23歳26_Invisible scars
ダンススクールの帰り道、ちょうどいいので道場に通っている凌乃を迎えに行く。
見学で思ったより時間が経っていたこともあり、練習の終わり時間に近かったので待ち伏せすることにした。
借りた靴はナップザックに入れて背負っている。ケーキでの失敗を反省し、ナップザックを忍ばせておいて正解だった。
バイクを停め、道場前の自販機の横に座る。温かい紅茶を飲みながら、足が自然とタップを踏んでいた。
テキストを軽く開いてみると、簡単な歴史と起源が書いてあった。私が見ていた番組はタップダンスではなく、アイリッシュダンスというらしい。タップダンスと似ているが、こちらの方が伝統があるような書き方だった。
チラシにはタップダンススクールと書いてあった。これがアイリッシュダンススクールと書かれたチラシだったら、どんなダンスか想像もつかなかっただろう。タップダンスの方が名称として知名度は高い。
紅茶を啜りながら思い返した。上半身で動きをつけながら練習している人がいた。女性コーチは、背筋を伸ばした動きの方が好きと言っていたし、あそこならどちらも練習できるのだろう。
一番最初の基礎の動き、つま先部分と踵の部分の金属板から響く音、全てが新鮮だった。
ただ、このスニーカーでやると擦れるだけ。アスファルトの硬さでゴムが削れるような感触で、物足りなさが増すばかりだ。
「ありがとうございましたー!」
凌乃が出てきた。しっかりと頭を下げて挨拶している。言われたことを改善できているようで安心した。
手を振りながら凌乃に呼びかけた。
「凌乃」
「連理さん? どうしたの、こんな寒い中」
おーよしよし、寒かったですねーと抱きついてくる。
「やめなさい。用事のついでに時間があったから迎えにきたのよ」
本音はもっと抱きしめられたかった。凌乃は温かい。
「で、この寒い中バイクで来たと」
「……」
「私はこんな格好なのに、バイクで冷たい風に当たれって言うんだ」
トントンと自販機を叩いている。何か奢れと、口に出さずに伝えてくる。
「何か飲む?」
「コンポタ」
保温性のある服装ではない凌乃にとって、私という小さな風除けではバイクの後ろで寒い思いをさせてしまう。
またもバイクの失敗だ。結葉はそんなこと言わなかったけれど、我慢してくれていたのかな。
「くっつくからね。ナップザックはあたしが背負うよ」
「お願い」
凌乃のスタイルのよさは出会った時からだ。モデル体型の中でもメリハリのある方なのだろう、結構でかい。
結葉のふわっとしたような柔らかさとは違い、弾力のある柔らかさが背中に押し付けられた。
「ゴーゴー!」
「飛ばさないよ」
性格は相変わらずお調子者だ。この外見とスタイルでこの性格、道場でナンパされないのが不思議なくらいだ。
翌日、開店直後の純喫茶に五人揃って訪れた。
「らっしゃーせー」
「ちゃんと言え」
浮草の頭を店主が軽く小突き、浮草が苦虫を潰したような表情になった。
いきなり集団で押し掛けたせいか、店主が硬直する。この人は驚くと固まるタイプのようだ。
「おはようございます。五人です」
「これだから学生さんは、お気楽なこって」
「浮草黙れ。いらっしゃい、奥から詰めてもらえるかな」
「はい」
返事をした私の後ろに並ぶ四人が、学生である自分たちに悪態をつく浮草を見て、クスクス笑って席についた。
縦長の店内の奥、二人掛けのテーブルに結葉と采女が座る。その真横のカウンターに、奥から凌乃と糸遊、そして私が座った。
「はいーご注文どうぞぉー」
気の抜けた態度の浮草に、それぞれ飲み物とスイーツ注文をする。
居酒屋テイストからラーメン屋テイストに変えたのか、浮草はそれっぽい口調になっていた。
この四人を前にしても、怒られることを恐れていない。やはりヤバい女だ。
横に座る糸遊に笑いかけた。
「ね、面白い店員さんでしょ」
「うん。浮草ちゃんは元々面白いけどね」
作業をしながら浮草が「ガルル」と唸って糸遊を睨みつける。この喫茶店にいると、そういう生き物になるんだろうか。
ふざけた態度とは裏腹に、店主との仕事の連携は見事なものだった。
飲み物系を店主が、プリンやケーキを浮草が、それぞれ手早く準備している。
「朝から大勢で押しかけてすみません」
「なに、暇になる時間だから助かるよ」
手際よくコーヒーを淹れる店主の立ち姿が素敵だった。
カウンターの奥から、浮草が商品を持ってフロアに出てくる。凌乃がナンパな口調で声をかけた。
「店員さーん、彼氏いるのぉ?」
