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23歳30_Invisible scars

 事務所に帰ると、凌乃と糸遊が駆け寄ってきた。報告があるらしい。

 思案顔の二人を見て駄目だったのかなと思って話を聞くと、承諾されたけれど凄く疲れたらしい。

 それプラス、冬休みの宿題が出されたという。

「今回の提案を、企画書形式で出せるように練習か。面白いこと考えるなぁ」

「あたし頭脳労働向いてないのにぃー!」

「将棋の時間がなくなるー」

「二人でやれって?」

「連理さんには頼るなって釘刺されたぁー。たすけてー!」

 残念でした。二人が頭を悩ませている間、私は近くでタップダンスを踊ってあげよう。ちょうどいいボードを買ってきたばかりだ。

「亜嵐さんは、瑞香さんが泊まることは知っているのかな」

「えー、知らないんじゃない?」

「じゃあ、瑞香さんに頼れば?」

 瑞香さんは今、上で三人のレッスンを見ていることだろう。私も着替えて行かなければ。年内の最終日くらい、ちゃんと身体を動かしたかった。

「それだ!」

「しゃちょーには内緒だからね、このこと」

「はいはい。上に行きましょ」

 言い終わる前に、二人は飛び出していった。何たる瞬発力だ。

 そして、遅れてレッスン場に入ると二人は撃沈していた。

「さっき亜嵐さんから内線があって、二人の手伝いはするなってさ」

「瑞香さんはってことだよね」

「うん。この子たちは手伝ってもいい、みたいな言い方だったな」

 瑞香さんに示された浮草と采女は、何の話かと眉をひそめている。結葉は一人でポージングの確認をしていた。

 凌乃が二人に、媚びを売るように説明する。各々違う反応があった。

「うわだる」

 凌乃の説明を聞いた浮草は、問答無用で切り捨てた。そういう、コツコツとした作業は嫌いそうなので納得だ。こいつは本能で生きている。

 浮草と同種と思われた采女は、ほうほうなるほどと胡坐で頭を働かせていた。今回、采女がキーマンになるかもしれない。

 それはさておき、思いついたことがあったので凌乃に助言する。

「明日来る桜蓮にも相談してみたら? Lotusのリーダーなら、企画関係の話とかしてそうじゃない?」

「それだ! 桜蓮さんお救いください」

「助けてくれるって決まったわけじゃないからね」

「桜蓮ちゃんがどこに来るの?」

 これも蚊帳の外だった浮草に説明する。私は買ったばかりの革の靴を手元でほぐしている。

「えー? じゃあ私も遊びに行く。明日から暇だし」

「何なら、私と一緒に泊まっちゃう?」

「そんなに泊まれるの?」

 瑞香さんの提案に、浮草は期待の眼差しを向けてきた。

「まあ、何人かリビングに雑魚寝になると思うけれど」

「行く! ご飯出るんでしょ」

「そういう理由なんだ」

 なかなかにがめつい。普段から店主と、時給ネタで盛り上がっているだけのことはある。

「それより、さっきから何してるのそれ」

「んー、タップの練習に使うシューズ。怪我しないように、革をほぐして使えってさ」

「タップ? 何それ?」

「こういうの」

 瑞香さんに預けていたテキストを、浮草に広げて見せた。

「金属の靴って書いてるけど?」

「フローリングは傷付くから、練習は革底の方がいいんだってさ。よし」

 結構ほぐれたんじゃないか。履いて紐を強く結ぶ。いいフィット感だ。

 立ち上がって靴音鳴らしてみた。確かに金属のより少し籠った感じの音だ。言い換えると、深みのある音でもある。これはこれでいい。聞いた話だと、アイリッシュダンスの本場の靴は、樹脂製のパーツを使うんだとか。

