23歳42_Invisible scars
一月は忙しかった。それはもう、出かければ予想外の事態に巻き込まれてばかり。
本当に大変だった。そして楽しかった。
二月の睡蓮のライブのチケットは事前に入手していた。出産の近い金井さんが事前に睡蓮に連絡し、普段もらっているものを私に回すよう気を遣ってくれていた。
そのライブの二週間後に、Wildflowersのライブも控えている。四人は睡蓮のライブ参加を断念した。浮草は行きたがっていたが、亜嵐さんの方針で却下された。
浮草のライブはWildflowersと同日を予定していたが、波状攻撃に切り替えるという亜嵐さんの妙な言い回しで延期された。浮草単体のライブはWildflowersの更に三週間後、世間の春休みに計画変更となった。
そんな浮草の働く喫茶店に、私は今日も朝から出向いていた。
「おはよう浮草」
「おはよう連理さん。半人様ごあんなーい」
「そこまで小さくないよ」
いつもの奥の席に通される。
いつものブレンド。メニューを見るまでもなく、一言伝えれば用意してもらえる。常連になるというのはいいものだ。
コーヒーを運んできた浮草と次のライブの話をした。三月終盤だと色々と忙しくなりそうだねと。
「まあ、私学生じゃないし」
「そうか。世間的には中卒アイドルだったね」
「いつか大検取ってちゃんと大学通いますぅ」
意外としっかりとした人生プランを持っているようだ。カウンターの奥に引っ込んだ浮草を眺めながら、温かいコーヒーを一口啜る。
コーヒーを楽しんでいると、店主と浮草の会話が聞こえてきた。
「卒業シーズンかぁ」
「君もそろそろかな」
「お世話になりました」
「アイドルの方だよ」
「まだまだこれからぁー!」
浮草が「うおお」と手を上げている。
たまに熱い女になる子だ。それにしても、店主は浮草を厄介払いしたいのだろうか。
コーヒーと店員店主の会話を楽しみ、空になったカップを置いて席を立った。
「毎度」
「どうもねー」
二人で言葉を分割しはじめた。やっぱり息が合っている。
その内、二人羽織でコーヒーの提供でも始めるんじゃないだろうな。
歩きながらスマホを出すと、着信履歴があった。アプリ経由じゃないとは珍しい。将棋連盟からだった。
先日の大盤解説会の臨時参加の話だろう。歩きながら折り返して電話をかける。
ふむふむ。やはりその件だ。詳細は電話ではなんなので、都合がよければ出向いてほしいと言われた。
どうしたものか。引退してからの方が頻繁に通うことになるとは思ってもいなかったが、引退棋士として籍を残す立場なので無碍にはできない。
日程の候補も伝えられた。早ければ明日、次は週末。その場で明日の指定時間に伺うと伝えた。
「ふぅ」
電話を切ってほっと一息。お金の話になるんだろうか。寄付した立場で仕事の報酬を受け取るというのは、歪な気がして妙に気まずいものだ。
瑞香さんのトレーニングサンプルになるという、私からの提案で始まったマンツーマンレッスン。最近その効果を実感していた。
勿論サンプルとしての効果は当然として、瑞香さんの指示に、細かな修正もなくポージングができるようになっている。
プレゼントしたサングラス姿の瑞香さんから優しく褒めてもらえる。しかし、いつもエアーソフト剣を構えているので、とても複雑な気分になる。言葉の飴と見た目の鞭って感じ。
手持無沙汰にならずに済むのか、スポーツチャンバラの武器を瑞香さんが一番気に入っているようだった。私以上に、実は欲しがっていたのではないかと疑ってしまうくらいに。
その瑞香さんの提案で、レッスンの一環としてスポーツチャンバラが週一で導入されるようになった。そして、レッスン場での瑞香さん無双が始まった。
私も少しはやれる気がしていたのに、まるで歯が立たない。私よりリーチもある凌乃もそうだ。あの糸遊ですら、一本取るまでに四~五本取られるのが当たり前だった。
しかもそれが、瑞香さんの得意とする槍や杖ではなく、みんなと合わせた一番短い小太刀というのだからたまったものではない。
