23歳32_Invisible scars
自宅から徒歩二分、近くにコンビニがあるのは便利なものだ。
エレベーターの往復の方が長く感じるくらい、徒歩の移動時間が短く感じる。
お金を下ろし、適当にお菓子と紙パックのドリンクを籠にぶち込む。瑞香さんがワインを早々に開けていたから二本補充。買い物に三分とかからなかった。さっくりとカードで支払い、小走りで自宅に戻る。
あれだけの人数がいるのだ。誰かに借りる手もあったけれど、家主のプライドがそれを許さなかった。
ピザの到着予定までまだ時間はある。エレベーターの中で一息吐き、今年のやり残しがないか考えた。
今年のお礼を道場主にしていなかった。凌乃が今日か明日行くはずだから、同行して挨拶をしよう。将棋道場も席主さんに聞きたいことがあった。糸遊が行くタイミングを聞いておかなければ。
何度か深呼吸をして頭がクリアになる。最後にもう一回、ゆっくり、ゆったり、丁寧に、長く一息。
落ちついた。ドアを開けると、奥から楽しそうな会話が聞こえてくる。玄関では、睡蓮が靴を触っていた。
「おかえりー。どうしたの、その荷物」
「コンビニの用事がてら、浮草にパシられた。帰るの?」
「そんなわけないでしょ。タップダンスのボード、あれ借りようと思って靴を取りにきたの」
「ああ、どうぞどうぞ。私も始めたばかりなんだよね」
「面白いよね。お姉ちゃんとちょっとだけやったの、思いだすなぁ」
荷物を少し持ってくれた睡蓮と、暖かいリビングに戻る。浮草も靴をタップボードの上で履いていた。お洒落な子は、普段から踵のある靴を履いている。私は基本スニーカーだ。
もう一枚のボードに睡蓮が立つ。基礎を浮草に教えるようだ。二人ともさすがのセンスで、すぐに小気味よい靴音が響いてくる。
楽しそうだなぁ。実際楽しいんだよなぁ、あれ。紙パックの飲み物を冷蔵庫にしまい、二人の目の前で観賞する。経験者だけあって、睡蓮は上手いものだった。隣に座る結葉に話しかけた。
「結葉は学校で、革細工なんかもやってるの?」
「さすがにそこまではやらないよ。あくまで被服科だから、デザイン中心だもん」
「革細工には興味ない? さっきの映像じゃないけれど、そういうの好きでしょ」
「革って、この靴みたいなの?」
私のタップ用の靴が、二足脇に並んでいる。
「そうそう。こういうの金属を使わず、加工した革を縫い合わせてるんだってさ」
「そうなんだ。それは興味をそそるなぁ」
少し口元が緩んでいる。本当にモノづくりが好きなのだろう、楽しい想像が始まったようだ。
「いずれ私の革靴を仕立ててくれたら助かるよ」
「それより先に、可愛いお洋服を作ってあげるね」
「可愛いのは似合わないよ」
「そんなことないよ」
どうだかなぁ。今の格好を見直す。上着はパーカー、下はゆったりのジーンズ。髪と胸の特徴がなければ、小さな少年と思われてもおかしくない。
目の前でタップを踏む睡蓮は、ニットのセーターに膝くらいまでのスカート、それに黒いタイツ。さっぱりしているのに、小綺麗で可愛い服装だ。
こういう服のセンスは学んでこなかった。困ったらスーツ、それで通じる世界だった。
浮草は生足だ。外で寒くないのだろうか。
「さっきからいやらしい目で見られてる」
「私も凝視されてます」
「ん?」
顔を上げる。二人のダンスが止まっていた。
「二人とも足がえろいね」
結葉が驚いた顔になった。
「連理ちゃんどうしたの? 熱でもある?」
「ないない、大丈夫だって。ファッションセンスのこと考えてたの」
「それがどうして足の話になるの」
「いやー、浮草は寒くなかったのかなーとか、睡蓮はタイツだなーとか」
頭上で二人がひそひそひそひそと話しはじめた。これはいじられる。都合よくインターホンが鳴ったので、急いで立ち上がった。ピザのお出ましだ。
「結葉も運ぶの手伝ってくれる?」
「うん」