 テレビで見たような、統一感のある音は一音一音の高さが際立っていた。今のように、一人でやる分にはこの音を響かせる方が、案外楽しいかもしれない。

 基本ステップを思いだし、コツン、コツンと音を響かせる。金属音より低い分、レッスンの邪魔にもならないだろう。

 ただ、やっぱり足に食い込むような感覚がある。慣れるまでは厚い靴下で、という話に納得した。しばらくは長時間練習は控えよう。

「へーいい音してる」

「でしょ」

 ゴム底のレッスンシューズで真似をする浮草だが、キュッとストップのかかる音が違和感になる。

「今度貸してよそれ」

「靴のサイズは?」

「二十三・五」

「残念でした。五ミリ縮めましょうねー」

 笑いながら浮草を煽ったら、私の髪をかき乱してどっかに行ってしまった。ひどいことをするものだ。

 髪を直しついでに、かんざしでまとめた。まとめても毛先が背中にかかっている。明日切ってもらうのが楽しみだ。

 みんながレッスンを受ける対角のスペースを陣取る。鏡を見ながら、上半身を揺らさないよう基本ステップを一人で練習した。


 集団で一体感のある動き。あの映像の人たちは、手を真っすぐに下ろして全員が同じ動きをしていた。

 一人が前に出て踊る時は、上半身を広げたり、ターンを使って幅広い表現をしていた。これらの動きをアイリッシュダンスというらしい。

 動画を調べた限りでは、和風なタップダンスは基本前傾姿勢だった。猫背に見えるくらい上半身を曲げ、足元の動きと音を出すことに全神経を注いでいる様子だった。何というか、集中し過ぎて前傾姿勢になっている印象に感じたものだ。

