20歳3_傷だらけの棋士と四人の少女
采女との二日間は大変だった。
中学生とは思えないぐずりっぷり。一つ一つ正す。
奨励会に通っていた頃を思い出す。あそこにいた子供たちなら当たり前なことができていない。
師匠からの唯一と言ってもいい忠告を思い出した。
「自分と比べちゃいけないからね」
師匠、他のよい子と比べるのは駄目でしょうか?
なまじ可愛い分同性にも異性にも我儘が通り、両親からも甘やかされて育ったんだろう。采女の外見から推測した。
深夜にトイレに起きた采女がベッドに潜り込むのを許した。
身長は変わらないのに何でここまで幼いのだろう? まだ中学生ではあるが、もう中学生でもある。幼さが不安になる。
自分と比べるなというのは身長も含まれるのだろうか。だとしたら思考が広がらない。
一旦師匠の言葉を忘れ、身長云々はともかく身体の成長具合に対し、言動が幼いのをなんとかしなければならないと思った。
私も寝なければならない。明日は対局がある。そして結葉がやってくる。
対局のことを伝えると、亜嵐さんは檀さんをよこすと言ってくれた。
彼女なら背が高く、大人っぽくて安心だ。
少なくとも身長いじりで采女がマウント取りに走ることはない。
ただ檀さんが高身長いじりをされないとも限らない。それを檀さんがどう受け取るかは私にもわからない。
わからないことはわからない。
はぁ、将棋ならなぁ。
わからないならわからないなりによさそうな手を指せばいい、印象付けて失敗として覚えておけばのちの反省点になる。
常に選択肢を示せる将棋やチェスに比べ、人間関係は複雑だ。
やっていいことと悪いこと、やって欲しいことと欲しくないこと、人によって違うから絶対に駄目と言えるものがわからない。
何をすると喜んでもらえるのか、嫌な思いをさせるのか。考えれば考えるほどドツボにハマって眠れなくなる。
こういう時って何を考えればいいんだっけ……?
気づいた時には朝だった。采女の寝息が聞こえる。
私の傷だらけの手を握ってる。他の人に比べるとずいぶんと見苦しい手。必要がなくなっても日課にしていた部位鍛錬は、ここに越してくると同時に終了した。
采女が来たこの二日だけでとても忙しくしている。どう話せばいいのか、どこで区切るべきなのか、常に考えて行動していた。
大学やバックダンサーのアルバイトの時も大変だった。ただ、とても充実していたと思う。
可愛がってもらったりいじられたり、金井さんという素晴らしい友人もできた。泣いてしまったのはさすがに恥ずかしい思い出だけれども。
将棋で勝ち筋に気付けなかった自分に悔しくなることはよくある。あの時は睡蓮相手に本気で悔しいと、負けたと思った。
競ってるわけではなかったはずだし、何なら睡蓮を盛り立てるためのバックダンサーだった。そう思う私はおかしかったのだろうか?
金井さんは睡蓮の前だと上がってしまっていた。あれは面白かった。
他の仲間も睡蓮に特別な思いでもあったのか、緊張したり近寄って仲よくしようとしたりと様々だった。
睡蓮は確かに綺麗だし可愛い。
あのライブへの熱意を見せつけられたら何も否定できない。
それでも、私は悔しいと感じた。立場が違うのに悔しいもなにもないはずだった。
他の誰も悔しいと言わなかった。思ってもいないようだった。
私と他のバックダンサーたちの違いは何だったんだろう?
