23歳45_Invisible scars
ライブ明けの月曜日、采女を眼科に連れて行った。
軽度の眼精疲労と診断される。検査でも大きな問題はなかった。
問題があったとすると、良好だった視力が落ちていたことだ。
DVDでの研究やパソコンを使った作業、一番インドアで非運動的なことをやり続けていたツケが、溜まりに溜まった結果のようだった。
加えてまだ成長期だということもある。視力の自然回復は難しいようだ。
「びっくりしたよ。ライブ会場、あんなに眩しかったかなって」
「以前からそういうことはあったの?」
「んー? レッスンが終わる頃、目がしぱしぱするなってのはあったかも」
視力の補正には眼鏡かコンタクトレンズが必要になる。目に何かを入れるような手術をするにはまだ若いし、リスクもあった。
裸眼でもまだまだ日常生活に問題はない。しばらく目を酷使せず、月一程度で再受診した方がいいそうだった。とりあえず点眼薬で一週間の様子見を言い渡される。
「コンタクトより眼鏡がいいな」
「いずれ買うかもしれないけれど、もう少し様子見してからね」
「はーい」
本人はあまりショックを受けていないようだ。
「とりあえず、しばらく部屋でDVDを見るのは控えなさいね」
「うん。しばらくは自然を見に行きたいかな」
淡々としているのは心強いが、普段とのギャップのせいで落ち込んでいるようにも見える。
どう接してあげたらいいのだろうか。私一人ではどうしようもない。気晴らしさせてあげたかった。
その日は学校を休ませて、事務所に連れて行った。
木蓮さんと瑞香さんに、本人の前で説明しておく必要がある。
「あー、成長期の視力低下ね。私もあったよ」
木蓮さんが「今コンタクトだよー」と自分の目を示す。
「私もDVDで研究とかしてたんだよね。采女ちゃんと状況はかなり近かったと思う」
「木蓮さんはそれで不自由してるの?」
少し不安そうな采女の声。私と瑞香さんは黙って聞いていた。
「んー、コンタクトも慣れたら大したことないしね。お医者さんが問題ないって言ったんなら大丈夫だよ」
「わかった。私、眼鏡似合うと思うんだよねー」
いつもの調子に戻ってきた。ただの虚勢でないことを願う。
「あれ? 采女ちゃん?」
「浮草ちゃんおはよー」
事務所にやってきた浮草に、采女が自ら説明した。
「なんだ、そんなことか。私もコンタクトだし、家じゃ眼鏡だよ」
「そうなの? 泊まりに来た時、眼鏡してなかったじゃん」
「あの時は眼鏡忘れてただけ。必要ない時はコンタクト外してたし」
つけなくてもある程度は見えるしねーと、浮草はのんびり呟いた。
過去に、自分も含めて視力の低下を訴える人が周囲にいなかった。そのせいでずいぶん慌ててしまった。
事務員さんたちの中には眼鏡をかけている人もいるし、亜嵐さんも眼鏡をかけ外ししている。あの人は老眼だろう。
よくよく考えれば、小中学生で眼鏡をかけている子もいるのだ。将棋道場にもそういう子はいた。
いかんいかん、私が慌てたら采女が不安になる。親気取りで慌ててしまい、采女の気持ちを察してやれていなかった。
今週の木曜日には解説の仕事が入っている。采女のことは心配だが、来週までは点眼薬以外に対応できることがない。
せめて、自宅での様子だけは見守っていてあげたかったが、時期が悪かった。
今回の仕事では、糸遊の関係者枠の入場を許可されている。ライブが終わった日の夜に伝えると、糸遊は目を輝かせた。
凌乃と結葉には、普段から采女の様子に気を遣ってあげてほしいと頼んだ。視力が低下しつつある、現状はそれだけだが、何か他に問題がないか気にしてあげてほしい。そして自室でこっそりDVDを見たりしていないか注意してほしいと。
「そっかー、采ちゃん頑張ってたからなぁ」
同室の凌乃は監視にぴったりの人員だ。
「あたしは遠くでなんとなく見てるだけだったけど、采ちゃんは色んなアイドルの、細かい振付を研究してたしね」
「確かにここ数か月、研究者気質なところ出てたよねぇ」
結葉も同意する。一緒にレッスンを受け、指摘し合う仲だからこそ采女の研究量に感心したようだ。
「まあオタクだね、オタク」
元も子もない言い方だが、采女の性格的にはそちらの方が合っていた。
「木曜日は朝からいないのよ。私への連絡は遅れてもいいから、少しでも異変があれば木蓮さんと瑞香さんに伝えてね」
「連理ちゃんはずっと心配性なままだね」
「結葉が倒れた時は本当にびっくりしたんだからね」
「あはは、ごめんなさい」
あの時は采女と糸遊の学校での喧嘩騒ぎもあって、じっくり考える暇もなかった。そのおかげで、あまり尾を引かなかったのは幸いだったと思う。
