23歳38_Invisible scars
まるで、数か月前に戻った気分だった。
帰ると瑞香さんがいて、ご飯を作ってくれる。気づいたら近くにお茶がある。
お嫁さんのようだった。いや、親戚の歳の近いおばさんか。
そのお茶を飲みながら、私はパソコンを見ていた。
糸遊と凌乃が課題に出された企画書を、興味本位で覗いている。よくできていると思う。
私自身、会社の企画書を作ったことがないので、これが正解かどうかわからない。それでも大学のレポートレベルなら、充分評価を貰える出来だと思った。
「瑞香さんも、こういう企画書作ったりしてたの?」
「したことはあるけど、あんまり好きじゃなかったね」
「雇用契約とかはすぐわかってたから、事務関係に詳しいのかと思ってたよ」
「事務と企画提案は別物でしょ」
それもそうか。パソコンを使った書類関係というだけで、同じようなものだと思っていた。
となると、こういうのをしっかり見れる人は木蓮さんくらいだろうか。あの人は大体なんでもできるから、逆に何ができないのか聞いてみたい。
「瑞香さんも、これ見た?」
「見た見た。多分完成度高いんじゃないかな。桜蓮さんのおかげもあると思うけど」
「ふーん。もう購入は決まってるし、関わるなって言われてるから、結果がどうであれ私は気楽なもんだけどね」
「そんなに楽しかった? あのスポーツチャンバラ」
「うん。こう、全力で振っても人を傷つけない安心感があるのが、特にね」
「凌乃ちゃんのふとももは例外として?」
「あれはちょっとやりすぎたかも」
数日経って跡は残っていなかったし、痛みもなさそうで本当によかった。
身体機能の問題もだけれど、アイドルの素肌に傷をつけたとなると大ごとだ。
瑞香さんと話していると浮草が飲み物を取りにやってきた。
「なーんの話してんの?」
「スポーツチャンバラ。浮草はまたやりたい?」
「うーん、やりたくないわけじゃないけど、やりたいわけでもないような。一方的にぶっ叩けるならやりたい」
「叩かれるのは嫌なんだ」
「うん!」
やったやられたの面白さを理解していないとは。もったいないお嬢さんだ。
「瑞香さんはなんであの時やらなかったの? あとでいっぱい教えてくれたのに」
確かに後半は、瑞香さんが浮草に教えているようだった。
「えー、えーと、その、うーん」
こんなにわかりやすい動揺は、なかなかお目にかかれない。わざとやっているのだろうか。
「ほらね、昔のマネージャーが熱血スポーツマンで、その無理矢理ね……」
「やっぱり経験者だ。道理で色々詳しいわけだよ」
ほうほう、浮草が納得するほどに詳しく教えられるレベルだと。
「ちょっとだけ、ちょっとだけなのよ。武器も槍か杖だったし」
「ごめん、なに言ってるのかわからない」
浮草が頭を抱えた。
「確か武器の種類がいくつかあったような……」
聞きながらパソコンで調べてみる。瑞香さんが言う武器は、リーチの長さが上から二つの種類だった。
「浮草見てみて、これ」
「うっわ、一方的にぶっ叩く前提のリーチじゃん」
「それで、どれくらいやったの?」
「えーと、その、大会四位……小さい大会よ? まだそんなに流行る前だったし」
やべー女だった。大会の種類を調べてみる。
「あ、レディース大会があるんだね。それでも凄いけど」
「レディース大会なんて、当時のあんな小さな大会じゃなかったわよ」
浮草が瑞香さんに、尊敬の眼差しを向けて言う。
「つまり、男の人しばき回してたんだ」
「その言い方は語弊があるからやめて」
やばいな。この人にサングラスなんて渡して、スポーツチャンバラの道具が届いたら……高校野球の鬼監督みたいになるんじゃないか。
そういう偏見もよくないな。浮草はパソコンで、関連する大会のことを調べはじめた。
「その瑞香さん視点で、あそこのレベルはどうだったの?」
「どうって、大会に出ないのがもったいないなとは思ったけど」
「じゃあ、あそこの役者さんたち、やっぱり凄いんだ」
「本気でやってる方々だからね。それくらいの本気度はあって当然よ」
私も糸遊も本気でかかって、全く攻撃を当てられない人もいたくらいだ。そもそもの足捌きが違った気がする。
「浮草はなに見てるの?」
パソコンの主導権を握った浮草は、いつの間にか全く違う調べものをしていた。
「趣味」
格闘ゲームの大会? プロレス観戦が趣味と聞いたことがあるし、それに関係するものだろうか。