「そういうの困りますぅ」
浮草は凌乃のじゃれに軽く応じつつ、見事に片手でお盆を持ち、テーブル席の二人に商品を届けていた。
「はい、結葉ちゃんがカプチーノで、采女ちゃんがモカブレンドだね。ロールケーキは結葉ちゃんで、采女ちゃんがフルーツタルトだったね」
「うん、全部逆だね」
采女の突っ込みに「あれれー」なんて言って戻ってきた。絶対わざとだ。
あーあ、そういうの結葉は弱いんだから。結葉はお腹を抱えて笑っている。そんなんじゃ、このお店を耐え切れないよ。
「凌乃がウィンナーで」
どこから出したのか、本物のウィンナーをコロンと転がす。
「おい」
睨みつける凌乃を無視して、浮草は続けて商品を並べた。
「それとはい、特製プリン二丁」
「丼じゃないんだよ」
やはり、ラーメン屋さんのような言い方をする。そして店主からの声が飛ぶ。しかし、店主もウィンナーは無視していた。一番どうにかしてほしいのに、そこにだけ触れないところに悪意を感じた。
凌乃と浮草のやり取りは続く。
「ウィンナーコーヒーね。頼んだの」
「あーはいはい、コーヒーはこちら」
「ありがとー。で、クリームは?」
「ウィンナーが欲しいんでしょ? あーはいはい、ホイップクリームね」
凌乃の顔が笑顔に固まったのを見て、ようやく浮草が折れた。さすがにウィンナーは酷い。
あちらの酷いやり取りとは別に、私と糸遊の前に注文のコーヒーが並べられる。店主が対応してくれてこちらは安心だ。
「はい、ブレンドと、そちらがカフェオレだったね」
「ありがとうございます」
「おぉー。格好いいお皿だ」
確かに。いつも通っているのに気付かなかった。ソーサーの柄が凝っている。幾何学模様で、あんまり見てると変な気分になりそうだ。
「へぇ。そこを指摘されたのは二回目だよ」
店主が糸遊を感心した目で見ている。そんなに珍しいことなんだ。
ウィンナーコーヒーだけでも充分だろうに、凌乃は意地汚く二つもプリンを頼んでいた。そして、奥のテーブルで結葉が悶えていた。
「もうお願い、浮草ちゃん普通にして」
「えー、普通だよぉ?」
全部の悪戯とふざけた態度を、完全に無表情でやってる。こいつ本当に悪いな。人が笑って苦しむ姿を見るのが大好きなようだ。
まともに話せなくなった結葉を見て、采女はニヒルな笑みを浮かべて浮草に声をかけた。
「やるね店員さん。アフターどうよ」
「お嬢さん、あたしゃそんなに安くないよ」
「時給下げようか」
「ちょっとちょっとちょっと! それは話が違いますぅ」
思わぬ店主からの攻撃に、さしもの浮草も慌てて反応した。
アフターなんてどこで仕入れた言葉なんだか。采女の発想は、いったいどこから来るのだろう?
「時給下げたら安くなるだろ」
「死活問題!」
「アフターに誘われた方がお金になるだろ」
「倫理観どこ行ったんですか! 未成年ですよ!」
「君の倫理観はどこにあるんだ」
「実家に置いてきました」
「取ってきなさい」
「連理さーん、助けてー」
私を巻き込まないでほしい。
じっくりコーヒーをひと啜りし、笑みを浮かべて無言で浮草を見つめる。たじろいだ。私の勝ち。
「お客さんにちょっかいを出すな」
「店員に手を出すくせに」
「給料も出してる」
「それは当然!」
「ならば、当然の仕事をするべきだね」
「私のどこが当然じゃないのよー」
「ロボットダンスで常連に絡むな」
「ウケてるしいいじゃないですか」
「それもそうか」
「急に同意されても困るの!」
本当止まらないなこの二人。カウンターで喋る二人の逆方向を見ると、結葉が動かなくなっていた。采女が結葉のタルトを盗み食いしている。あいつも相当悪い。
采女もここでバイトしたらどうなるだろうか。毎日ハプニングだらけの、ハプニング喫茶になりそうだ。会社近くの名物スポットになる。それはそれで面白いけれど、純喫茶の看板は下ろされるだろう。そうなると残念だ。
凌乃は食べきれなかったプリンを、糸遊にプレゼントと称して押し付けている。糸遊は本当にいい子だ。この環境でもマイペースだった。
「毎度ありがとうね」
「いつも楽しいです」
お会計の時に少し話をすると、店主もさすがに苦笑した。
「あーりあとーございやしたぁー」
浮草の声を背に、連れ立って店を出る。店を出てチラリと店内を振り返ると、浮草が耳を引っ張られていた。お叱りの始まりだろう。
目の前では、凌乃と糸遊が結葉を支えて歩いている。結葉はレッスン前なのに息も絶え絶えだ。大丈夫だろうか。
横を歩く采女がニヤリと笑った。
