第六話
「お久しぶりです、ペトラ・アルマトゥーラ伯爵令嬢。本日は私がダコタ嬢よりエスコートを任されました。どうぞこちらに」
お久しぶりです、と言われても私はその男性に見覚えがなかった。端整な顔立ちと長身の目立つ人だ。どことなく王太子殿下にも似ているような気がするのは、殿下と年が近いからだろうか。しかし王族に似た風体をしていて、ダコタの名を出し王宮で私のエスコートに指名される人だ。おそらく、かなり地位が高い。そうであるなら、私も一度くらい見たことがあるだろう。けれどやはり、見当もつかなかった。
明らかに怪しい。が、馬車に閉じこもっている訳にもいかない。逡巡ののち、私は差し出された手を取った。
「ありがとうございます。ですが、失礼。わたくしは閣下とお会いしたことがございますでしょうか」
「長く会っていませんでしたからね。ずっと国外にいたせいで、我が国の社交にもまだ出れておりません。……しかし本当にお分かりになりませんか」
「え……?」
馬車を下りる途中で、ばちりと目が合った。やはり、知らない顔だ。けれど、いや、この色とこの目は、私の――。
私の、失った初恋そのものだった。
馬車を降りきって、膝を折る。手を取られたままなので不格好だったが、放してもらえなかったので仕方がなかった。
「……申し訳ございません。どうかご無礼をお許しください、ブライアン・コノシェンツァ王子殿下」
「謝罪の必要はありませんが、まあ、受け取りましょう。では、こちらへ」
ぐ、と私の手を引くその人は、この国の王子だ。王弟の一人息子で、王位継承順位は三位である。
我が国は現在、国王にも子どもが一人しかいない。その子どもが、ダコタの婚約者でもある王太子である。王族が少ないからと王弟はそのまま王室に残っており、その子息であるブライアンも王子の称号を与えられていた。つまり、直系の王太子に何かあれば代わりに王位につかなければならない人だ。ずっと国外留学をしていた筈であるが、そんな王子がどうしてここにいて私のエスコートをしているのかは分からなかった。
内心冷や汗をかきながら黙ってついていくと、途中で従者と侍女は控え室に連れて行かれてしまった。想定内ではあるが、静かに心拍が上がる。けれど、案内された部屋に着いた途端、緊迫した空気は霧散した。
「ペトラ! 心配したのよ、あのあと大丈夫だったの?」
ダコタが、ぶつかるように抱き着いてきたのだ。彼女は人前では完璧な淑女を演じているが、気の置けない友人しかいない場所であるならその生まれに似つかわしくない程度には気安く明るい人だった。私とも遠戚で年も近いからと昔から仲良くしてくれていて、こんな一面も見せてくれる。しかし、ここは王宮なのだ。私はダコタを抱きとめながら、心の中で顔を青くした。
「ダ、ダコタ様、その、ご挨拶を……」
「いいよ。ここには僕たちしかいれないから。ああ、聴取とかでもないから楽にしてくれ。当然、君や君の家を罰したりなんかしないよ」
「これは、王太子殿下……」
「いいからいいから、さ、どうぞ」
通された部屋には、王太子であるジュリアンとダコタ、そして数人の侍女が控えているだけだった。聴取や処罰の言い渡しでないなら、では一体何の用だと言うのだろう。私はちょっと泣きたくなった。しかも何故かしれっとブライアンも入室してるのだ。訳が分からない。けれど少し、懐かしさも感じていた。こうやってこの四人で集まるのは、久しぶりのことだ。
昔、この国の王子たちと年の近い伯爵家以上の子女は、王子たちの遊び相手にと月に数回王宮に呼ばれていたのだ。私もその中の一人だった。今になって思えば、王子たちの側近候補や妃候補を探すという意図もあったのだろうが、当時の私はのほほんと王宮で出されるお菓子を楽しんでいた。
