第八話
「だが、そうだな。王太子のいる部屋は息が詰まるだろう」
「どういう意味かな、ブライアン?」
「少し庭園を歩かないか。私の飛竜も紹介したい」
ブライアンがそう言って指差した窓の外に、こちらを見ている大きな――。
「ド、ドラゴン……!?」
「ああ、グロリア帝国で竜騎士の称号を得て連れ帰ってきた私の相棒だ」
「竜騎士の称号を授けられたことは存じておりましたが、ドラゴンも!?」
「ゆくゆくは我が国でも飛竜を繁殖させ、竜騎士を養成するつもりだ。既にグロリア帝国の協力は取り付けている」
「そんなことが……」
「乗るだろう?」
「いいんですか!?」
ドラゴンは馬の二倍程度の体躯を器用に縮こませて、テラスにちょこんと座っていた。大きいけれど、とても可愛い。ブライアンが留学していたグロリア帝国では、飛竜、という種のドラゴンに騎乗する技術が確立していると有名だ。しかしまさかこの国で本物のドラゴンを見れるとは思っていなかった。
ドラゴンは元々、とても賢く強力で獰猛なモンスターだ。ドラゴンの影を見たら村を捨てろ、なんてことわざもある。けれどドラゴンにも種類があって、飛竜というのは比較的温厚なのだ。そうであってもモンスターなので油断はできないが、上手く手懐けることができれば馬よりも早く、そして強い。英雄譚には必ずと言っていい程、竜騎士と呼ばれるドラゴン乗りが出てくるくらいである。
「あ、でも、飛竜は繊細な生き物だと聞きます。わたくしなどが乗ってもよいのでしょうか」
「私がいれば問題ない」
差し出された手を取りテラスに出ると、ブライアンの飛竜はてちてちとこちらに歩いてきて興味深そうに私を眺めた。そしてふんふんと匂いを嗅いだあと、私の手をぺろりと舐めてくれたのだ。
「あわ、か、可愛い。おめめがくりんくりんですね……」
「ふ、撫でてやるといい」
「いいんですか……!?」
「本人……いや、本竜がいいと言っている。撫でられるのが好きなんだ」
「はわ……っ」
きっと一生実物を見ることはないのだと思っていた飛竜が、こんなに近くにいるだなんてと思うともう我慢ができなかった。そっと下げられた頭を撫でると、つやつやでひんやりとした鱗が思った以上にすべすべだった。
そうやって飛竜に夢中になっていると突然ぱたん、と扉の閉まる音がした。慌ててそちら側を見るとダコタがこちらに向かって手を振りながら「楽しんでいらっしゃい」と言うのだ。いい笑顔だ。やられたと思った時には遅かった。けれど、飛竜には乗ってみたい。でもいや、うううん……。
「締め出されてしまったのだから、仕方ないな」
「……そ、そう、ですよね?」
「ああ、そうだ」
「ですね」
必死になって言い訳をしながら、私は飛竜に乗せてもらった。ここは別に密室ではないし、そうだから、大丈夫だ。大丈夫、である。……多分。
飛竜の鞍は、想像していたよりもずっと快適だった。その飛行距離はテラスから庭園までのとても短いものだったけれど、夢のような時間とはああいうことをいうのだ。
私たちを降ろすと、ブライアンに何かを指示された飛竜はどこかへ飛んで行ってしまった。さすがにここに置いておくことはできないからと、飼育小屋に戻したらしい。そして私たちは、一応当初の目的通り庭園を散歩することにした。この庭園には多くの人目があるから二人きりには該当しない。幸いなことに気まずくなるかもという心配はただの杞憂で、けれど昔話にこんなにも花が咲くのは少し意外でもあった。
「覚えているか。君はよくこの木の下で花輪を作っていた」
「はい、勿論です。……殿下は、それによく付き合ってくださいましたね」
「そうだな。花びらまみれにされた」
「そ、それはその、その節は大変な失礼を……」
「グロリア帝国では何度も、その頃の夢を見た」