「家でそういうのやってるんだ」
「そうだよ。いい暇つぶしになるからね」
そういうもので、あの負けん気と反射を鍛えているのだろうか。
浮草の謎は深まるばかりだ。
浮草と瑞香さんが泊まりに来る期間中、私のベッドを二人に明け渡し、私が糸遊のベッドに潜り込む形で落ちついた。
昨日のお泊り会みたいなイベントは当分ごめんだ。どこかしこから笑い声が聞こえるのは、正直職場だけでいい。
瑞香さんの誕生日に、みんなからプレゼントを渡した。気まずくならないよう、買い物に行かなかった三人からも五百円ずつ徴収している。
「去年が香水、今年はサングラス。女優デビューも近いわね」
調子に乗って言う瑞香さんの格好は、よりにもよって着古したスウェットだった。ちょうど普段着を洗濯機に入れたばかり。
「スウェット女優」
容赦ない采女の言葉で、瑞香さんのテンションは大きく下がった。
連休中でも最低限のルーティンは維持した。
将棋は朝晩一局ずつ、しっかりと時間を使って感想戦までする。今後の糸遊の勉強になるからだ。
AIを使った分析も、暇な時に取り入れてみた。現役の時にやればよかったと思ったが、こればかりになるのも恐いのでほどほどに留めておく。そもそも私の現役時代は、AIはそこまで際立った強さを持っていなかった。
タップダンスは、いつも将棋のあとで練習した。他のタイミングも見つけて、一日二回、三十分ずつやっている。
他に身体を動かしたくなったら型をやったり、走りに行ったり。それ以外はゆったりと過ごすことが多い連休になった。
ふと出かけたくなっても、バイクに乗るのは寒くてはばかられた。大きな車で行くのも面倒で瑞香さんに車を借りた。ついでに買い物もする。
同乗者は暇そうな人。大抵凌乃か浮草だった。采女はずっと調べものをしているし、瑞香さんと振付の話をすることも多い。結葉は学業とデザインの勉強、糸遊は将棋に夢中で外に出たがらない。
采女と糸遊は、それぞれの目的でパソコンを使う機会が増えた。そのおかげで、パソコンの扱いに詳しくなる様子が頼もしかった。
そして年が明けた。去年のようなごたごたはなく、みんなで新年の挨拶をする。
みんなが物欲しげな顔を向けてきた。私も瑞香さんを見て、無言の年齢いじりをすると睨まれた。小芝居をやめて、瑞香さんに準備してもらっていたポチ袋を配った。
大袈裟に喜ぶような子はいなかったが、それでもみんなありがたいと言ってくれた。
既に自立している浮草には、拒否される可能性を期待していた。そんな期待は微塵も考えられないくらい、大仰な受け取り方をされた。こいつはそういう奴だ。
師匠にも新年の挨拶をする。瑞香さんと一緒にスピーカーフォンで話した。
『大盤解説の仕事が入った。そこからそう遠くないし、よかったらどうかな』
「一般の観覧にですか?」
『関係者枠だよ。引退棋士として籍が残っている以上、仕事なら連盟から依頼があるからね。ただ、連理が嫌でなければゲストとしてトーク参加なんかは出来ると思う』
「そういうのは結構です」
『そうだと思った』
通話を終え、瑞香さんと話し合う。興味があるようだった。特に師匠と会える機会に。
糸遊は行きたがるだろう。桜蓮にも聞いてみようか。案外、将棋にハマってくれるかもしれない。
会場の情報を調べると、ここから電車乗り換えで一時間半ほどの場所だった。現地観光を考えると、車移動の方が楽だろう。
そもそも何人行けるのだろうか。その辺りがわからないので、師匠に再び電話をかけた。
『残念だよ』
「まだなにも言ってないじゃないですか」
『なにか質問かな』
「それって、一般公募にはもう間に合わないですよね。何人行けるんですか?」
『僕も運よく呼ばれた立場だからね。関係者として一人か二人、入れてもらえるかどうか』
「集団で観光に行こうとしていました」
『無謀だね』
無謀って……そりゃそうだけど。
そのまま通話を終え、瑞香さんは遠慮することになった。私と糸遊で行けばいいだろうと言ってくれる。
それもそうか。しかし関係者枠となると、あんまりラフな格好では行けないだろう。
糸遊を連れて行くなら、学校の制服を着せたらいい。私はあまり好きではないが、さすがにスーツで行くべきだろう。
再び師匠に連絡して、私と糸遊の名前を伝える。もしかすると二人は無理な可能性もあると念押しされ、その時は私一人でと伝えた。
