23歳24_Invisible scars
道場から駅方面へ、ケーキのことを考えながらバイクを走らせた。
駅近辺のこじんまりとしたケーキ屋さんだ。たまに思いつきで立ち寄っては、一人でこっそり楽しんだり、サプライズでいくつか買って帰ることもある。
店に着いて、最初に目についたのは貼り紙だった。『クリスマスケーキ予約承ります』の貼り紙にバツ印がついている。意外と当日まで外さない店が多いのは、クリスマス直前から当日までの間は忙しいからだろうか。
予約を入れていたのでスムーズにケーキを受け取れた。内心ほくそ笑む。保護者の立場として、子供のためなんですという態度で堂々買い物できた。お店の人からすると、私の事情なんて気にもならないだろうけれど、それでも言い訳があるだけで心に余裕があった。
退店する際に大柄な男性客とすれ違った。チラリと店内を振り返ると、男性客は楽しそうにケーキを選んでいた。人目を気にすることなく、堂々としたものだった。
あれくらい堂々としていた方が清々しいだろう。今度から見習おうという気持ちになる。美味しいものを食べたい気持ちに嘘は吐けない。
さて帰ろう。ケーキを手に持ちバイクの前で立ち止まる。片手が埋まっていた。どうしよう。道場とケーキ屋への往復のことしか考えていなかった。ケーキを持ったままでは、バイクの運転はできない。
仕方ない、今日はバイクを置いて帰ろう。歩いて帰っても五分程度だ。
みんなと食べるケーキは美味しかった。歩きで持ち帰って正解だったと、ケーキを切り分ける時にひしひしと感じたものだ。
クリスマスが過ぎれば、もうすぐ瑞香さんの誕生日だ。普段は年齢いじりを嫌がる彼女だが、素直に祝う分には喜んでくれる。問題は、数日後には三十になる年明けがあるということ。変に刺激すると、年甲斐もなく不貞腐れて厄介だ。
久しぶりの動かない週末、テレビをザッピングして時間を潰した。つまらない。もぞもぞと起き出し、部屋に残っていた何冊かの本を並べた。将棋関連と大学のテキストばかりだ。
昔は小説も読んだものだ。最近は便利なもので、本を買わずともスマホで読める時代だ。パソコンでも連携して読むことができる。物を増やしたくない私にはありがたい技術だった。
ただ、将棋関連の本をパソコンやスマホで見ても頭に入らなかった。本の内容が悪いのではない。小説も薄っすらとしか内容を覚えていない。多分、画面で読むのに向いていないのだろう。
今日は自宅に誰もいない。さっき、結葉が出かけて行ったばかりだ。
朝回収した郵便物を確認する。大学からの卒業者宛ての広報が入っていた。どれどれと開いてみる。
形式的な挨拶や学校の活動は無視した。資格関係の話が目についた。学科免除でマッサージ資格の受講ができる。そんな案内を在学中もされた記憶があった。
馬鹿みたいに手足を痛めつけていた頃、より効率的な方法がないかと医学部を志望した。それだけで選んだ進学先だった。
結果として、今の仕事でも役立っている。学歴自慢もできる。悪くない選択だったと思う。
マッサージ資格の案内を見た。専門学校の通学は三年もかかるそうだ。学科免除の仕組みを見ると、案外空き時間を作れそうでもあった。少しだけ興味が湧く。
私の素人マッサージではなく、プロレベルの知識と技術を習得すれば様々な場面で役立つだろう。Wildflowersだけでなく、今後事務所に所属するアイドルたちのためにもなる。
入学条件は受験で、学力もある程度求められる。学科免除のアドバンテージがあっても準備期間は必要だ。四月の入学には間に合わないので、早くて来年度の受験になる。そんなに遠い時期まで覚えていたら、その時はまた考えよう。
続けてサークルの紹介コーナーを見た。将棋部、あったんだ。正直なところ、あまりいい成績ではなかった。私から近付いたこともなければ、誰かに教えを乞われたこともない。所属すらしていなかったのに、今更先輩面して近寄れるものでもない。
ダンスサークルの大会入賞の記事があった。こちらはなかなかのものだ。写真をしげしげと見ると、明らかに私より背の高い男女ばかり。やってられるか。卒業者向けの広報誌なんてこんなものだ。ゴミ箱に放り込んだ。大した暇潰しにもならない。