それはまだ、学院の初等部に入る前だった。まだ、身分というものをきちんと理解できていなくて、世界は美しく楽しく優しく、そして喜びに満ちていると純粋に信じていた頃だった。当時の私は怖いもの知らずで、王宮の庭園の花をちぎっては花冠を作っていたのだ。おそらく、私がそうしていいように整えてくれていたのだろう。あの頃は、大人たちがどういう配慮をしてくれていたのか一つも分かっていなかったけれど、今ならそれが分かる。
そんな子ども時代の終焉は、私の場合はおそらく、ブライアンがグロリア帝国へ留学に行ったその時だろう。いや、「友人だ」と言われていたのを聞いた時だったかもしれない。どちらにしろ王宮に通わなくなって、それから世界というものを理解し始めたのだ。
ふとブライアンの足が止まり、彼がこちらを振り返る。幼い頃に恋した彼は、その人であると頭では分かっていても、やはり少し違って見えた。おそらくブライアンから見た私もそうであるのだろう。我々は大人になったのだ。
「結論は急がない。君もあんなことがあったばかりだ。だが、考えてはくれないだろうか。できるだけ、前向きに」
「……質問を、お許しいただけますか」
「ああ、何でも」
「何故なのでしょう」
「……何でもとは言ったが、さすがに漠然としすぎてないか」
「ええ、ですから殿下が話してもよい、と判じられたことをその分だけお聞きしたいのです」
我ながら、ずるい言い方をしていると思う。けれど、これ以外に聞きようもない。身分が上の方に、何でもと言われたところで不躾にあれこれと質問するのはあまりにも無作法であるし、核心を突きすぎても煙に巻かれる可能性もある。だから、これが最適解であるのだ。……その筈だ、自信はないが。
さすがに難しかったらしく、ブライアンは僅かに悩むような仕草をして、けれどすぐに顔を上げた。
「そうだな。まず、私がこれまでずっと婚約者を選定しなかったのは、国内の勢力調整の為だった。私はどこまでいってもジュリアンのスペアだ。ジュリアンの邪魔になってはいけないが、ジュリアンに何かあれば私が王位を継承しなければならない。つまり、私と結婚する人の地位は高すぎても低すぎてもいけなかった」
「はい、承知しております」
「……さすがに、これだけでは不十分か」
「これ以上は話せないと仰るなら、十分でございます」
「いや……」
ブライアンは今度は少し困ったように笑った。……ああ、いつだったかは覚えていないけれど、この表情は見たことがある。
「ダコタ嬢との関係性もそうだが、ほかにも様々な理由がある。ただ一番の理由は、私たちが友人であるからだ」
一瞬、私は固まっただろう。あり得ない失態だ。けれど、さすがに私は眉間に皺を寄せるのをとめられなかった。
「つまり、殿下はご友人と結婚なさりたいと」
「いや、語弊がある。信頼できる関係が既に成立しているから、という意味だ。私は留学期間が長かったから、これからそういった相手を探すとなると時間がかかりすぎる」
「……わたくしは、結婚間近でした。駄目になってしまいましたが、そうでした。その場合に選ばれる予定だった方がいらっしゃるのでは?」
「……確かに候補はいた。けれど、君がいるなら、君がいい」
いい、というのは丁度いいという意味だろう。胸が冷えていくのを感じる。初恋は失った筈であったのに、どこかに少しは残っていたのだと否応なしに自覚してしまう。
喜んでもいいのかもしれない。初恋が、あちらから戻ってきたのだから。けれど、さっきの言葉は今の私に向けたものではないのだ。
私は、ふわりと微笑んでみせた。貴族令嬢として、褒められてきた笑みだ。これには少し自信があった。
「お話しいただき、ありがとうございます、殿下。では、この件は父より正式にお答えさせていただきますので、本日は――」
「ペトラ」
私は、応えなかった。応えてはいけなかった。それがたとえ、この国の王族であっても。たとえ、昔に恋した人であっても。