「あの店主さんやるね」
「あの人もだいぶ悪いよ」
采女は面白い人を見つけたと大喜び。浮草は毎日あんな感じで楽しそう。店主もあれで、なかなか楽しんでいることだろう。でなければあんな悪乗りは出てこない。
出勤が瑞香さんと同じタイミングだった。一緒にいる四人と、喫茶店に行っていたことを伝える。
「えー、みんなで行ってたのー? 呼んでよー」
「でも、一人あのザマだよ」
結葉を示す。息も絶え絶えの結葉に、瑞香さんは同情の顔であららと言っている。
「今日は浮草の破壊力がやばかった。店主さんも結構のってたし」
「行かなくてよかったかも」
瑞香さんも結葉ほどではないが、ああいう笑いに弱い。確実に腹筋にダメージを負うはずだ。
「そういえば、この間のチャンバラの動画ってどうしたの?」
「パソコンに保存してるよ。それも一緒にアップしておけばよかったね」
「暇になったらでいいよ」
一緒に事務所に入り、挨拶をする。みんなの声が響いた。
「そうだ。糸遊と凌乃があのチャンバラセットを、レッスン場に欲しいってさ」
「あれ意外と高かったはずよ」
「調べたんだ」
「え、うん。そうね」
瑞香さんの歯切れが悪い。何か知っているのか、元ヤン疑惑の過去が絡んでいるのか。
「何よー?」
「いや、いくらするんだろうなって思って」
「パソコンで見てみましょ」
専門店みたいなものがあるらしく、調べてみると一人分の一式で数万円の値段だった。しかも、武器の種類が豊富にある。
かなり欲しくなった。
私と瑞香さんがパソコンを見ていると、面白いものを探していた木蓮さんが絡んできた。
「お買い物ー?」
「チャンバラセット」
「ちゃんばらぁ? 何それー?」
木蓮さんは疑惑の眼差しで画面を覗きこんだ。桜蓮から聞いていないのだろうか。
「ちょうどいいからはい、これがその時の動画」
「どれどれー」
瑞香さんが開いた動画を再生させ、木蓮さんが座って腕を組んだ。動画の尺は十分以上ある。
「おー、結構迫力あるねぇ」
「でしょ? この日のベストバウトは連理ちゃんと糸遊ちゃんだって、瓦先生も言ってたよ」
「そうなの? あの時は撮ってなかったよね」
「そうなのよねぇ。もったいないことした」
頷きながら木蓮さんが呟く。
「桜蓮もこれに行ってたんだね」
「うん。剣戟の訓練の見学と思ったらこの日はこれだった」
「帰ってきて機嫌よさそうだったんだよ。ありがとねー」
木蓮さんに頭を撫でられた。ちょっと得した気分だ。
「それで、このお値段というわけか。経費で落とすのは難しそうだね」
複数で乱戦する目的もあるし、できれば最低四セットは欲しい。都度付け外しするのは面倒だし、どうせなら人数分……最大何人やるかな。最初は最低四セット、必要に応じて追加購入もできれば嬉しい。
「私も購入は賛成なんだけど、お値段がねぇ」
「置くこと自体は、瑞香さんも賛成なんだ」
「内勤の方の運動にも使えそうでしょ? 何ならレンタルスタジオに置いて、集客にも使えるかもしれないし」
瑞香さんは色々考えてくれている。そうか、そういう視点もあったんだ。
「ていうか、レンタルスタジオってお客さんいるの?」
「実はこっそりいるのよ」
「うん。主に事務の人が対応してくれてるから、連理ちゃんが気づいてないだけ」
木蓮さんの言葉に反論できなかった。バイトだもんなぁ。本職の事務内容はからきしだ。
そういう出入りがあるのに気付かないくらい、私たちはちゃんとした環境で練習できているということでもある。改めて考えると、ありがたい話だ。
「それで、これ結論出そう?」
「無理でしょ」
「無理だと思う」
「だよねー」
私も欲しいとは思う。ただ絶対にいるかと言われるとそうでもないし、レッスンがチャンバラだらけになったら大変だ。チャンバラアイドルになる道を考えることになる。
いや、それも売れる道なのか? 可能性は……なさそうだ。
瑞香さんはスポーツチャンバラの動画を漁りはじめた。説得材料になるものを探してくれるのだろう。
自然と木蓮さんとの会話になる。
「うちってアイドル事務所なんだよね?」
「まあ、レンタルスタジオ業含めてだけど」
「地元のチャンバラ大会とか、主催しても意味なさそうだもんなぁ」
「面白そうだね」
「そう?」
意外な反応に戸惑ってしまう。
「集客的な意味でいいと思うよ。主催の団体が禁止してなければだけど」
「集客ってのは?」
「『アイドルと殴り合えるアイドル事務所』みたいなキャッチコピーを作るとか」
「それ、アイドル好きで来るの?」
「来ないか」
