23歳34_Invisible scars
薄暗い道に街灯が灯っていた。
もうすぐ陽が落ちてしまう頃合いだ。街灯のおかげで、目の前の糸遊と睡蓮の姿がはっきりと見えた。
「桜蓮は高校行ってるんだよね?」
横を歩く桜蓮に問いかけた。糸遊とほぼ同じ身長のようだ。
「うん」
「進学予定は?」
「あと一年あるから、じっくり考えてるよ」
桜蓮と同い年の凌乃と結葉は、もう進学先を決めている。しっかり者に見える桜蓮が、まだだというのは意外だった。
「睡蓮姉さんみたいに、専業でやりたいって気持ちもあるんだよね」
「あの髪色で大学なんて行ったら、相当目立つだろうしね。学生生活を送る睡蓮なんて想像できないよ」
「うん。派手な人が多い時代だけど、白ベースはなかなかいないから。睡蓮姉さんが大学なんて行ったら、目立ちすぎてプライベートなんてなくなりそう」
前を歩く睡蓮の髪色は、白基調で赤と黄のメッシュを混ぜた独特の色合い。今は糸遊と同じ、ポニテで髪型を揃えている。
基本的に、いつもキャップを被って顔バレを防いでいた。髪だけで、睡蓮だと気づかれることもあるのではないだろうか。
「むしろ、なんで連理さんは医学部だったの? 将棋と並行で相当忙しかったんじゃない?」
「端的に言うと、人体構造が気になったからかな」
「それでカエルに」
「それは偶然の産物。構造と言っても、骨格とか筋肉とかちゃんと知っときたいって思った程度だよ。お医者さんみたいな、治療とか外科とかはわかんないし」
ふふっと桜蓮が笑う。
「連理さんって、ちょいちょい可愛い言い方するよね」
「何か変だった?」
「お医者さんとか、和菓子屋さんとか。言葉がちょっと丁寧で可愛いと思う」
「そうなの? 意識したことなかったなぁ」
「変じゃないんだよ。お話聞いてて、いいなぁってふと思うんだ」
「人の喋り方に興味があるなら、面白い人がいるよ」
燈火さんの前だと桜蓮はどうだろう、そういう小さな言葉遣いの差に気がつくなら、心地よい喋りだと感じるんじゃないかな。
「タップダンススクールにいるセミプロの人なんだけれど、流れるような綺麗な喋り方するんだよね」
「へぇ。ちょっと話してみたいな」
「ちょっと恐いけど」
「え、恐い人なの?」
「うん。時と場合による」
「時と場合による恐い人……?」
桜蓮は思考を巡らせている。本当に生真面目というか、昔の私のようだ。
和菓子屋に着いた。わらび餅や水羊羹、お団子類も豊富にある。私はわらび餅をきなこで食べられればいい気分だったので、それだけ睡蓮に頼んであとはお任せした。桜蓮も名前の通り、桜餅を頼んで私と一緒に和菓子見物をする。
「こういう、砂糖菓子も綺麗だよね」
「綺麗な反面、食べるのが勿体なく、砂糖主体のため非常にカロリーが高いという欠点も」
「急に喋り方変えないでよ。栄養オタクみたい」
「健康科学の一分野だよ」
笑いを取れた。こういうキャラもありみたいだ。
目の前にあるのは展示用のサンプルで、実際に頼む場合は予約が必要と書いてある。本物は、手作りならではのよさがあるのだろう。
睡蓮がお会計を済ませ、揃って店を出た。来た時よりも冷えたようで、風があるので糸遊の後ろに近付いて風除けにする。
「連理ちゃん、歩きにくいよー」
「糸遊が大きくなってくれて、今一番嬉しく思ってるよ」
「そんなこと言っても駄目」
糸遊はくるんと私の後ろに回り込むと、私の肩に手を乗せ、前に押し出した。
「一番前さっむ」
「連理ちゃんの背中を見て育ったんだよ」
「上手いこと言っても駄目」
同じループになりかけたところを、睡蓮に止められた。キリがないからさっさと歩きなさいと、まるでお姉さん口調だ。桜蓮が笑いかけてくる。
「本当に、毎日楽しそうだね」
「楽しいよ。毎日将棋も指してるしね」
