第七話
どうぞ、と言われるままに、私は王宮でしか味わえない菓子たちを口に入れた。それはびっくりするくらいに思い出の通りだった。そういったものは記憶の中で違うものとなっていることが多いのだと何かで読んだことがあったのに、本当にそのままで感動してしまった。
似たようなものは今までだって食べていたのだ。このバタークリームとジャムのケーキだってそうだ。一見素朴なこのケーキは、最高級のバターと砂糖、そして王宮で管理している特別な果樹になった果物をふんだんに使っている。再現は不可能だった。
「ペトラ、美味しい?」
「はい、ダコタお姉様、とって――あ」
慌てて口を塞いだけれど、零れた言葉は戻らなかった。
「いいのよ、ペトラ! お姉様で!」
「そうだよ。僕もまたジュリアンお兄様って呼ばれたい」
「え、いや、あの、しかし、ですね……」
やってしまったと唇を噛む。ああ、どうにかしなければ。けれど私がいい案を思いつく前に、話は進んでいってしまう。
「いいこと、ペトラ。貴女何か、勘違いしているのではなくて?」
「えっと……」
「貴女は大昔から、いえ、むしろ生まれた時からあたくしたちの妹分なのです。ですから、貴女があたくしたちをお姉様、お兄様と呼ぶのは当然のことなのよ」
「うんうん、僕も同感だよ」
「……ええっと」
上手い返しが考えつく前に次々とそう言われて、頭がこんがらがっていく。確かに昔、彼らをそう呼んでいたことがあった。子どもだからと許されていた。けれど、私は所詮伯爵家の娘だ。彼らに気安く接するのはよろしくないと気づいてからは、一定の距離と礼節を保つことを心がけていた。私の立ち居振る舞いは、家の評価にもつながる。アルマトゥーラ伯爵家には無礼な娘がいる、などと言いふられたくはなかった。もう、子どもではないのだ。それは、当然のことだった。
困り果てた私は、咄嗟にブライアンを見た。さっきエスコートをしてくれた彼は、いっそ清々しいくらいに他人行儀だった。だからきっと二人を諌めてくれるだろうと期待したのだ。私の視線に気づいたらしいブライアンは、こちらに向かって小さく頷いてくれた。
「私も、王子殿下は不満だ」
「えっ」
「そもそも王子殿下、だけであればジュリアンも父も該当する。殿下だけなら王妃様と母もだ。適切ではない。先程は君の連れてきた家人の手前敬語も使ったが、君相手にあまりよそよそしいのもやはり慣れない」
私は絶句し、そして軽く絶望した。この場に、私の味方は一人もいなかった。昨日のあの場のようにつらつらと言葉を並べ立てようにも、それが一文字でさえ出てこないのだ。それは混乱もあるが、おそらくこの場で私が一番に地位が低いというのもある。昨日のカフェで、一番地位が高かったのは私だった。そしてそれ以外にも彼らには不利な点が多くあった。あまりにもこちらの優位性が高かったのだ。だからあれだけ強気でいられた。あまりにも小者の考えであるが、地位とはそういうものである。
「ペトラ、難しく考える必要はないわ。公的な場では今まで通り敬称で呼んでも構わないの。でもね、今日呼んだのはこういったことを含めた話がしたかったからよ。ブライアン様も帰ってきていらしたから丁度いいと思って」
「は、はい……」
「緊張しないで、決して悪い話じゃないと思うのよ」
私はそっと居ずまいを正した。元々そこまで崩していなかったと思うが、それでも次期王太子妃から直々に話があると言われたのだ。緊張をしないで、は私には難しい。そんな私に苦笑しながら、ダコタはジュリアンを見た。
「君も知っての通り、ダコタと僕は年末に結婚が決まっている。これまでもダコタには僕の婚約者として政務に参加してもらっていたが、結婚後はその仕事量が増えるだろう。そこで、お願いがあってね」
「はい」
「君には、ダコタの傍でできる限り彼女の味方でいてほしいんだ」
私は、ぱちりと瞬きをした。ダコタは遠戚であり、さらに家同士も同派閥である。しかも派閥の序列はダコタの実家であるルーチェ公爵家が一位であるので、私が彼女の味方するのはあまりにも当然のことだった。いやしかし、ジュリアンは「傍で」と言ったのだ。
「ダコタさ……。お、お姉様のお味方をするのは、当然のことです」
ダコタの呼び方が不自然に変わったのは、彼女にじっと見つめられていたからである。けれど、ここで一度言葉を切ったのはこの返事が重要なことだからだ。
「ですが、もし出仕のお誘いでしたら、父に確認を取りませんと」
「ああいや、違うんだ。ダコタの侍女になってほしいと言っている訳じゃないよ。というか、君を侍女にしてしまったら確実に特別枠になってしまうから、ほかの侍女がやりづらいだろうからね」
「さようですか、早計でございました」
「ううん、今の言い方だとそう取ってしまうのは仕方のないことだよ」
ジュリアンはそう言って、今度はブライアンを見た。ブライアンがそれに頷き、こちらを向く。何だろう。自然と肩に力が入った。
「私と結婚して王子妃として王太子夫妻を、ひいてはこの国を支えてほしいと思っているんだが、どうだろうか」
……うん?
