20歳2_傷だらけの棋士と四人の少女
引っ越しはすぐに終わった。私の引っ越しは。
何しろノートパソコンと将棋盤、駒一式以外は衣類と調理器具、家電製品くらいしか置いていなかったからだ。
防音室とその中の鉄板は泣く泣く処分した。
三人の引っ越しは大変だった。何しろタイミングがバラバラだ。
最初に越してきた采女は、転校の必要がないとかで割とすんなり荷運びが片付いた。
しかしその開封作業がとんでもなく大変だった。
服服服、いつの服だよというサイズのものまで送られてきている。
ゴミも混ざったんじゃないかと疑って、采女に確認した。
「捨てちゃ駄目! ゴミじゃないの!」
「でも、これもう着れないでしょ?」
「着るものじゃないの。捨てたくないんだもん」
幸い場所はあることだし、何より一人一部屋を言い出したのは私だ。
自分で管理することを約束させ、一旦は荷物を端に追いやる。
「じゃあ、あっちのは捨てなくていいから、まずは普段使う物を出しておきましょうか」
「いいの?」
「いいのって、そうしたいんでしょう?」
「うん」
「じゃあいいですよ。ただし、ちゃんと洗濯してからしまい直しましょうね」
「わか……りました」
何だろう、丁寧語の方が生意気に感じる。
自然と笑みが出せる人なら、微笑んで頭を撫でたりしてあげられるんだろう。自分の不器用さが悲しくなる。
着る衣類を一緒に選び、事前に買っておいた衣装ケースに並べて入れた。
私の衣類もこんな感じでクローゼットに垂らしたままか、季節別に分け、透明な衣装ケースに入れて並べているだけだ。
実家ではどんな風だったのかわからないが、ここは場所が限られている。ひとまず私のやり方に従ってもらう。
文句を言われるのかなと思って采女を見ると、丁寧に洋服を畳んでしまっていた。
黙ってればなかなかの美少女だ。口を開けば生意気敬語かわがまま単語、それが現状の采女の生態だった。
「結葉さんが来るのは明後日ですからね、それまでは二人きりですけど我慢してくださいね」
「別に結葉ちゃんと仲よくないです。まだあんまり話してないです」
「そうなんですね」
うーん、私としては一緒にやってくる仲のいい女の子たちだと思っていた。
少し認識を改めなければならない。
「ねぇ」
「ん?」
「何て呼べばいいの?」
「私のこと?」
「そう。名前よくわかんなかった」
「九って書いていちじく、こっちが苗字ね。連理、これでれんりね」
「変な名前」
子供の頃からよく言われた言葉だ。大人になっても、子供から言われる人生。
「でもかっこいいね」
「そう?」
「それで何て呼べばいいの?」
「れんりでいいですよ」
「れんりさん?」
「さんでもちゃんでも呼び捨てでも」
「じゃあれんりちゃん」
「いいですよ」
「れんりちゃん、連理ちゃん」
「私は何て呼べばいいですか?」
「うねさま」
「何でさま?」
「偉いから」
本当に中学生なのだろうか。思考が幼すぎる。
「嫌です。采女ちゃんでいいですね?」
「我慢する……します」
「ありがとうございます」
まったく、呼び方一つでこんなに大変だとは。
ほぼすべてのダンボールを片付け、結葉の衣類のために買っておいた衣装ケースを持ってくる。名前付きのシールを貼っているが後で何とかしよう。
采女が捨てたくないと言っていた古い衣類は、一度これに入れてクローゼットに放り込んだ。
「あ、ありがとう」
「ん?」
「捨てないでくれてありがとう!」
素直にお礼を言い慣れていないのだろうか。言い方がぎこちない。
「どういたしまして」
年齢は私と七歳差なのに、身長は変わらない少女の頭を撫でてあげる。
まずは認めよう。ちゃんとありがとうを言えるいい子じゃないか。
「連理ちゃんおなかすいた」
「何が食べたいですか?」
「何でも食べるよ」
この世代の子にしては珍しく、好き嫌いはないらしい。
「何でも食べないと連理ちゃんみたいに大きくなれないままだもんね」
やっぱりこいつ生意気だ。というか調子乗りなのだろう。一呼吸入れて真っすぐに目を見つめる。
「な、何? こわいよ」
「あんまり生意気なこと言ったらいけません。人には言われたら嫌なこともあるんです」
「あ、う、ごめんなさい」
「よろしい」
教育って難しいし大変だ。これは躾のレベルなのだろうけれど、少しずつ教えていくしかない。
「連理ちゃん怒ってる?」
「怒ってませんよ」
「嘘、笑わないもん」
「笑うのがへたくそなんです!」
渾身の本音だ。私だって愛想よく笑えるなら笑いたい。
「へたくそなんだ」
「笑うことがですよ」
「へたくそー」
「はいはい」
これは構いすぎても逆効果のようだ。
「じゃあご飯作りますからね」
「はーい」
まだお昼過ぎ。この子は暇な時間、何をするのだろうか。
食事を作りながら椅子に座る様子を観察する。
足をぶらぶらさせながら何をするでもなく、あっちこっちに視線を動かしている。
そして目が合った。
「お腹すいたー」
「はいはい」
手頃なチャーハンとカップスープを用意した。向かいに座って采女を見つめる。
「連理ちゃんは?」
「私はお腹が空いてないからまだいいんです」
「一緒に食べたいです」
「一緒に?」
一人飯が大半の私。誰かとの食事なんて考えてもいなかった。
大学のカフェテリアだと、知らない人が近くの席で食事を食べていることもあるけれど、そんなのは一緒とは言わないだろう。
「もう少し我慢できますか?」
「うん……あ、はい!」
言い直してでも丁寧にしようとする意識がある。
悪いことではないんだけれど、どうにも歯切れが悪い。
手早く自分の分も作り、大急ぎで采女の向かいに座った。
「では食べましょうか」
「はい!」
「いただきます」
いつもの通り手を合わせて頭を下げる。
「作ったの私じゃないよ?」
「いただきますのこと?」
不思議そうにこくんと頷く。
「いいですか、いただきますを言うのはですね」
どうやら礼儀作法も教える必要があるようだ。これは前途多難だ。