「糸遊ちゃんは連理さんに勝てるの?」
「うーん、練習将棋なら勝てるけど、勝たせてもらってるのわかっちゃうからなー」
「それがわかれば偉いよ。ちゃんと成長してるよ、糸遊は」
「たまにはちゃんと勝ちたいよー」
こういうのは、一回負けるとどんどん勝てなくなる。だからこそ、気を引き締める時はしっかりと勝ちに行くようにしていた。
かといって自信を失わせるわけにもいかないので、私の実験も兼ねた練習将棋で本気の糸遊に挑戦して負けることもあるわけだ。
それだけ、糸遊の序盤戦術が甘いということ。課題を自分で見つけるまでは、生半可な内容で負けてあげるわけにはいかなかった。
ただ、徐々に差が詰まっていることは実感している。本当に頼もしい愛弟子だ。
睡蓮が優しい目を向けてくる。
「糸遊ちゃんと将棋の話になると、本当に雰囲気変わるね」
「そう?」
「うん。厳しくて優しい、一番素敵な連理ちゃんだよ」
初めて言われた言葉だ。厳しくて優しい……か。
将棋では絶対にふざけられない。その思いは昔から変わらない。だからこそ、糸遊にも将棋では厳しくなってしまう。それが優しいのか。
三人が楽しそうに話している。ぼんやりと聞こえるが、思考が優先された。優しさと厳しさ、反対の言葉ではないのだけれど、共存するものなのだろうか。睡蓮はどんな気持ちで言ったんだろう?
「大丈夫? ぼーっとしてるよ」
「大丈夫だよ」
目の前で手を振る桜蓮に応じた。程なくして自宅に着く。手を洗い、お茶を淹れ、和菓子を摘まみながら再び思考に耽る。
さっきと同じ疑問を思い浮かべた。厳しさと優しさに必要なのは、私の感情なのだろうか。結局は受け取り手、糸遊次第なんじゃないだろうか。
「糸遊、それ食べたら指そう」
「うん」
私の出せる厳しさ、その一番強いものをぶつけてみよう。そこで優しくしてあげられたという実感があれば、それは私次第ということになる。
自宅でのルールがある。瑞香さんがいた時も承知してくれた、私からのお願い。私と糸遊の対局の時は、リビングでは静かにしていること。
ゲストといえど、そのルールは守ってもらう。強い口調にならないよう、それでいて念入りに二人にお願いした。
「わかった」
睡蓮が真剣な表情で頷く。安心して将棋盤の前に座った。お茶だけ横に置いて糸遊を待つ。
「よし!」
腹ごしらえとエネルギー補給を終え、糸遊もやる気満々だ。久々に真剣で指そう、改めてそう伝えた。
いずれ糸遊が成功すれば、沢山の人に囲まれて指すことになる。そこに配慮の気持ちがあっても、やはり人の多さは集中力を削がれるものだ。今日はいい経験になるだろう。
深く深呼吸する。何故だろうか、観客がいることを喜んでいる自分に気づいた。
ゆっくり、ゆったり、丁寧に、正確に、深く、長く。深呼吸。
前回は私の先手だったので、今回は糸遊の先手だ。久々に時間無制限でお互いに同意した。とはいっても、私たちの場合はそんなに長くはかからない。
「よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
私の言葉に糸遊が続き、お互いに頭を下げて対局開始。糸遊が歩を突いた。
ギャラリーが増えた。浮草も察したのか、初見でも黙ってくれていた。ありがたい。
私たちの指し手は早い。時間無制限なのは、チェスクロックに触れる手間を防ぐ目的でもある。お互いに右利きだ。つまらない差をつけたくなかった。
形勢は私の優位で、糸遊に有効な攻め手のない局面だ。糸遊は私の攻めを凌ぐしかない。
一時間が経過していた。普段なら終わっている時間だ。糸遊の粘りが強くなっている。そうか、頑張っているんだね。少し口元が緩んだ。