「はい?」
ちょっとよく理解できない言語が聞こえて、私はあろうことかこの国の王位継承第三位である王子に、言葉を聞き返してしまった。
「そうか、受けてくれるか。では――」
「ち、違います、違います! 了承の『はい』ではありません!」
「ぬ」
「ぬ、ではなく!」
そのままの勢いで大声を張り上げてしまったが、もう気にしてはいられなかった。ことがことである。
「ど、どういうことですか……」
「どういうこともなにも、言葉の通りだ。結婚の打診をしている」
「結婚って、な、何事です……?」
「何事もなにも……」
あまりの突飛さに眩暈がする。けれどブライアンを問い詰めても、同じ言葉しか返ってこない。昔にも似たようなことがあった気がする。さすがに今はそれを懐かしんでいる場合ではないのだが、ダコタたちはそうではなかったようだ。
「まあ、ふふふ。貴方たちって十数年ぶりに会ったにしては昔のままね」
「当然だ。我々の友情は年月で消滅したりはしない」
「あら、強気ですのね」
「淑女としてよく名を挙げられるようになった彼女が、こうして変わらず気を許してくれているのが証拠だろう」
「あはは、よかったじゃないか、ブライアン」
ダコタもブライアンもジュリアンも平然と会話を楽しんでいるが、私だけがどこか置いてけぼりであることを察してほしい。しかしそれを、この文字通りロイヤルな方々に訴える訳にもいかないのだ。私は音を立てないようにゆっくりと深呼吸をした。
「その、ブライアン王子殿下」
「……ああ」
「先程のお言葉ですが、わたくしの一存で決められる範疇を越えておりますので」
「分かっている。アルマトゥーラ伯爵へは、こちらから正式に要請をするつもりだ。だが、現時点での君の考えが知りたい」
「わたくしの考え、ですか……?」
静かに頷かれてしまい、私は素直に困った。例えば「身に余るお話です」と答えれば王族からの誘いを不躾に断ったと取られかねず、また「大変嬉しく思います」と返せば当主の判断を待たずに勝手に了承したと思われかねない。そもそも婚約を破棄したばかりの私が、王子妃になどおかしな話である。
現在適齢期で婚約者のいない伯爵家以上の女性は我が国にはほとんど残っていないが、年齢を五、六歳程下げれば侯爵家と辺境伯家にそれぞれ一人ずつご令嬢がいた筈だ。その分、結婚が遅くはなるが王子妃として王室に迎えるのならそちらのほうがいいに決まっている。
それにいくらダコタたちの推薦であっても、同派閥から同時期に二人も王室に入れるのは問題があるだろう。いや、これは私が判断することではない、けれど。ああ、考えがまとまらない。
「だから、そう難しく考えなくてもいいのよ、ペトラ。……と、言ってもさすがに無理な話よね。ああ、そうだわ。少し二人で話してみてはいかが? あたくしたち席を外しますから。ね、ジュリアン様」
「ああ、いい考えだね、ダコタ」
「な、さ、さすがにそれは。わたくしも未婚の身ですから、部屋に二人というのは、その……」
「あら、さすがにバレるのね」
「……お姉様?」
「うふふ」
ダコタは悪びれもなく悪戯に笑うが、本当に笑いごとではない。未婚の婚約者でもない年若い男女が部屋に二人きりなんて、何を言われるか分かったものではないのだ。私だけでなく、家の名に傷がつく。これは、何かしら理由をつけて早急にこの場から辞す必要がありそうだ。私が危機感を覚えながらそっと腰を上げたのと、ブライアンがふむ、と口に指をあてたのはほぼ同時だった。




