23歳44_Invisible scars
睡蓮のライブは珍しく平日、バレンタインデーだった。
いつもの歌と踊りから始まるのではなく、ステージの上にちょこんと丸椅子が置いてある。
舞台袖から睡蓮が出てきた。丁寧にお辞儀をし、てくてくと歩いて丸椅子に座る。
「バレンタインデーに寂しいやつらめー!」
いきなりの暴言、もはやお決まりのセリフだ。
ひどーい。睡蓮がいればいい。振られてきたー。色々とおかしな声援が飛び交う。
「あはは、私も一緒だよ。今日はいっぱいお話しよう」
睡蓮の一人語りが始まる。寂しい話でも悲しい話でもない、日常的なちょっとした笑い話。
アイドルのプライベートを覗けるという意味では面白い試みだと思う。ただ、これでは盛り上がりに欠けると思った。
そう、アイドルのライブにプライベートなんて求めていない。歌を、踊りを、元気を、感動を求めて来ているのだ。
「もうすぐ私のお友だちにお子さんが生まれます」
金井さんのことだ。空気が変わった。
「そのお友だちが一番好きだと言ってくれた曲があります」
なーにー? ノリのいいファンばかりだ。
ああ、演出だったのか。そういう導入だったんだ。一人で納得した。
曲名が宣言され、イントロが始まる。
いつもよりもマイクパフォーマンス多めの始まり方。そして曲の合間にコールアンドレスポンスが多い。
何度も聞いた曲なのに、これまでとは盛り上がり方が違った。新曲以上にライブ会場の一体感があった。
静かな語りから緩急を使った演出。友人と出産の要素。事実を確認する術がなくても、お客さんは信じる。
まるで宗教だ。そして睡蓮は、誰よりも前に出ることが大好きな教祖だ。表に出ない人を含めたチームの力強さを感じた。
あんな語りからのスタート。これまでの歴史があり、続いてきた人気があり、自信があって初めて成り立つ演出だと思う。
まるで、これまでのストックを一旦出しきった。そういう印象を覚えた。
睡蓮が終わる? まさか、そんな雰囲気はなかった。もっとライブをやりたい、もっとライブをやらせろ。そう言っているように聞こえた。
恐らく次回のライブへの仕込みだ。きっと何かやるのだろう。
握手会の列を見た。今回は私に参加権はない。常連と化した人が、また泣いているのを見つけた。最後は感情を昂らせて締める。いつもの睡蓮のやり口だ。
終わるのを待つ。列の消化が終わった。睡蓮と目が合うと、すまんねと口だけ動かして笑っていた。握手会が終わるまで待つように言われていた。
私を除くと関係者だけになる。他のお客さんへの配慮が必要なくなり、控室に連れ込まれた。
「いやー、疲れた疲れた」
「おつかれさま。ご用件はなんでしょうか教祖様」
「信者一号君、水を持ってきてくれたまへ」
冷蔵庫を指さしながら言う。何の用事なんだろう?
「それでどうしたの? 最初、変わったことしたよね」
「うん。連理ちゃんはどう思った?」
考えていたことをそのまま口に出す。それでもよかったけれど、改めて言葉を選んだ。
「区切りを付けた、かな。それか、過去のやり残しを消化した」
「わかってるねー。連理ちゃんに影響されたんだよ」
「私に?」
「そう。大盤解説会見たんだよ、桜蓮と一緒にさ。ああ、連理ちゃんがまた将棋の世界にいるって」
「あー、うん。最近自分でも見た」
「将棋の内容はわかんなかったけどね。桜蓮が教えてくれたけどあんまり理解できなかった」
続きが気になって先を促す。
「それで、影響って?」
「簡単だよ。連理ちゃんが昔を武器に使うなら、私も一度使い切っちゃおうって思った」
「矛盾してない? 私は使い切ってないし、むしろ再利用しているようなものだよ」
「私は矛盾してるとは思わないかな。一度全部使い切って、出しきって、今後は古い曲をバージョンアップさせたい」
ああ、そういう話か。リニューアル前の整理整頓。確かに再利用の前準備だ。
「つまり、今までの曲は今後、全部刷新した状態で出てくるんだ」
「うん」
「新曲として?」
「そうなるのかな? 曲名は変えずになんとかバージョンって感じになると思う」
「それ、私に話してよかったの?」
「インスピレーションを受けた相手への、最大限のリスペクトだよ」
一度自分のものにした曲を捨て、ブラッシュアップして覚え直す。簡単な話のようだが、以前の記憶と混ざってとてつもなく難しい作業になるだろう。振付も変わるだろうし、その上で新曲もある。
新しい曲を覚えて歌って踊る。その大変さがようやく身に染みてわかってきた程度の私。古い曲の形を変えてまた取り込むなんて、どれだけ果てしない工程になるのだろうか。
将棋でも『棋風が変わった』なんて言い方をされることがある。意識や姿勢、雰囲気といった積み重ねが出てくるものではない。これまでの勝ちパターンを捨ててでも、よりよい結果を出そうと研究に研究を重ねてようやくできることだ。
睡蓮はその勝ちパターンを使い切り、一度捨てる決心をした。
「大変になるね」
「うん。だからこの年末年始はゆっくりさせてもらったんだ」
「次回から睡蓮バージョンツーなんだ」
「そういうこと」
「ファンの人はその説明なしで理解してくれるのかな?」
「今日の最初のトークみたいに話してみる? バージョンアップのために古い曲を作り直しました。失敗したらごめんなさいって」
それはそれで多少は笑いを取れるだろうが、失敗したら全てが台無しだ。
思わず苦笑してしまう。
「理解されなくていいんだよ。私はこれまでやりたいようにやって、みんながついてきてくれた。これからもやりたいようにやる。よければついてくるし、悪ければ離れるだけだよ」