大きく伸びをすると、チラシの束から一枚がこぼれて落ちた。社会人向けのダンススクールのチラシだ。社交ダンスのチラシなら何度か目にしたことがある。
ふーん、タップダンスね。アイドルで取り入れているところはあるのだろうか。今のところは必要ないと思うけれど、ダンスはダンスだ。一応捨てずに、スーパーのチラシに重ねておいた。
瑞香さんの指導は的確だと思う。今の状況でわざわざ他のダンスを学びに行く必要性を感じなかった。別ジャンルのダンスを取り入れる機会があれば、誰かに相談した上でスクールを探せばいいだけだ。
退屈で誰かと話したくなった。うるさいテレビを切り、スマホを手に取った。
金井さんとしばらく話していないことを思いだす。土曜の昼前、旦那さんとの時間をお邪魔してしまうかもしれない。忙しかったら切ればいいだけだし、ちょっと声を聞きたくて電話をかけた。
「こんにちは金井さん」
『こんにちは連理ちゃん。もう金井じゃないんだけどね』
「今更変えられないよ。電話大丈夫だった?」
『うん。今ゆっくりしてたところ』
「久々に暇になってね。ちょっとお喋りしたくなっちゃった」
『だったらうちに来る?』
「出かけたくはない」
『アクティブな連理ちゃんにしては珍しいね』
アクティブだろうか? 将棋と学業だけの頃は、暇さえあれば研究していたので自覚がなかった。
「将棋の研究で、一週間近く引きこもってたこともあったよ」
『そうなんだ。そういう時、ご飯はどうしてたの?』
「栄養保存とか、パスタとかを大量に買い置きしてた」
『よくもまあ、そんな健康体でいられるね』
「いつかガタが来ちゃうかもね」
『縁起でもないこと言わないの』
くすくすと笑い合う。金井さんの声は電話越しでも心地よい。
「出産予定は春くらい?」
『ええ、二月頃になりそう』
「そのあとで結婚式だ」
『そうね。招待状送るからね』
「うん、楽しみにしてる」
『睡蓮さんとはどう? 仲よくしてる?』
「ああ、そうそう。一昨日、うちの事務所の見学に来たよ」
『凄いじゃない。何かあったの?』
「妹の桜蓮、知ってるよね」
『ええ』
「先日話す機会があってね、桜蓮がレッスン見学に来ることになって、睡蓮もついてきた」
『あの人はまた、自由奔放というか何というか』
「金井さんもそう思うんだ」
『だって、そういうところが好きでファンになったんだもの』
「ファンの八割くらい同じこと言いそう」
『私もそう思う』
睡蓮やバックダンサーのこと、今いる事務所のことなどでずいぶんと長話してしまった。
「そろそろ切ろうかな。母体に無理はさせられないし」
『もっとお話したかったのにー』
「また今度ね。誰かに伝えておくことある?」
『あえて言うなら連理ちゃん』
「私? なんでしょう?」
『頑張り過ぎないでね。連理ちゃん以上に頑張ってる人、睡蓮さんしか知らないから』
「睡蓮の方が上なんだ」
『ファンは盲目なの』
笑い合って電話を終えた。
いい気晴らしになった。ありがとう、デトックス金井さん。
ネットで将棋の情報を探ると、早指し大会の中継放送を見つけた。年末だというのに、いや年末だからこそイベントが盛り上がるのだろう。
パソコンを持って将棋盤の前に座る。どうせなら中継放送の棋譜を並べてみようと思った。
あれ、全然間に合わない。プロ同士の早指しに、手ではなく思考の方が追いついていなかった。
糸遊と時間制限なしの練習対局ばかりだったせいか、こういう早い展開についていけない。
マウスで将棋を指すのは得意ではない。しかし、少し瞬発力を鍛える目的で早指しの練習を始めることにした。
オンラインの十秒将棋を見つける。いいじゃないか。知識と直感がものを言うルールだ。
開始前に時計を見ると、ちょうどいいお昼時だった。まずは腹ごしらえ、練習はそれからでも遅くはない。
「ただいまー、何で電気点けないのー?」
急な糸遊の声と、電気の点灯ではっと顔を上げた。
「おかえり」
「調べもの?」
「ううん、ずっと将棋指してた」
「糸遊と一緒だ。連理ちゃんも来たらよかったのに」
「そうだね」
ちょうど負けたところだった。やはりミスが多い。やればやる程強豪と当たるから、勝率はどんどん落ちていった。