ちょうどよく逃げる口実ができた。インターホンを受け、玄関で待つ。支払いを終え、結葉にピザだけ運んでもらった。私は残りの飲み物やサイドメニューの袋を運ぶ。
こんなに色々飲み物がついてくるんなら、紙パックの飲み物はいらなかったかな。保存が効くからまあいいか。
コンビニで買っておいた紙皿と紙コップをテーブルで開き、それぞれが思い思いの飲食物で腹を満たした。
「トレーナーにバレたら怒られそう」
ピザを頬張る睡蓮が一番満喫していた。以前のハンバーガーもそうだったけれど、ジャンクフードが大好きらしい。
「あー堪能した」
横に采女が腰を下ろし、満足げに伸びをしながら続けて言う。
「多分形になったよ。あとは思い付いたことを入れるだけ」
「采女はそういうの詳しいんだ」
「面白そうと思って覗いてみたら、あの二人が酷かったからね。見てらんなかっただけださね」
どこかキザな口ぶりだ。
「ただ、最終的には桜蓮さん頼みになっちゃったけどね」
「やっぱり桜蓮は凄いんだ」
「連理ちゃんと同じ考えのタイプなんじゃない? 最初は堅苦しく思ったけど」
目の前でタップを踏んで、楽しんでいる二人を見上げる。桜蓮のことを聞きたかったけれど、身体を動かすことに夢中になっているので聞きづらい。
「今の桜蓮が本当の桜蓮と思う?」
「どういうこと?」
「睡蓮のライブで会った時、ツンケンしてたの知ってるでしょ?」
「そんなこともあったねー」
オレンジジュースをビールのように、ぷはぁと息を吐きながら飲み干して幸せそうだ。
「そういうのは本人に聞きなよ。私からは言えないよ」
今度は「結葉たーん」と言いながら、抱きついて転がりだした。虚を突かれた結葉は戸惑いの声を上げている。
セクハラが始まる予感がする。逃げよう。
パソコンに向かう三人がいるテーブルに行き、しばらく作業を観察していると作業に区切りがついた。
「終わったー!」
「疲れたぁー」
凌乃と糸遊が言いながら、力を抜いてだらけている。二人を見て少し笑いながら、桜蓮が告げた。
「終わってないし、疲れてたら進まないよ。少し休憩ね」
「おつかれさま。ごめんね、うちの脳筋たちがお世話になっちゃって」
「私も、あのチャンバラのセットを使わせてもらえるって聞いたので。どうせ暇だったから」
桜蓮の目が燃えている。なるほど、それを餌に二人は引き込んだのか。
「想像で言ったことなんだけれどね。Lotusでそういう企画書作りとか、桜蓮がやってるんじゃないかなって思ってたのよ」
「Wildflowersではしなかったんだ?」
「基本は亜嵐さんの指示がスタートだからね。資料にまとめろって言われて、実際にやるのはマネージャーの役目」
最初は私、今は木蓮さんと指をさして示す。
「Lotusのマネージャーは、バラバラなメンバーのスケジュールをまとめるだけで精一杯だよ。あとは慰め程度の相談くらい」
「人数が多いと、仕事も違うんだねぇ」
「そうだね。相談ごともメンタルコーチにすることが多いから。Wildflowersは小回りが利く人数だし、一緒に生活してるのは大きいかも」
「冷静な分析だね」
「ふふ、ありがと」
やっぱり自然に笑っている。本当に何で、あんなに尖がっていたんだろう。不思議で仕方がない。意を決して尋ねてみる。
「答えにくい質問と思うけれど、いいかな」
「改まられると恐いけど、どうぞ」
「最初、面と向かって話した時もそうだったけどさ。睡蓮のライブ会場の時も含めて、どうしてあんなに喧嘩腰だったの?」
「喧嘩腰? そうだった?」
「正直、めっちゃ嫌われてるんだろうなって思ってた」
「ええぇ? 私が、連理さんを……?」
その驚き方にこちらが驚く。目の前で聞いている糸遊と凌乃も、ぼけーっとして反応がない。
「そんなことはありえないよ。睡蓮姉さんのライブで見た時から、凄い人がいるなって思ってたんだから」
「それでもっと嫌われたんだと思ってた」
「違うよ、ずっと尊敬してたよ」
「へ?」
尊敬? 私を?