どうしても行きたくなっていた。私が一度も挑戦できなかった棋戦。現地に直接行ける機会は少ない。
「本当に瑞香さんはいいの?」
「いいのいいの。行っても話がわからなくて、退屈しちゃいそうだからね」
「今から覚える?」
ふざけて問いかけると、笑い飛ばされてしまった。
元旦よりはマシだろうと思って、数日遅れで初詣に出かけた。
それでもかなりの混み具合だった。すぐに帰りたくなるが、瑞香さんに引っ張られて逃げることが許されなかった。
約束通り睡蓮と桜蓮とも合流し、わちゃわちゃしながらも数日ぶりの再会を楽しんだ。
「連理ちゃんが約束を守ってくれて嬉しいよ」
「あとで恨み言を言われたくないからね」
「素直じゃないなぁ」
睡蓮と話していると、すぐにみんなとはぐれてしまった。想定済みだ。どうせ、まともな集団行動なんてできたもんじゃない。
待ち合わせの時間と場所は共有しているので、少しでも人の少ないスペースを求めて足を動かした。
見えない……人で周りが見えない……。
睡蓮に手を引かれ、何とか人の群れから抜け出す。とんでもない人間の群れだ。一人では抜けられる気がしなかった。
「人はどうして群れるのだろうか」
「急に哲学?」
元々二十センチも私より高い上に、高さのある靴を履いている睡蓮は、さながらモデルのようだった。
髪をまとめて帽子に隠し、マスク姿で目立たないはずなのに、それでも視線を集めることがある。私を引っ張る引率者のお姉さんのように見えるからだろうか。それだけではないと思う。
立ち姿が綺麗なせいだろう。改めて睡蓮を人の群れと比較して見るとそう感じた。
「こう人が多いと、見たいものも見れないねー」
「そうだね」
言いながら腕を組む。美観を求めるなら、睡蓮だけ見ていれば満足できそうだ。
景色や催しものに興味がなくなると、お腹が空いてきてしまった。
しかし、あの視界の悪い人混みにもう一度飛び込む勇気はない。動けば流される激流だ。
睡蓮はここからでも色々見えるのだろう、遠くを見て楽しんでいる。邪魔しては悪いので、裏手の自然の景観を眺めた。
これはこれで趣がある。こういう神社の類は、大抵木々に囲まれた土地だった。葉の残っていない木々から、綺麗な空気が流れてきている気がする。
こういう社叢を歩くのも楽しいものだ。近くにたくさんの人がずっといるせいで、余計に自然の中を歩きたくなる。睡蓮が満足したら声をかけよう。
スマホで簡単に社叢付近の情報を探る。簡単な往復路があるだけのようで、道に迷う心配もない。
「お祭りみたいで楽しいね。あれ? 退屈してる?」
「んー、そっちの社叢の方が気になって調べてた」
「連理ちゃんは趣味が渋いよね」
苦笑気味に言われる。そういう睡蓮と会ったのも神社だった。お互い様ではないだろうか。
「じゃあ、そっち行こうか。私も人ばかり見てて目が疲れちゃった」
「ライブの時なんて、高い所から同じくらいの人を見てるくせに」
「お客さんはライブ中に移動しないもん」
社叢を歩いていると、結葉と桜蓮と合流できた。私と同様、人混みよりも自然の方が好きらしい。そして、お腹が小さく鳴った。空腹のまま歩き回ると空腹感を加速させる。
お腹をさすっているのを桜蓮が見て、ポーチから饅頭を取り出してくれた。はい、と一つ渡される。
「そんな切なそうな音させられたらね」
「ありがたやー。睡蓮はいい妹を持ったねぇ」
「お饅頭一つで釣られる連理ちゃんがちょろいだけ」
「あいつにはあげなくていいからね」
結葉にも渡している桜蓮に釘を刺す。睡蓮はお腹空いてないもんねーと、意に介していなかった。
集合時間が近付いてきた。少し早めに着く方が安心できる。四人揃って神社の敷地の外に出た。
采女と糸遊が、りんご飴を無表情に舐めながら並んで座っていた。人の量にあてられたようで、味わうというよりエネルギー補給をしているように見えた。
二人揃って私たちを見上げ、無表情に視線を戻す。何も喋らない。重症のようだ。
「そんなに疲れた?」
二人がこくんと頷く。
「帰りは歩けそう?」
二人がふるふると首を振る。
「じゃあ、置いて帰るね」
「人でなし」
「鬼」
「小さい悪魔」
「将棋馬鹿」
「それだけ元気なら歩けるでしょ」
きちんと交互に言うだけ、まだまだ元気な証拠だ。悪魔みたいな采女に悪魔と言われ、私以上に将棋にのめり込んでいる糸遊に将棋馬鹿と言われる。教育を間違えたのだろうか。