うーん、満喫した。こんなに長時間、将棋に熱中したのはいつ以来だろうか。
時計を見ると、五時間程ぶっ通しだった。ずっとパソコンの前にいたせいか、身体が強張っていることに気づいた。ストレッチで身体をほぐす。
「まあ、今日はゆっくり過ごすって決めてたからね。たまには出かけたくない日もあるのよ」
「それなら仕方ないね。連理ちゃんはいつも忙しくしすぎだもん」
「瑞香さんとダンスの研究をしている時は、割とのんびりよ」
「そうなんだ。お茶淹れるけど、飲む?」
「うん、ちょうだい」
糸遊の淹れるお茶のおこぼれに預かった。お昼以降、水しか口にしていなかったので、じわっと身体と心に染みた。
「甘いものが欲しくなるなぁ」
「たくあんならあるよ」
「ちょっとちょうだい」
「はーい」
お茶とたくあん、これはご飯が欲しくなる。
いやいや、そうじゃないんだよ。もっとお菓子的なものがいい。
昨日のケーキはみんなでぺろりと平らげていた。二日連続でデザートというのもよろしくない。運動もしていないことだし、今日くらいは我慢しよう。
それに、晩御飯の準備にはいい時間だった。他の三人も帰ってから食べるだろうし、冷蔵庫の中身を見ながら献立を考えた。
糸遊は将棋盤の前へ座り、将棋盤と駒の乾拭きをしている。丁寧に扱ってくれて嬉しく思う。
「糸遊は夜、何食べたい?」
「んー、ラーメン!」
「それ以外で」
「えー? じゃあそうだなぁ。何でもいいや」
「じゃあ、お鍋にしようか。締めに麺を入れればいいでしょ?」
「うん!」
鍋なら準備も簡単だ。冷凍の中華麺もあることだし、のんびりと過ごした一日の締めにはちょうどいい手抜き料理ができそうだ。
「たっだいまー」
「ただいまー」
凌乃の声に続き、采女も声を出しながらリビングに入ってくる。おかえりと声をかけるが、二人の会話は止まらなかった。
「采ちゃんは本当に歌がお上手」
「凌乃ちゃんもなかなかでしてよ」
変な会話をしている。カラオケに行くと聞いていたし、盛り上がってテンションもおかしくなったのだろう。
「お、鍋だ。いいねー、あったまるねー」
「この匂いは豚だね」
「采ちゃんは匂いで肉の種類までわかるんだ」
「勘に決まってるでしょ」
「違ったらデコピンしてたよ」
「暴力反対」
この二人は脊髄で会話しているようだ。
「連理ちゃんコップ取ってー」
「はいはい、凌乃も?」
「うん。あたしも冷たいお茶」
二人にお茶を渡しながら問いかける。
「カラオケは二人で行ったの?」
「いやー、学校の友だち。采ちゃんがゲスト枠」
「うね様って呼ばせようとしたら、ねめちゃんって呼ばれちゃった」
「だってあんた、様ってキャラじゃないもん」
「何ですとー?」
「はいはい、そこ鍋置くからね」
凌乃が糸遊に絡みに行く。采女が座る目の前に、ずしりと重みのある鍋を置いた。
往復して取り皿を運びながら采女に尋ねる。
「結葉はどうするのかな。知ってる?」
「さっき見たよ。そうだ、友だちとご飯食べて帰るって伝言頼まれたんだ」
「先に言いなさいよ」
「さーせん」
解凍した麺を鍋の脇に置き、晩ご飯の準備が整った。
「へー今日麺なんだ」
「糸遊がラーメン食べたいって言うから」
「いいね」
食事の前に結葉にメッセージを送っておいた。伝言は聞いたから、気をつけて帰ってねと。
食事を取りながら話していると、凌乃から相談があった。この間のスポーツチャンバラの道具を、レッスン場に置いて練習で使いたいそうだ。糸遊も欲しそうな顔で見つめてくる。
「んー、わかった。話してみる。瑞香さんと亜嵐さん次第になるなぁ」
「おっしゃー!」
「まだ決まったわけじゃないよ」
「連理さんが説得すれば大丈夫でしょ」
「そう簡単じゃないよ。あんまり期待しないでね」
そろそろ麺を入れよう。肉も野菜も、粗方食べてしまった。
食後のお茶を飲みながら、四人の雑談の時間は続く。
采女と糸遊が別の話をしているので、私の相手は凌乃だった。
「そういえば、チャンバラに行った時の動画、まだ見てなかったなぁ」
「あー、瑞香さんが撮ってたやつ? あたしが太もも引っぱたかれた」
「そうそう、それだけじゃないけれど。あの練習風景なら、もしかすると説得材料になるかもしれないし。一度見ておきたいでしょ?」