今ではその結葉が一番しっかりしている。頼りきりにならないように気をつけているつもりだが、どこまで立ち入っていいのか今でも悩むことは多い。
采女からすると、タイプの違うお姉さんが二人近くにいる環境だ。心配する必要はない。
何度自分に言い聞かせても、なかなか不安は拭えなかった。
水曜の夜、私と糸遊は早くベッドに入っていた。お昼前に着けばいいはずだが、移動時間に不安があった。
今回は新幹線の移動になる。一時間半ほどの予定だが、そこまでの移動も含めると二時間はかかる見込みだ。
眠りについていると、もぞもぞと動きがあった。ぼんやりと目を覚ます。
「ん……」
「ごめん。起こしちゃった」
「采女?」
「一緒に寝てもいい?」
「私、朝早いからね」
「承知承知」
少しして采女が口を開いた。
「ごめんね」
「どうしたの?」
「うん。迷惑かけちゃったのに、ちゃんと謝ってなかったから」
「こっちこそごめんね。私も気にかけてあげられたのに」
「それは無理だと思う」
「無理だったか」
思わず笑い合ってしまった。確かに別室でやっていることを把握することは不可能だ。
「一日連理ちゃんと会えないと思うと甘えたくなっちゃった」
「最近甘えんぼさんね」
「今まで我慢してたから」
我慢していたのか。分かる気がした。
いつも人を傷つけないラインを見計らって、盛り上げるために自分が報復を受ける前提で悪戯を仕掛ける。
器用に見えて不器用。そしてたくさんの時間を人を見ることに費やしてきた。采女なりに、自分にできることを探した結果だ。やっぱりこの子は悪くない。謝られる筋合いなんてなかった。
「いっぱい頑張ったんだね」
「まだまだこれからよ」
「なにかやりたいことでもあるの?」
「んー、今は秘密」
「秘密かぁ」
よしと、采女が起き上がった。
「やっぱ一緒に寝なくていいや。満足した」
「そう?」
「うん。起こしちゃってごめん。明日頑張ってね」
「ありがとう、おやすみ」
「おやすみ。連理ちゃん」
うっすらと時計を見る。まだ六時間は眠れる。采女のいた温もりを噛みしめながら、幸せな眠りについた。
「連理ちゃん連理ちゃん!」
「んー?」
糸遊? まだ外は薄暗いのに。
「もう七時だよー起きろー!」
「七時?」
がばりと跳ね起きた。六時過ぎに起きる予定だったのに寝過ごしてしまった。
「ありがとう糸遊。急いで準備しよう」
「糸遊はもう準備できてるよ」
「ごめんごめん」
来週の卒業式まで使う制服に糸遊は着替えていた。ダッフルコートも着ていて、本当に準備万端だ。
二十分ほどで最低限の準備を済ませ、化粧は後回しにして糸遊と自宅を飛び出した。
「おそーい」
「瑞香さん?」
マンションから出ると瑞香さんが車で待機していた。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、昨日の夜遅くに采女ちゃんから電話があったの。新幹線の駅まで送ってあげてほしいって」
事情を聞きながら車に乗り込む。助かった、これなら電車を乗り換えるより早いはずだ。
「助かるよー、今日に限って寝坊しちゃった」
「糸遊が起こしてあげたんだよ」
「糸遊ちゃんは偉いねー」
「えへへ」
本当に助かった。その糸遊も眠いのだろう、笑いながらふらふらしている。
「化粧もしちゃいなさいな」
「うん」
新幹線で気まずい思いをするよりよっぽど気楽だ。化粧をする場合、薄っすらでいいと教わっている。
個人的にはしなくても大差ないと思っていたけれど、一応は社会人としてやるべきだと、瑞香さんに日頃から念押しされていた。
「本当、薄化粧でさまになるから羨ましいわ」
「そう?」
「普段からいっぱい動いてるからかな。代謝がいい分、肌がずっと綺麗だもの」
「まだまだ若いからね」
「ここで降りる?」
「ごめんなさい」
糸遊は既に眠りこけている。折角眠りについたところ悪いが、もう駅に着いてしまう。
「いやー、助かったよ。本当にありがとう」
「はーい、頑張ってきてねー」
ゆるーく見送られる。本来の予定よりいくらか早く着けた。欠伸をしている糸遊を引っ張り、新幹線の改札へ急ぐ。
売店でサンドイッチとコーヒー、糸遊にはお茶を買って新幹線へ乗り込んだ。指定席を見つけてようやく一息つく。
「間に合ってよかったねー」
「本当。起こしてくれて助かったよ」
采女のせい……ではある。しかし責める気にはなれなかったし、責めるには少し恥ずかしい説明も必要になる。
今回は私の朝寝坊ということで済ませよう。平和的解決だ。
新幹線では絶対に寝過ごさないように、しっかりと糸遊と確認し合ってアラームをセットした。