「わかった」
そして安心した。一瞬よぎった睡蓮の終わりは思い過ごしだった。
「それにしても大盤解説会の連理ちゃんは可愛かったなー。『持ち帰りたい』なんて思わずコメントしちゃったよ」
「あれ、睡蓮だったの!? やたらと気持ち悪いことを書いてる奴がいるなーって思ったんだよ」
「同意がめっちゃ続いて大笑いしちゃった」
前回は人のカップ数を暴露するわ、今回は人々を先導するわで厄介な視聴者が定着してしまった。
「金輪際コメント禁止ね」
「やだやだー! もっと盛り上がるのー!」
もういいだろう。睡蓮の頭をぺしっと叩いて退室する。
通路に出ると半開きのドアの横で、木蓮さんと桜蓮が笑いを噛み殺していた。
二月の最終週、金井さんから無事出産したと連絡があった。写真もついている。とても幸せそうだった。
小さなお子さんは、正直表情がわからない。しかし、金井さんは幸せそうな表情でお子さんを抱きかかえていた。
「いいなぁ」
スマホの画面で見ながら思わず呟く。近くには誰もいない。ジムのプールで水着から着替えて外に出たばかりだった。
二月の頭から、燈火さんのおすすめでジムに通っていた。目的は水泳のみ。高校時代の体育以来だ。
タップダンスのスクールに通い始め、全体的に力が入り過ぎていると何度も指摘を受けていた。アイリッシュダンスに憧れて入会を申し込み、少し予想と違ったタップダンスの練習で力んでいたせいだ。
燈火さんによるとアイリッシュダンスの練習にもなるからと、今の上半身を動かすタップダンスも練習するようお勧めされている。
そして、力みを失くしたいなら水泳でリラックスする方法を学ぶといいとアドバイスされた。瑞香さんにも、水泳は走るより関節負担が低いからおすすめと言われている。
タップダンススクールに加え、ジムへの入会で月々いくらかの固定出費が増えた。大した額ではなかったが、自分ばかり習いものにお金を使うのは罪悪感があった。
ジムの入会に行った日、受付に燈火さんが座っていた。
「ご入会ありがとうございます」
「騙した?」
「何のことでしょう?」
うん? OLで事務受付って言ってなかった?
「あれ、事務受付? OL?」
「内勤もありますので、嘘はないかと」
「事務受付って、ジムの受付とかけていたの?」
「そういう解釈もありますね。こちらにご記入ください」
タップダンスを学ばせたあとで水泳に誘導、自分の働くジムの顧客獲得に貢献する。全て計算し尽くした作戦だった。
そんなこんなでもうすぐ一か月が経つ。週に三日のペースで私は泳ぎに来ていた。
長い髪をまとめて入れられる防水キャップや、体型に合わせたフィットネス用水着も購入した。
クロールはなんとかできた。平泳ぎと背泳ぎもできるようになり、泳ぐ楽しさが増している。
陸上用の動きはレッスンで充分だ。ランニングを水泳に切り替えたのは大正解だった。
最初は、二十五メートルのプールを十往復するだけで疲れていた。ランニングの一割の運動距離でこの有様だ。
体力には自信があったのに、肺活量もそこそこあると思っていたのに、それでも疲れてしまう。動き方が違うだけで、今までとは違う部位を動かしていることを自覚した。
泳ぎの種類が増えれば増えるほど、その認識は強くなる。
最近は一番好きな泳ぎは背泳ぎになっていた。ターンの瞬間だけ恐いが呼吸が楽で、腕の動かし方に捻りがあって意識して動かすのが楽しい。
バタフライは、身体の一部が水に引っかかる感覚がどうにも苦手だった。
この水泳は何も自分のためだけではない。こういう運動を取り入れることで、どういう変化があるのかを自分で実験して、いずれはアイドルの子たちに伝える目的もあった。
全員がやる必要はない。若い頃から身体を鍛えるアイドルに、柔軟性は必要不可欠だ。采女や浮草には必要なさそうだが、急成長で背の伸びた糸遊、全体的にもう少し柔らかくした方がいい結葉、道場馬鹿になりつつある凌乃には効果的に思えた。
定期的にジムに通うことで、瑞香さんとのマンツーマンレッスンの時間も減ってしまった。動きやポーズのサンプルは、ライブ直前のこの時期のレッスンには必要がなかった。
今後、柔軟性は必ず課題としてあがるはずだ。今回のライブが終われば、またしばらくトレーニングメニューを考察する段階に入る。改善策があるのならば、少しでも早く教えてあげたかった。
三月に入った。
今回のWildflowersのライブは五千人規模の会場だ。前回の睡蓮のライブの五分の一程度の規模。まだまだライバルとしてカウントされるレベルにない。
大舞台の目標を十二月に設定しているが、正直どうだろうか。今回で人気が大爆発しないと厳しいのではないだろうか。
そんな懸念を持ちながらライブを見守った。結果は大成功だった。ただ、ユニット内の実力差が大きく出た瞬間でもあった。
まずは凌乃。間違いなく大成功の立役者だ。このライブを見たお客さんの大半が思ったことだろう。「この子はなんでこのユニットにいるんだ」と。
お寺の修行結果がすぐに出たというわけではない。元々亜嵐さんが見込んだポテンシャルが、爆発的に進化している。そういう印象を受けた。
他の三人も悪いわけではない。采女はどこか、疲れが出ている様子があった。糸遊と結葉には動きの硬さが残っていた。
二人は本番故の緊張、そして基本的な柔軟性が課題だ。
そして采女はライブ直後に不調を訴える。
「視界がぼやけるんだよね……」
申し訳なさを滲ませながら、それでも采女は淡々としていた。