「連理さん、大人みたいなこと言うね」
「知らなかったの?」
「マブダチみたいに思ってた」
それはそれで嬉しい評価だ。ただ、私から見た凌乃はマブダチというより悪友感が強い。
「糸遊はー?」
「糸ちゃんはそうだね。可愛い妹」
「采女はー?」
糸遊の真似をする采女を、凌乃が真顔で見つめた。
「可愛くない方の妹」
「ぐれてやる」
思わず口を挟んでしまう。
「それだけは本当にやめてよね」
追試を受けるくらい、采女の成績は一番危ういのだ。
「凌乃は大学決めたの?」
「連理ちゃんみたいな頭があれば、同じとこ目指したんだけどなぁ。今の所は体育大学かな」
「ほな、私はここらで……」
「こら。大事な進路相談なんだから、采女も逃げないの」
「えー? だってアイドルとして売れたら、高校やめてもいいって思ってるし」
「そういう考えは、本当に追い詰められた時だけにしときなさい」
「だって、凌乃ちゃんが卒業したら学校つまんなくなっちゃうし」
たまに見せる采女の本音。いつも周囲を困らせているのは、采女なりの寂しさの裏返しだ。
「もーこいつ、可愛い奴め!」
凌乃が思いきり采女を抱きしめ、髪を、顔を滅茶苦茶に撫でまわした。二人ともちょっと泣きそうな表情だった。
「わかった、わかったってもう」
「約束する。卒業しても、采ちゃんとカラオケでも何でも毎週行ってやる!」
「それより留年してくれたら嬉しいな」
「まーたそんなこと言ってー!」
キャッキャといちゃつく二人を、糸遊も優しい目で見ていた。私と同じ気持ちなのだろう。
「じゃあ、糸遊が采女ちゃんと一緒にいてあげる」
「うん?」
「糸ちゃんが?」
「二人と同じ高校行くよ。最後に残るのは糸遊だから、采女ちゃんはずっと寂しくないよ」
糸遊は本当に優しい子だ。にこりと笑いかける糸遊に、今度こそ本当に采女の目に涙が浮かんでいた。
「本当? じゃ、また一緒に学校行けるんだね!」
「そうだよ。この一年は凌乃ちゃんが繋いでくれたけど、来年は去年までと一緒。ううん、来年が一番楽しくなるよ」
三人一緒だねと笑う糸遊に、凌乃と采女が飛びついた。
いいなぁ。本当に羨ましい。私の経験したことのない、親しい人との学校生活。いや、きっとそれ以上になるだろう。
「そうなると、最後に糸ちゃんが一人になっちゃうね」
「大丈夫だよ。糸遊は強いから」
お決まりのセリフだ。そして糸遊は言葉を続ける。
「糸遊がみんなのしんがりを務めてあげる」
どこぞの武将のような言葉だけれど、糸遊が言うと妙にしっくりときた。
共同生活が終わって、学校もバラバラになってしまうと、当然みんな寂しい思いをする。
何より、一年ずつの年齢差が残酷だった。一人ずつ離れていく感覚は、仕方ないとわかっていても寂しいものだろう。
結葉には、そうなってもいい覚悟があった。それよりも自分のやりたい道を選び、凌乃とは違う学校に進んだ。学力的にも采女には厳しい高校を選んだので、いずれ離れることはわかっていたはずだ。
自分のやりたいことを学ぶ。仲のいい誰かと学校を選ぶのではなく、同じ勉強する仲間と仲よくなる道だ。私のように、他に選択肢がなくて将棋一本に絞ったのとは違う。もっと優しい環境を選べたのに、自分から厳しい道を選んだ。
もしかすると、中学で同じ学校に行く友だちがいたのかもしれない。それでもいい。今の学校の友だちはそれだけではないはずだ。
精神的な自立は真っ先に結葉が果たしていた。結果として一番手のかからない子になり、事後報告で相談し、一緒に笑い合える仲になった。
レッスンの終わりに一人だけ時間がズレて、寂しくないか尋ねたこともある。
「多分私がやってることは、みんなのお手伝いになることだよ。だから、寂しくないかな。連理ちゃんとは別のところでみんなを助けてあげたいしね」
被服科のデザイン職を志望する結葉は、自身の体型で悩んだ時期がある。もしかすると、そういう心配を他の子がしなくていいように先のことを考えているのかもしれない。
目の前の三人も仲よく楽しくやっているが、いずれバラバラになることを察している。
その時、先に外の世界を知っている結葉がいてくれれば、きっと相談に乗ってくれることだろう。