改めて尋ねた。瓦先生のところに行った時、なぜ参加しなかったのか。
「だって、私が注目浴びても意味がないじゃない」
全員に勝てると思っていたようだ。現状を知らなければただの上から目線に感じる発言だけれど、実力を思い知らされているので茶化すことすらできなかった。
レッスン場で瑞香さんに逆らおうとする輩が減った。采女と浮草にはお寺修行より、こちらの方が効果が大きかったらしい。
レッスンの合間に、思いだしたことを瑞香さんに伝えた。
「あ、そうだ。明日は夕方までお休みもらうね」
「どうかしたの?」
「連盟から呼び出し。この間の大盤解説会の話みたい」
「詳しいことはわからないけど、悪い話?」
「いやいや、助っ人に出た立場だからお礼とかのいい話だと思うよ」
「それならよかった。木蓮さんにも伝えておいてね」
「うん」
夕方頃までの、およそ二時間のマンツーマンレッスン。加えてその日現役アイドル達に教える内容の事前確認。すっかり日課となって定着していた。
翌日将棋会館に出向くと、総務関係の方と一緒に立会人を務めていたベテラン棋士が一緒にいた。応接室に通される。
どんな服で来るべきかわからなかったのでスーツ姿だ。失礼にならないようにしなければと考え、緊張していた。
ベテラン棋士の姿に驚いて少し硬直してしまったが、すぐに座るよう促され挨拶もそこそこに腰を下ろす。
ここを使わせてもらって仕事をしたことを思いだす。タイトルホルダーとしての色々なインタビュー、揮毫や色紙の作成など。本当に最低限しか応じなかったのは、今でも申し訳なく感じていた。
「先日は本当に助かりました」
「いえいえ、私もいい勉強になりました。貴重なご機会をいただけて感謝しております」
いやいや、いえいえと雰囲気をよくするための言葉のキャッチボールが続いた。
場が改まったせいか、あの時は抜けかけていたベテラン棋士の敬語が戻っている。総務の人がいる手前、お仕事の話だから気を引き締めているのだろう。
「控室ではリラックスされていたのに、今日はずいぶんと緊張されていますね」
「あーその、あの時はテンション上がってたんで」
「そうそう、その感じ」
上手いものだ。気が付けば私の緊張もほぐれている。
「本日お呼びしたのは、その時の報酬について……」
「別にいりませんけど」
「は?」
「とはいきませんよね」
「それは主催者の立場もありますからね。そんな冗談も言うんだね」
「ちょっと調子に乗っちゃいました」
総務の方は苦い顔やら愛想笑いをするべきか迷っているような、何とも言えない顔になっている。
「寄付した立場上、そういうのをいただくのは少し歪に感じたんです」
「あれは連盟に。今回のは主催者及びスポンサーから。そう割り切ってください」
「はい」
一人で考えた結論でもあった。私の寄付はあくまで将棋界及び連盟へのもの。各種棋戦の主催やスポンサーとは別物とするべきだと。
金額についてもあれこれ話があったそうだが、元々来る予定だった棋士の報酬でいいという結論で片付いた。
お金関係の話は疲れる。立場がどうとかいう話の時は特にそうだ。亜嵐さんなんて、上司なのに私のお金を狙っている節もあるというのに。あれくらいがめつい方が簡単にあしらえるというものだ。
「つきましては、次回の依頼のご相談でして」
「次回?」
総務の方に話が引き継がれる。
「はい。A級順位戦の最終日、大盤解説会でご登壇いただきたいのです」
「……私がですか?」
馬鹿みたいな返しだ。私を呼び出しての話なので、他にあるはずがない。
「引退直前で勝ち越したリーグですし、思い入れもあるのでは?」
「そう言われると将棋自体に思い入れがありますから、少しずるい質問ですね」
総務の人とお互いに苦笑してしまう。
物凄くありがたい話だ。出ない理由を探すまでもない、出るべきだ。
それ以上に気になることがある。私への世間の評判だ。私が出ることで将棋界に悪影響があれば、それこそ本末転倒になる。