この組み合わせで呼ばれることが多かったのは、ダコタが王太子妃の一番の候補だったからだろう。ダコタと私は遠戚で相性もよく、また我が伯爵家は権力への欲が薄かった。つまり丁度よかったのだ。だから子どもの頃は、この四人で遊んだり一緒にマナーを習ったりした。成長するにつれて機会は減り、今ではまったくなくなった集まりだがやはり懐かしいものである。
そんな現実逃避を挟みつつ、私は示されたソファに座った。
「昨日は災難だったらしいね。怪我はしてない?」
「はい、警備隊の方が助けてくださったので」
「え、待って、何? 聞いてないわ、あのあとやっぱり何かあったの?」
「は、ええと……」
「ああ、僕もきちんと本人の口から何があったのか聞きたいな」
ジュリアンとダコタに矢継ぎ早に言葉を投げられ、困った私はぐ、と拳を握った。よくない癖である。そして直した癖だった。今更こんなことになっているのは、やはりこの四人で集まってしまったからだろう。出してはいけない甘えが出ているのだ。焦った私は慌てて口を開こうとしたが、それより先にブライアンがそうした。
「やめろ、ジュリアン。聴取ではないと言った口で責め立てるようなことをするな」
「おや、そんなつもりはないけど」
「お前はもう少し自分の立場というものを自覚しろ」
「僕らの仲でも?」
「当然だ」
やいやいと言い合うブライアンとジュリアンは、昔のままだった。あれから十年以上の月日がたっているのに、彼らは何も変わらない。それが何だか眩しくて羨ましかった。あの頃は何をするにも楽しかったことを思い出して、少し胸が痛む。
「お二人とも、いい加減になさってくださる? ……それで、ペトラ。話を聞いても?」
「かしこまりました。では、ダコタ様がお帰りになったあとのことですが――」
私は、変わっただろう。途中まで跡取り娘として教育を受けていたのだ。爵位は夫となる筈だったコリーが代理で受け継ぐ予定ではあったけれど、アルマトゥーラ伯爵家の正式な跡取りは私であった。子どもの頃は下手だった敬語も上手くなった。彼らのことも敬称で呼ぶようになった。気安く話しかけることもやめた。それらは、貴族社会で生きていく為に必要なことだった。
ダコタは同性で遠戚でもあるので、他者が誰もいない場所でだけ昔のように呼ぶこともある。本人は普段からそうしてほしいと言ってくれるが、それは難しかった。寂しそうな顔をさせてしまった負い目はあるけれど、ダコタは王太子妃に、そしてゆくゆくは王妃になる人だ。距離感を間違える訳にはいかなかったのだ。
「――と、なりまして。我が家の対応は、以上となります」
昨日のことを話し終えると、三人は一様に眉間に皺を寄せた。あまりにも揃っていて、ちょっと笑いそうになってしまった。
「……僕は一応ことの顛末を聞いていたんだが、改めてろくでもないな」
「まったくだ……」
「く、やはり、あたくしもあの場に留まるべきでした……!」
私はぐ、と唇を噛みしめた。ここで笑う訳にはいかなかった。この場は私的に整えられたものだが、そうであっても駄目なものは駄目なのだ。……でも。
「……ん、ふふ」
無理だった。笑ってしまった私は、けれど叱られることはなかった。何だか、本当に昔に戻った気分だった。そんな筈はないのに。
「おや、僕たちが心配しているというのに、君って子は。でもまあ、不必要に辛い思いをしていないなら、それに越したことはないか」
「ご心配をありがとうございます、王太子殿下。ええ、大丈夫ですわ」
「そう? なら、お菓子でもどうかな。昔、君が好んでよく食べていたものばかりを用意させたんだ。味覚が変わっていなければいいんだけど」
「えっ」
声が弾んでしまったのは、もう、仕方がないだろう。今日だけだ、今日だけ。いや、この場を出たらまた頑張るから、今だけ。……こんなふうに自分に甘いから、いろんなことが上手くいなかったのだろうけれど、本当に今だけだから。
だって、テキパキと並べられるお菓子があんまりにも美しくていい香りがして懐かしくて、堪らなかったのだ。
「わ……」
「よかった。喜んでもらえそうだね」
「はい、殿下。お心遣いに感謝いたします」