想定通りの受けの手を糸遊が指す。全部読めていた。優位が広がる。ほぼ勝勢。見落としだけはしない。最短手数には不安が残ったので、確実な方を選ぶ。
これがもし公式戦で、もっと時間があるのならば、考えて最短手数を選んでいただろう。しかし、そういう焦りが落とし穴になることもある。逆に延命させて、負けることもある。
今回は読み切っていた。糸遊も察していたようだ。
「負けました」
「はい。ありがとうございました」
一時間と三分ほどで、手数も百を越えていた。なかなかに粘られた。糸遊の成長を実感する。
私の自己満足の一局になってしまったかな? 糸遊はどう感じたのか、探るように表情を見た。冷静に分析している。簡単に折れるような、やわな精神力ではないと確信した。
お互いに棋譜は記憶している。感想戦はまたでいい。時間を使ってくれたみんなに、向き合って頭を下げた。瑞香さんも起きていた。
「もう一時間経ってたんだ」
「本当だ」
内容はあまりわからなかっただろうに、睡蓮と桜蓮も夢中になってくれていたらしい。ありがとうと声をかける。
「これが本気の連理ちゃん……」
今度は睡蓮が考え始めた。桜蓮が糸遊に話しかけ、どこでどうなっていたのか知りたがっている。
嬉しくなる。将棋に興味を持ってもらえた。それも、引退した私の対局で。
燈火さんが喜んだ気持ちが、少しわかった気がする。自分の好きなものに誰かが熱中してくれると、こちらまで嬉しくなる。
浮草と目が合う。睨むでもない、真っすぐな目。不思議と頷いてしまう。目を逸らされた。嫌な気はしなかった。
凌乃は感化されたのだろうか、走ってくると言って飛び出しかけ、睡蓮が止めた。
「凌乃ちゃん。一緒に行く、走りたくなった」
ほぼ同じ体型の二人だ。睡蓮が運動用の服を借りて、二人は出て行ってしまった。
「じゃ、晩ご飯の準備するね」
瑞香さんが空気を柔らかくしてくれた。みんなの談笑が聞こえるようになる。深く集中していたことを、今更察した。
桜蓮に説明している糸遊に向き直り、ついでに感想戦を始める。桜蓮にもわかるよう、なるべく噛み砕いて分析した。
なぜ、こんな風に対局したくなったか思いだした。私にできる限りの厳しさはなにか、そこに優しさはあるのか。そういうテーマだった。
「糸遊、今の私は厳しかった?」
「厳しかった。心を折りに来てると思った」
「わかったんだ。強くなったね」
「うん。でも、最後は甘かった」
「甘かった?」
「もっと早く詰んでたもん。違う手順だったから驚いちゃった」
「じゃあ、私もまだまだだ」
「そうだね」
思わず笑ってしまった。安全策がバレていた。桜蓮が呟く。
「勝てばいい、ってわけじゃないんだ」
「うん。プロには勝ち方も求められるからね。私はもうプロじゃないけれど」
「そんなに卑下した言い方しちゃだめだよ。糸遊ちゃんに失礼だから」
怒られてしまった。そうだね、プロじゃなくても、糸遊より強くあり続けると約束したんだ。
「そうだね。ごめんね糸遊」
「ううん。糸遊は強いから平気だよ」
本当に強くなった。ああ、嬉しいなぁ。
優しさについてはわからなかった。ただ、糸遊は笑っている。それだけで充分だった。
走りに行った二人は、三十分ほどで帰ってきた。
瑞香さんの茹でた蕎麦、肉野菜炒め、焼きおにぎりが大皿で出てくる。
結葉と采女も手伝ってくれた。以前と同じ光景に、ちょっと懐かしい気持ちになる。
そして木蓮さんは、相変わらず眠りこけていた。この調子だと、夜中に目を覚ますことだろう。
濃い一日だったなぁと、蕎麦を啜りながら思い返す。髪を切ってもらうだけだったのに、どうしてこうなったんだか。
走って帰ってきた二人から順番に、お風呂を数人ずつで回してもらう。
最後の残り湯に入っても冷えそうだったので、私は一人悲しくシャワーで済ませるのだった。




