23歳28_Invisible scars
帰宅直後のリビングで、凌乃の姿にぎょっとした。
髪型が変わっている。帰宅の挨拶もそこそこに声をかけた。
「いいね、凌乃。似合ってるよ」
「そう? ちょっとイメチェンしちゃった」
いつものサラサラセミロングから、少し短くしたウルフカット。これまでとは違う魅力が感じられる。
結葉の方は少し切っただけで、大きな変化はなかった。それでもさっぱりした表情が明るい。本当に昔と比べると垢抜けたと思う。
「そうそう、明日から瑞香さんが泊まりに来るの伝えてたよね」
「うん」
「その次の日に私も髪切ってもらうんだ。その時に桜蓮が来ることになった」
「そうなんだ。桜蓮さんが切るの?」
「瑞香さんが切るのを見て、勉強したいんだってさ。木蓮さんの髪切ってるの桜蓮だってよ」
人の髪切るのって、そんなに難しいのだろうか。私のようにずぼらなだけな人間には、お店と素人の違いがよくわからなかった。
「いいと思うよ。ゆっくり話してみたかったしさ」
「その髪見たら、びっくりするかもね」
「そう? 褒められるかな?」
凌乃はへへっと笑う。心底陽気な子だ。
「あ、連理さん、チャンバラの道具のこと話してくれたの?」
「うん。瑞香さんはいいって言ってくれたけれど、亜嵐さんが来ないことにはね」
値段を調べたところ、結構高かったことも伝える。
「そうなんだ。だったら、たまのお出かけのお楽しみでもいいか」
「いつもあれとは限らないけどね。本業役者さんたちの練習だから」
「だったらやっぱり欲しい!」
「それなら、凌乃も亜嵐さんに説得してみなよ、糸遊も一緒にさ。ロケ頑張ったんだってアピールしちゃえ」
「それいいね。明日、亜嵐さん来るかなー」
将棋盤の前に座っていた糸遊も反応する。髪はいつものポニテに戻っていた。
「呼んだー?」
「明日亜嵐さんを説得するって話。あたしと糸ちゃんで」
「なにを?」
「チャンバラセット購入案件!」
「絶対欲しいよね!」
二人が盛り上がりだした。この様子ならば、私が交渉するより話が通るかもしれない。
今年最後の出勤日。朝のコーヒータイムに瑞香さんを誘っていた。
明日からしばらくお店もお休みになる。昨日呼ばなかったので、お声をかけておいたのだ。
ほぼ定位置となった、奥の二人掛けの席に向かい合って座る。すぐに浮草が注文を取りにきた。
「決まったらお呼びくださーい」
「イントネーションがおかしい」
遠くから聞こえる店主の声、確かにと頷く。どこかラーメン屋チックな口ぶりだった。
「ブレンド」
「私もそれで、プリンもちょうだいな」
「以上で?」
声を出さずにうんと頷く。浮草の接客バリエーションは、あとどのくらいあるのだろうか。今後が楽しみだ。
「相変わらずふざけ倒してるのねぇ」
「昨日は大変だったよ。それにしてもプリン好きだね」
「美味しいんだもの、ここのは特に」
「いつも御贔屓に」
へへっと笑いながら、浮草がプリンを用意している。
「連理ちゃんこそ、コーヒーだけでいいの?」
「朝食べてきてるからね」
コーヒーを待ちながら浮草を見ると、今日も髪をアップにしていた。明日、桜蓮が来ることを伝えたら来たがるかな。
岡持から取り出すような仕草で、配膳が始まった。
「あーい、コーヒー二丁お待ち」
呆れた様子で店主の声が届く。
「うちも出前始めるかな」
「店番はお任せください」
「君に行かせるんだよ」
「追加手当は?」
「チップでももらってきたらいいだろう」
「ここは日本です!」
まーた始まった。コーヒーにミルクを入れながら、瑞香さんがクスクス笑い始める。
プリンも一緒に並べられた。相変わらず美味しそうだ。一口だけもらう。うまし。
「昨日の夜だけど、チャンバラセットのこと、凌乃と糸遊に話したんだよ。おだてたら自分で交渉するって、やる気になってたよ」
「私たちの手間が減ったらいいんだけどね」
「大丈夫だと思うよ。ロケの映像出せば、あの二人が頑張ってたのわかるから」
「連理ちゃんも上手いこと考えるようになったもんだ。偉いぞー」
頭を撫でられる。私はいつまで経っても、瑞香さんの庇護対象のようだ。
「年内最終日だし、亜嵐さんも今日は来るよね」
「そうだと思う。私も色々相談あるし、来てもらわないと困るね」
最悪呼び出すけどと、呟きながらスプーンを動かす瑞香さん。亜嵐さんとどちらが上司だかわからないくらい、凛々しい表情だ。いじるスプーンがプリンの皿というのが、何とも締まらない。
「そういえば昨日は、浮草も来るの早かったよね?」
「そっちのスケジュールに合わせてもらったんです。お陰で夕方の時給がパー」
「頭もパー」
「シンプルに酷いのやめてくださいよ」
「事情は知ってるからね。昨日の差額はボーナスってことにしてあげよう」
