用の経路だった。
林遠は仕様を開こうとした。
「林さん、先に残りの二つを試していいですか」
小趙が言った。
「不明な場合だけなのか、指令値と書いてあっても同じなのか、見たいんです」
林遠は手を止めた。
「そうだな。そっちが先だ」
一つ目の指令値を入れる。
同じ経路を通った。
二つ目の実測値も、同じ場所へ送られた。
小趙は三つの記録を横に並べた。入力に付けた種別が、途中からどこにも使われていない。
河図に、利用を許可された仕様と処理記録を照合させる。
該当する分岐が示された。
『旧形式入力の互換経路』
『旧補正量を既定項目へ割り当て』
林遠は、元の履歴表示の仕様も開いた。
そちらでは、数値の横に旧項目名を併記している。読む人は、何の値か確かめられた。
評価用の経路には、その確認がなかった。
「画面の注意書きを戻しても、ここは変わらない」
林遠が言うと、小趙がうなずいた。
「人に見せる情報と、評価側が使う情報が別になっています」
佐藤が、共有画面を指した。
「三号機の評価も、この経路ですか」
「照合します」
小趙は東都側から共有された処理履歴を開いた。
入力形式。
変換コンポーネントの版。
評価条件の識別番号。
一つずつ合わせていく。
「一致しています。この旧データは、同じ分岐を通っています」
林遠も記録を確認した。
「小趙、その結果を説明してくれ」
「僕がですか」
「試験を組んだのは、お前だ」
小趙は姿勢を正した。最初の一文は少し速くなり、共訳端末の表示を見て言い直した。
「東都側の、この版と経路で確認しました。ほかの入口まで同じとは、まだ言えません」
佐藤がメモを取る。
「分かりました。こちらの復旧計画にも、その範囲で記載します」
小趙は、林遠を見る代わりに次の画面を開いた。
*
エマが指令値のファイルを試した。
新しい版では、それも評価入力から除かれた。実測値と確認できるものだけが通る。
「変更理由の資料は、製品担当に確認します」
エマが言った。
「新しい版が全部正しいとは限りません。ただ、この違いは共有できます」
「助かります」
林遠は、東都側の試験環境で旧形式の誤った入力を隔離した。
修正するのは、実測値として扱われていた経路だけだ。履歴表示は残す。
モデルの再評価には、種別を確認できる記録を使う。比較用に取り分けておいた独立計測結果は、調整に混ぜなかった。
村瀬が条件を確認する。
「負荷と速度は、記録したときのままですね」
「はい。モデル以外の条件は変えません」
小趙が実行した。
青い予測線と、白い実測線が現れる。
反転後、白い線だけが長く揺れていた場所で、青い線の収まり方が変わった。
村瀬が画面に近づいた。
「差が小さくなっています」
小趙は結果を保存し、比較用の別の記録を開いた。
同じ手順で評価する。
そちらでも差が縮んだ。
『対象記録において予測誤差の減少を確認』
『反転後の応答に残差あり』
佐藤は二組の結果を見比べた。
「まだ重なりませんね」
「ええ。ただ、旧データをこのまま使っていいか、という問いには答えが出ました」
林遠は誤って扱われた入力を示した。
「少なくとも、この経路は直す必要があります」
「これで、次の試験条件を変えられます」
佐藤が言った。
村瀬は旧条件を消さず、新しい条件を別の欄へ追加した。
小趙が保存先を確かめる。林遠も、書き出した試験記録を開いた。
入力、処理経路、結果が、途切れず残っていた。
「よし」
林遠が言うと、小趙はようやく水を飲んだ。
「すみません。少し待ってください」
空のコップを見て、席を立つ。
佐藤が笑った。
「こちらも休憩にしましょう」
エマは送信を終えた資料を示した。
「比較した版と入口の一覧です。私の工場で起きた差異は、別に追います」
「別の結果も、そのまま残してください」
佐藤が言った。
「そのつもりです」
接続を切る前に、エマは次の確認事項を一つ加えた。
今度は林遠だけが、それを書く人ではなかった。
*
三号機の前で、中村が取り外した部品を袋へ入れていた。
「交換は終わりました。締結と静止状態の確認も済んでいます」
佐藤は整備記録を受け取った。
「ありがとうございます。確認運転は、交換前と同じ条件でお願いします」
「計測器の位置も合わせます」
村瀬が固定位置の写真を開いた。
機械の交換効果は、同じ条件で測る。
評価側の修正効果は、同じ記録を使って比べる。
二つを分けた計画を見て、中村がうなずいた。
「これなら、どちらが変わったか追えますね」
大野が区画へ入ってきた。
「次の確認は、いつですか」
「明日の保守枠を希望します。計測器は確保できました」
佐藤が答えると、大野は製造部へ連絡した。
待っている間、村瀬が計測器を置く場所に印を付けた。中村は、作業台から不要になった工具を下ろしていく。
大野が端末をしまった。
「明朝、枠が取れました。その結果で、限定工序の試験へ進めるか判断しましょう」
「分かりました」
「夜間の振り替えは今夜も必要です。明日の結果を、次の勤務調整に間に合わせたい」
佐藤は開始時刻と、結果をまとめる時刻を書き込んだ。
村瀬が製造部への共有を終える。
「送りました」
三号機はまだ止まっていた。
その前に、明日の計測器を載せた台車が入ってきた。
*
瀾華では、林遠が試験記録の最後を確認していた。
実施者、小趙。
確認者、林遠。
「これで、別の人に試してもらおう」
「説明なしで、ですか」
「読めないところがあれば、そこを直す」
小趙は参照先をもう一度開き、リンクが切れていないか確かめた。
林遠の端末に、陳凱から連絡が入った。
会議室へ来てほしいという。
机の上には二枚の書類があった。
一枚は、東都向け追加支援の作業案。
もう一枚には、林遠個人の名前が印刷されている。
「東都は、引き続きお前に担当してほしいそうだ」
「退職の予定は変わりますか」
陳凱は首を横に振った。
「今のところは変わらない」
林遠は二枚目を手に取った。
『業務委託契約条件案』
「退職後、案件単位で契約する案だ。人事と契約部門から、選択肢として出てきた」
作業範囲と期間。
報酬の欄には、提示額がある。
林遠は計算しかけて、先に次のページをめくった。
『必要に応じ、技術照会に対応すること』
「これは、何時までですか」
「そこは、これから詰める」
「休日も含みますか」
陳凱は文面を見た。
「まだ決めていない。希望があれば、出してくれ」
林遠は手帳を開いた。
来週の土曜日。葉寧の勉強会。
自分で空けると約束した日だった。
「持ち帰って、家でも相談します」
「ああ。今日は返事を求めていない」
林遠は書類をそろえた。
席へ戻ると、小趙が聞いた。
「仕事の話ですか」
「ああ。条件を考えないといけない」
林遠は返信欄を開いた。
以前なら、対応できますと先に書いていた。
今日は、その前に確認した。
『通常の対応時間と、時間外の依頼を断れる条件を明記していただけますか。』
読み返して送る。
今度は、消さなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
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