寄付したから気を遣って依頼している。そういうことならお断りするべきだろう。今のところそういう雰囲気ではなさそうだけれど。
「私が出て大丈夫なんですか? 自分で言うのも何ですけれど、現役時代はかなり報道陣を邪険にしていましたし」
「今はネット社会ですからね。そういう意見がないわけではありませんが、あれ以降『あの引退棋士を出せ』なんて意見も多くあるんですよ」
物好きなファンもいたものだ。実力を競う現役プロ同士の誰かを応援するならともかく、もう公式戦に出られない人間を求めるなんて。
「ご自身で放送を見たりしなかったのですか?」
「自分が映っているものを見るのはなんと言いますか、抵抗がありまして」
「気持ちはわかります」
「昨年の件もありますからね」
私と総務の人の会話を、ベテラン棋士が笑いながら混ぜっ返す。そうだ、それでやらかした経験があるからカメラがあると緊張するんだ。
「他の先生方からの反対意見はないのですか?」
「特にありませんよね?」
「そうですね。どちらかというと、九先生に興味津々って意見ばかりですよ」
総務の人の話にベテラン棋士が頷く。直接競い合う必要のない、観察対象のようなものだろうか。それとも単純に女だから?
「つまり、九先生がご心配されているような問題はないということです」
そう結論付けられ、「はぁ」と気の抜けた返事をしてしまった。
登壇するのならばと、ぼんやりと浮かんでいた質問をしてみる。
「わかりました。解説として出るということは、私が師匠にしてもらったように、関係者を招待してもいいのでしょうか?」
「あれ、関係者枠だったんですか?」
「そう聞いています」
「師さん、引退棋士ならそんな枠必要ないことを知らなかったのか」
なんだと? 別にふらっと行っても、同じように参加できたのか?
「関係者枠についても、どのような関係かによって可能な対応が違ってきますが……」
「弟子として育てている中学生の女の子です。棋力は将棋道場でアマ初段以上ですが、棋譜は頻繁に取らせています」
ベテラン棋士と総務がどうでしょうと話し合う。お手伝いができるのならばアルバイトとしてどうかとか。
「その通われている将棋道場はどちらですか?」
「私たちの最寄りの……」
道場の名前を伝える。ああ、あの方か。それなら確かに。うんうんと二人は納得顔になる。
素が不機嫌そうな顔の席主さんだが、評判はいいらしい。
「今確定とは言えませんが、掛け合ってみることはできます。数日お待ちください」
「かしこまりました」
話は終わった。予定の大盤解説会はWildflowersのライブ直後になるが、糸遊が参加できればいい経験になるだろう。
それなりの臨時収入にもなる。糸遊の高校入学で色々と物入りになる時期だし、中学生最後の思い出にもなる。正直いいことずくめで、何か落とし穴があるのではないか不安になるくらいだ。
早く糸遊に伝えてあげたい。しかし、ライブ前に無闇にテンションを上下させるようなことも言えない。少なくとも、関係者枠としての参加が可能になってからの方がいいだろう。
糸遊がカメラに映る可能性もあるのだろうか。色々と規制のあるテレビではなく、オンライン放送ベースならあり得る話だ。それが糸遊のアイドルとしての知名度向上になるかな? 妄想が捗ってしまう。
それ以前に、私自身がアイドルとしてデビューする話も忘れてはいけない。睡蓮や浮草の言いなりになって確定させるつもりはないが、ないとも言い切れない。
その場合、こういう他ジャンルのネット経由の露出はどうなのだろうか。発破をかけたのは浮草だ。確認がてら相談してみよう。
今から帰るとお昼過ぎだ。浮草はまだバイトの時間だろうし、どこかで二人になって話せる場所がほしい。
たまには交流と称して晩ご飯に誘ってみるか。あの子は大抵飢えている。
久方ぶりに歩く将棋会館から駅への道のり。タイミングがいいやら悪いやらで、駅に着く頃に雪が降りはじめた。