「あーもう、恥ずかしい。私、緊張すると無駄に強気になっちゃうみたいで……。それで、ずっと連理さんの前だと緊張してて、それで、ああなったというか……」
「私にBARで『思ってたほどじゃない』みたいなことを言ったのは?」
「緊張で、早く帰りたくなっちゃって思わず……」
「剣戟で役を取られて、私のことを恨んだとか聞いたよ」
「悔しかった。でも格好いいなって思って、尊敬しちゃった」
桜蓮は、こめかみのあたりをぽりぽりと指でかいている。
「じゃあ、車の中で打ち解けた感じだったのは」
「直前にコンビニで奢ってくれたでしょ? 連理さんって気難しいタイプじゃなくて、フランクに話せる人なんだと思って」
「勧誘の話をしながら緊張が解けたと?」
「うん」
呆けていた凌乃が口を挟む。
「なんだ、連理さん気づいてなかったんだ」
続いて糸遊も、呆れたように言う。
「だから糸遊が間に入ってあげたのに」
「えーと、それはいつの?」
「ライブの座席で、二人がお隣同士になった時だよ」
「あの、言い終えたあとで、糸遊がニヤって笑ってた時?」
「うん。仕方ないなぁって思って笑っちゃった」
そういう笑いだったの? てっきり、桜蓮にしてやったって笑みかと……。そうだよね、糸遊の性格的に、言い負かして笑うなんておかしいもの。
「あの時は私、本気でやらかしたーって思ってたんだよね。実は助かったんだよね。糸遊ちゃんありがとう」
「連理ちゃんだけ、気づいてなかったんだね」
「えーと、本気で嫌われてて、合理的に利用するための道具としてLotusに誘われたと思っていました。誠に申し訳ございません」
「そんなに謝らないで。私の態度が原因だったんだから」
「じゃあその、確認なんだけど。その、Lotusに誘われたのは」
「尊敬する人と一緒にやりたいって思ったから」
桜蓮は更に恥ずかしがる。なんだ、そんなことだったのか。
「私と桜蓮が近くにいるのを、浮草が警戒していたのも?」
「多分、私の緊張しいなところを見て、『またやってるよこいつ』って思ったんじゃないかな」
「ちなみに、普段のLotusとのメンバー関係は?」
「実力制だし、派閥もあるのは確かだよ。でも、一部のメンバーとは一緒に遊びにも行く仲だし」
全部答えてくれる。真っ正直に。派閥があるという話の流れから、Lotusを取り巻く環境は、特に過激な世界だと思っていた。
「桜蓮くん」
「はい、あの、くん?」
「君はいい子だ」
「はぁ、ありがとう」
なんだー。最初から全部、私の取り越し苦労だったのか。
本当、私は昔から人を疑ってかかる癖がある。凌乃の時もそうだったし、浮草も話してみると面白い奴だった。臆病だからか、すぐに守りに入りたがる。将棋の棋風と真逆だった。
それを、この子たちの同年代の子はあっさり見抜いていた。
一人で警戒して、敵対心を持って、上手くいったら私が心を開いてあげたつもりになっていた。
うおぉ、恥ずかしい。これまで、物凄く恥ずかしい言動が多かった気がする。
テーブルに突っ伏して悶えていると、頭をぺちぺち叩かれる。顔を上げると睡蓮が笑みを浮かべていた。
「人の可愛い可愛い妹に、何かやってくれたのかな?」
「私のこと、悪人だと思ってたみたい」
桜蓮が笑いながら睡蓮に応えると、睡蓮の笑みが邪悪に歪んだ。
「なにぃ! 連理ちゃんには罰を与えます!」
そうして、引き摺られるように結葉の部屋に連行された。