采女に見送られスーツ姿で外に出る。
引っ越したことで最寄り駅も変わり、将棋会館までの移動時間は長くなった。
仕方ない、そこそこ広くて駐車場のあるマンションを大急ぎで探したのだ。どこかでデメリットが生じても我慢するしかない。
何より三人の通う中学校の学区内である必要があった。
あんまり遠いと登下校が大変だし、近すぎると私の姿、それに三人が同じ部屋に出入りしている姿が目立つ。
今回、対局前の対策をまったくしていなかった。
相手は引退間近の老棋士。忙しさにかまけて、失礼ながら舐めてかかっていた。
お昼休憩を挟んだ時点で盤面は絶望的だった。
何かを食べようという気にすらならず、休憩時間中ずっと盤面を見つめていた。
どっこいしょと言いながら目の前に老棋士が座る。
休憩終了の時間になり、私の手番で時間が減っていく。
老棋士は私のことを気にするでもなく、ゆったりと構えて胡坐をかいていた。
もう盤面を確認する必要すらない局面ということだろう。私もわかっている。それでも何か逆転に繋がる一手がないか絞り出す。
ない、時間もない。
負けだなこりゃ。ずいぶん前からわかっていたことをようやく受け入れる。
座り直す仕草で、老棋士に投了を告げますよと合図を送る。
老棋士も正座になった。
「負けました」
「どうも」
負けたとはいえタイトルホルダーなので駒は私が片付ける。
ふと手が止まった。
まだ粘れそうだったかな? 終わってから気づくことは珍しくない。
「あの、すみません」
私が片付けを進めないから、老棋士も作法として待っていた。
「ここ突いてたらどうでした?」
「どれ?」
老棋士は老眼鏡を取り出して掛け、ほうほうと面白そうに顎を撫でる。
「まあ勝ちは変わらんわな」
いくつか読んでいたらしい筋を示してくれる。
どこから勝ちを確信していたか尋ねた。
「最初からだ。お前さんに勝つ気がなかったんでな」
そんなことがわかるのか。普段なら何を馬鹿なと思うところだが、詳しく聞きたくなる。
記録係が帰りたそうにしていた。残りは片付けておきますと伝えて解放した。
老棋士と四時間は話していた。
気が付けば対局盤面の話ではなく、あの頃はとか、あの野郎はとか、世間話のような話になっていた。
面白かった。もっと話していたかった。
さっきの私の負け筋のことも訊きなおした。何で教えてくれたんですかとも。
「そりゃまあ、お前さんと対局することはもうないだろうからよ」
「え?」
「冥途の土産だ」
カラカラと笑う老棋士につられて笑った。
失礼と思ったが私も笑った。怒られなかった。
私たちが雑談している間に他の対局も終わっていた。周囲に人はいなくなっている。
今日はもともと人が少なかったし、近くで別の対局もやっていなかった。
「正直な、お前さんの名前を聞いてもわからんのよ。何で女っ子が俺の前にいるんだってな」
「あんたが悪いんじゃない。俺の頭の問題さ」
「でも話せて楽しかったよ」
疲れた疲れたと言って立ち上がった老棋士は、駒が残っていることも忘れて帰ってしまった。
これだけあれこれ話しておいて誰だかわからないなんて。私もあれこれ訊いたからおあいこか。
駒を片付け、帰る準備をする。
負けたけれどなんだかいい対局だったと思う。
教えてもらって、違う事を教えて、一緒に笑う。
肩の力が抜けた会話。何かを吸収してやるとか教えてやるとか、そういう貪欲さとか損得勘定のない他愛もない会話。
楽しかったなぁ。ちょっと前だったら『時間の無駄』だと割り切っていたはずなのに。
これでこの棋戦は敗戦だ。でも、それ以上のものを貰ったと思う。
帰り道、采女とのことを思い返していた。
これはこうだよと教えると采女は話を聞いてくれる。
私から采女に訊いたことはあっただろうか。
常に私が正解を持っていて、采女はそれを求めてくれる。
ちょっと違う気がする。不健全だ。
私が間違えていたらどうするんだろう?
早く帰って話したい。
そういえば結葉もとっくに来ている時間だろう。
電車の待ち時間にそわそわする。
早く帰って二人と話さないと。
檀さんもまだいるかな。いるんだったらお礼がしたい。