 これらの違いは何なのだろう? スクールが休みの間の、タップダンスの疑問がどんどん積み重なっていく。

 多分どれも正解。将棋も同じ。負けた対局にいい手があったり、勝った対局に悪手があったりする。

 最短で勝ちに行こうとする。その考えがきっと、表現を妨げているんだ。そう考える余裕が、今の私にはあった。


 夜になり、今年の最終出勤も終わった。最後はみんなで、片付けと簡単な掃除をする。すっきりした気分で事務所を出た。

 ちょっと睡蓮と話がしたくなる。今、何をやっているのかな。

『こちら睡蓮』

「こちら連理」

『合わせてくれるようになったね』

「おかげさまでね」

『本日は何用でしょうか?』

「うーん。何がってわけじゃないんだよね。こっちは明日から休みだから、その自慢かな」

『ふふん、私はとっくに休みだよ。今年度はゆっくり年越しなんだよね』

「次回のライブは、確か二月って言ってたよね?」

『もっと先になるかも? どうかしたの?』

「うん。この間金井さんと電話したら、出産予定がその時期だって言ってたから」

『おめでたいよねー。チケット送るのもプレッシャーになっちゃいそう』

「送ってもらえるのが嬉しいんだよ。私も送ってもらえたら嬉しい」

『連理ちゃんは買ってね』

「けーち」

 お互いの笑い声が心地よかった。

『本当にそれだけ?』

「私がボケてなければね。よっこいしょ」

 今日買った二枚のボードを背負い直す。通話しながら片手で持つのは、案外きつかった。

『おばあちゃんみたい』

「ここ数日抱腹絶倒でね。笑いすぎて老けたかも」

『何言ってるの。笑うと若返るんだよ』

「スピリチュアル的な?」

『私がそう信じてるの』

 いつも睡蓮は若々しい。ライブもいつも笑顔だ。

「わかった。私も信じよう」

『それはさておき、その抱腹絶倒エピソードを……』

「木蓮さんに聞けば半分わかるよ。おやすみ」

『ちょっと、半分って何?』

 切ってやった。


 今頃スマホの前でぶー垂れているだろうか。だとしたら、少し老けさせられたかな。してやったりと思いほくそ笑む。

 視線を感じてチラリと隣を見る。隣を歩く凌乃が、怪訝な顔でこちらを見ていた。

「連理さんニヤニヤしてて気持ち悪い」

「盗み聞きはよくないよ」

「残念ながら、全然聞こえなかったよ」

「本当かなぁ?」

「そのでっかいのでぐいぐい来ないで。ていうか何それ」

「帰ってからのお楽しみ」

 いやぁ、凌乃と糸遊が苦しみながら企画書作成する横で、タップダンスを練習するのが楽しみだ。

「浮草も今日から泊まるんだって?」

「いやー。明日までに洗濯終わらせてから、とか言ってたような」

 道理で帰り道にいないわけだ。一人暮らしの浮草。あの子はあの子で、忙しい毎日を送っている。

 それにしてはクビのリスクを省みないような、バイト先のぶっ飛んだ言動が面白い。クビになっても、今となればアイドル一本で食べていけそうな人気はある。

 帰り際、数日間の食材の買い出しだとかで、瑞香さんの車に他の三人は乗って行ってしまった。

 おかげでこの重い荷物を車に載せてもらうこともできず、凌乃と二人で徒歩帰宅だ。

「今年最後の道場はどうするの?」

「んー、明日か明後日で終わりかな」

「そんなに自由なスケジュールだったっけ?」

「最近はそんなもんだよ。来たい時に来いってさ」

 凌乃の生活にも変化が始まったのだろう。何気にこの子は自立も早い。ヘアスタイルの変化もあって、堂々としている姿が凛々しかった。

「それよりも企画書だよー。あたしまだ高校生だよー」

「まあまあ。最悪、亜嵐さんをぶっ飛ばせばいいんだから」

「そんな乱暴なことさせる前に、こっそり手伝ってよ」

「それだけは嫌だ。私は忙しい」

「その荷物が関係あるの?」

「まあねー」

 凌乃との他愛のない会話。家族ではあるけれど、この子だけは何だか友だちって感じもする。

 いつもの帰り道。凌乃がトラウマに怯えたスポットを通る。今ではただの通り道になっていた。


 帰宅してからも凌乃と二人きり。買い物組はまだかかるだろうし、凌乃に一番風呂を促して風呂掃除から始めた。

 今日から瑞香さんも泊まるので、お風呂の時間もタイトになる。明日からは浮草も来るし、よりタイトになるだろう。

 凌乃は帰って早々、企画書の概要をまとめ始めた。あーでもないこーでもないと唸っている。私も去年の今頃は、卒論を出し終えた頃だった。

 自分の身体をサンプルに計算した、身体能力と身長体重の関係。それをテーマにしていた。受けがよかったとは思わないが、それなりに説得力はあったと思う。

 卒業条件はすんなりクリア。おかげでプロ人生最後の将棋に集中できた。

「これでよし」

 お風呂が綺麗になる。お湯を張りながら今日を振り返った。たくさん掃除した一日だったのに、バイトのお掃除手当はない。

 晩ご飯は出来合いの物を買ってくると言っていたから、食事の用意も必要ない。ちょっと時間が空いてぼーっとする。

 そうだ、タップボード。あれを開封していなかった。リビングでダンボールから取り出し、畳まれたボードを開き、カーペットの上に敷く。

「何それ、足場?」

「タップボード」

 持ち帰った二足の靴から、より高い音の出る借りものの金属靴を履く。こっちの方が今は馴染む。使い込まれ、手入れされている証拠だ。

 レッスン場とは違う、高音のステップがまた心地よい。鏡が目の前にない分、音に集中できる。

 覚えたステップを一通りこなす。まだまだゆっくりしかできない。けれど、確実に出したい音を順番に出した。

「ブラボー!」

「やーやー、どうもどうも」

 たった一人の観客、凌乃と盛り上がる。

「レッスン場でも見てたけど、こっちの方がいいね。靴が違うんだ」

「このボードだと金属のこの靴、これで練習できるんだよ」

 傷付けてもいい専用ボード。必要になれば、ベニヤ板なんかを重ねて摩耗を防ぐ手もあるんだとか。

「下の黒いのが振動防止なんだね」

「うん」

「あたしもやっていい?」

「使ってないローファーとかある? 靴底が硬かったらできるから持っておいで」

「あるある!」

 凌乃が往復する間に、にもう一枚のボードを開封し、並べて敷いた。

「ていうか、これ買いに行ってたんだ」

「木蓮さんも買ったんだよ。昔やった経験があるんだって」

「どうやるの?」

 ボードの上でローファーを履かせ、基本のステップを伝授する。といっても私もまだまだ二日目だ。教えられるのは、テキストの内容とスクール見学で教わったことだけ。

 日々レッスンで鍛えているだけあって、さすがに凌乃はコツを掴むのが早かった。

「なんかこう、音楽に乗ってやりたくなるね」

「それもいいけれど、私は音が好きなんだよね」

「あたしもその靴ならなぁ」

 お風呂のタイマーが鳴る。

 名残惜しそうにする凌乃が風呂に行く間、私は靴音を鳴らし続けた。

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