「ボーナスならもっと大々的にください!」
「じゃあそれ食べていいよ」
「何でナスのおひたしが」
いいお店だなぁ。瑞香さんがコーヒーを飲めなくなってきた。そろそろ危険だ。
「私の朝ごはんの残り」
「ここで食べてたんですね」
「私の手作りだよ」
「手作り料理で私を篭絡する気ですね」
「それはないかな」
瑞香さんは深呼吸で息を整えている。本当に大丈夫かな。じっと見ていると、カップのコーヒーをぐいっと飲み干して、貼り付けたような笑顔になった。
「そろそろ出ましょうか」
「そうだね」
偉いぞ瑞香さん。よくぞ耐えきった。
今日は珍しく瑞香さんの奢り。ありがたくご馳走になって退店した。
「毎度ーまたのお越しをー」
やっぱり、喫茶店っぽくないお見送りだ。
「死ぬかと思った」
「偉い偉い」
頭には手が届かないので、褒めながら背中をぽんぽんと叩いてあげた。
喫茶店を早めに切り上げたので、事務所にはまだ誰もいなかった。瑞香さんと換気から始める。
空気清浄機や加湿器の給水など、普段は最初に来た事務員さんがやってくれていることを、先んじて済ませた。いつもありがとう。
「やっぱり朝一は冷えるね」
「そうねぇ」
他愛のない会話をしながら窓を閉める。風が強かったから、換気はもう充分だろう。
「レッスン場も換気してくるね」
「うん、お願いねー」
いつもの、のほほんとした瑞香さんに戻っている。よかった。喫茶店から無事生還できた。味はいいのに浮草のせいで長居できるメンツが限られるのが難点のお店だ。
更衣室で動きやすい服に着替えるついでに、ここも空気清浄機をオンにする。
階段を上がって入ったレッスン場の換気の最中、ついでに簡単に掃き掃除を済ませた。最初は見ている側だったのに、何やかんやで今では自分のレッスンでも使っている。
お世話になりました。来年もお願いします。口には出さなかった。
改めて見ると、結構な広さがあることに気づく。タップダンススクールの、地下スタジオの倍くらいある広さだ。レッスン場の棚に、置きっぱなしにしていたタップダンスシューズを取り出す。
どうせバレてもいいし、少しばかり一人の時間がある。ちょっとだけ練習しよう。そう思って靴を履き替え、内線で瑞香さんに連絡した。先に少し練習することを伝える。
いい音を楽しんでいると、木製の床が気になった。タップシューズの裏は金属だ。まずい、浮かれていた。こういう場所では、革靴をお勧めされていたのに。
昨日、レンタルスタジオで少し練習したけれど、傷はついていないだろうか。
ダンススクールの床は、一部は木製ではなかった。やっぱりそういう素材があるんだろうか。事務所に下りて調べてもいいけれど、どうせなら靴のことも合わせて専門家に相談しよう。
スマホを取り出し、燈火さんに電話する。年末年始はダンススクールがお休みということで、連絡先を交換しておいて本当によかった。
五コールほどで出てくれた。まだ少し早い時間だったかな。小さな声だった。
『はい』
「すみません、先日お世話になった九、えーと連理です」
『おはようございます。少しお待ちくださいね』
「はい」
どうやら移動しているようだ。物音が聞こえたあと、口元でも抑えているのか少しこもった声が聞こえてきた。
『お待たせしました。職場でしたので、ここなら大丈夫です』
「お時間大丈夫でした?」
『ええ、少しなら』
悪いことをした。気を遣っている時間すらもったいないだろう、床や靴の材質を軽く尋ねる。
『スタジオの半分は、専用のリノリウム製なんです。音が響くし傷もつかない。貼り替えを前提とした木製の部分もあります』
「じゃあやっぱり、普通のフローリングはまずいですよね」
『そうですね。傷が付いちゃうと思います。ですので、もしあの靴で練習したいのでしたらタップボードを敷いて……』
そういう専用のボードがあるそうだ。靴の種類や音の出方など特徴があるけれど、今説明されても覚えきれそうにない。
「わかりました。調べてみますね」
『ご自宅なんですか?』
「いえ、事務所のレッスン場にいます。ここも木製のフローリングなもので」
『お昼以降もいらっしゃいますか? 今日は午前だけなので、よかったら色々とお話できると思います』
「いいんですか! じゃあ住所送っておきます」
やったー! 専門家に色々聞ける!
テキストには基本メニューのことや、ダンスの大会への道などが中心に書かれているだけだった。練習環境の素材や、傷のことは全く考えていなかった。
折角履き替えたタップシューズだけれど、このままだとフローリングに傷を付けかねない。そっと脱いで棚にしまう。これはまた今度。
昨日のレンタル用のスタジオが気になった。傷が付いていないか、心配になって見にいくことにした。