あははーと笑う木蓮さんは、本気なんだかどうなんだかよくわからない。
「そういうのも含めて、亜嵐さんに相談してみるのもいいんじゃない?」
「糸遊とか凌乃は、チャンバラばかりしたがるんじゃないかって不安もあるんだよね」
「それは信用してなさすぎ」
気にしすぎか。そうだよなぁ、アイドルになりたくて私のところにいるんだ。チャンバラ楽しいからアイドルはやらない、なんてことにはならないか。
「それより、その荷物何?」
「秘密」
「バイトの癖に」
「バイトにもプライバシーくらいありますー」
「プライバシーに関わるものを、職場に持って来ないでくださーい」
小学生のような言い合いに、そこら中で事務員さんたちが笑いだす。悪乗りしすぎた合図だ。
「これは一旦瑞香さんと相談したいものだから、木蓮さんは見なかったことにしてよ」
「そういうことなら見逃してあげよう」
「呼んだー?」
名前を出したら瑞香さんがすぐに反応する。相変わらず耳がいい。
「うん、ちょっと二人で相談したいことがあるんだよね」
「あらやだ、お化粧直さなくちゃ」
「そういうノリはお腹いっぱいだよ」
今日はこういう会話ばかりだ。その内、気疲れしてしまいそうだ。
レッスン場は既に四人が使っているので、予約のないレンタルスタジオに瑞香さんと移動した。
「おー、ほぼ一緒だ」
「そりゃそうでしょ。半分のスペースだけどね」
「上のフロアも?」
「あっちは同じ広さ。計三組に貸せるようになってるのよ」
二階の部分に、私たちが使っているレッスン場の半分の部屋が二つ。一つ上の階にレッスン場と同じ広さの部屋が二つあった。
知らなかった。入社して半年経っているのに、気にも留めなかった。
「それでお話というのは?」
どうやら警戒されているようだ。説明から入るより、見せた方が早いだろう。
「これわかる?」
「ダンスシューズ? にしては革靴っぽいけど」
「私も一回見学に行っただけなんだけどさ」
実際に履いて見せてみる。いや聞かせてみる。
四人にはもう少し隠しておきたくて、夜にこっそりテキストと動画で勉強した。その基礎ステップだけやってみせる。うーん、いい音だ。
「タップダンスかー。たまにやってるアイドルいるもんね」
「やっぱりいるんだ」
「ダンスはどれも、どこかのアイドルが取り入れてるよ」
「リンボーダンスも?」
「あれはテレビの企画くらいかも」
また話が脱線した。
「ということは、これを導入すること自体は賛成?」
「いいと思うけど、隠すほどのことでもないと思うよ。練習中に音で気が散ったら困るけど」
「横でカツンコツン音を出したらうるさいか」
「タイミング次第だね。どうせ、いつも音楽が流れてるしさ」
それもそうだ。踊りに合わせて、音楽が流れるか瑞香さんが手拍子をしていることが多い。
「じゃあ、わざわざ呼び出すまでもなかったね」
「それより、どうして始めようと思ったのか聞かせてよ」
糸遊と采女と見ていた番組でタップダンス、正確にはアイリッシュダンスのシーンがあって感動したこと。そしてタイミングよく、チラシがあったので見学に行ったこと。瑞香さんに伝えると興味を持ってくれた。
「動画もいくつか見たんだけれど、凄かったんだよ。音の統制っていうのかな? プロ集団だからこそだとは思うんだけれど」
「むしろ、それこそWildflowers向きじゃないの」
「そう?」
「全員が上手くできればだけどね」
そうなんだ。少人数で統制した音を出す、そういうのも面白いかもしれない。
「基礎練習は三か月くらい、週三でやれば身につくって聞いたよ」
「音感もよくなりそうだし、まずは練習に取り入れるくらいはいいと思う」
隠す必要もなかったので、事務所に戻りながら話を進めた。やっぱりこういうのは、采女が上手く踊れそうだという意見が揃う。
「今日は見せなくていいよ。どうせ、それしか靴ないんでしょ?」
「これも借りものだしね」
「テキストだけ見せてくれる?」
「うん」
ダンススクールで預かったテキストを瑞香さんに渡し、タップダンスシューズはナップザックにしまいこんだ。
事務所で木蓮さんにも報告したら、タップダンス経験者だという。Lotusで取り入れようとしたけれど、基本的に個の力を伸ばす方針だから話は立ち消えたらしい。
ということは、睡蓮に言ってもインパクトはなさそうだ。少しくらい驚かせてあげられると思ったんだけれど、ちょっと残念だ。
何にせよ、実戦レベルで使えなくては意味がない。しばらく一人で練習しようと、小さく決意した。




