23歳23_Invisible scars
じっと見ていた糸遊に手招きした。座って見ていた糸遊は、自信満々の様子で歩いてくる。
「あれに似た動き知ってる?」
「知ってるよ。あんなに速くないけど」
「できる?」
「うーん、裸足になっていい?」
裸足か。私が道場主に教わった時や、瓦先生に見せた時も裸足だった。
「いいよ、やってみて」
竹刀がある想定なのだろう。背筋が伸びた状態で、糸遊の手が軽く前にかざされている。
何度か深呼吸をしている。目を閉じ、ゆっくり、ゆったりと。
私たちを見ていた時から集中していたのだろう。数回の深呼吸で糸遊が整った。片足の踵が浮いている。
スッと前を見る。相手がいる想定のようだ。少しだけ右斜めの方向に、糸遊が跳ねるように前に進んだ。
また歓声が上がる。私も思わず拍手した。思わぬ歓声に、糸遊はえへへと照れた。
「どう? できてた?」
「ばっちりと思う。瑞香さん、撮ってたよね?」
「ええ。どうせだし、モニターで見比べようか」
壁掛けのモニターに瑞香さんがカメラを繋いだ。
最初は私の動きが映される。踏み込んだ直後、一瞬間があったように見えた。溜めの意識が残っていたせいか、少しばかりのフェイントに見えた。
次に糸遊の動きだ。既に踏み込んでいる状態から、足の力をスムーズに伝えてスタートしたように見えた。最短距離を進む動きだ。
違いはあるけれど、基本は同じ動作に見えた。私の方が溜めがある分距離は稼げる。糸遊の方が時間を凝縮したような、コンパクトな動きだった。
妙な勉強会が終わった。
結葉と采女は首を傾げている。クリエイティブ志向の強い二人には、あまり実感が湧かない内容だったようだ。
浮草と桜蓮は納得顔になっている。比較した動画の、細かい違いを確認し合っている。瑞香さんも動画を再生しながら会話に参加していた。
時計を見上げると、休憩時間どころか、もう開始の挨拶から二時間近く経っていた。
「あ、時間」
瑞香さんは軽く流してモニターに顔を戻した。レッスン場の仕切りは瑞香さんに一任されているものの、木蓮さんと亜嵐さんもいることだし確認のために顔を向けた。
「こういうのもたまにはいいだろう。急いでやることもない時期だからな」
「そうそう。今後、何が役に立つかわかんないからね」
「役に立ちそうかな」
後押ししてくれるような木蓮さんの言い方に、期待を込めて顔を向けた。
「ステージ以外の場所でならね。今のところは」
私も無駄だと思っていなかった。思いたくないということもあるけれど、ライブ以外なら剣戟とか、ライブをするためのレッスンのための稽古とか。考えれば考えるほど、何にでも使えそうに思えてくる。
考えながらレッスン場を見回すと、糸遊と凌乃が睡蓮に何かリクエストしている。睡蓮が応じ、綺麗な側転を披露した。
二人も挑戦して、足をついた。手に力が伝わっていなかったようで、それを睡蓮が指摘している。
凌乃が再び挑戦し、不格好ながらも成功した。糸遊もできたけれど、着地が流れた。
瑞香さんがモニターの電源を落として話しかけてくる。
「どう? 今日の感想は?」
「まだ終わってないでしょ」
「濃密な時間だったし、もういいんじゃない? あっちも仲よくなってるし」
浮草中心で采女と結葉、そして桜蓮が談笑している。浮草はあの三人と色々と接点があるからか、自然と場を繋いでくれていた。
「そうだ、さっきの動画だけどスマホに送れる?」
「一旦パソコンに落とせば送れるけど、割と容量大きいよ」
「そうなんだ」
高画質カメラゆえの宿命だった。こういうこともあるので、スマホで同時撮影をする人もいるのだろう。
「プライベートドライブにアップして、URL送ろうか?」
「あ、いいねそれ。あとでお願い」
「匠さんにも送ってあーげよ」
「やめてね」
師匠に送るのは本当にやめてほしい。絶対、変なメッセージが飛んでくる。
しかも、瑞香さんは師匠を名前呼びだ。悪寒がした。
そろそろ解散になりそうな雰囲気の中、瑞香さんが仕切り直した。
「はいはい、身体冷やさないようにねー。ちょっとみんな動こうか」
もう見ることはないと判断したらしく、亜嵐さんと木蓮さんは退室していった。
ランダムで四人ずつに別れ、基本的なステップを見学し合った。変なところがあれば指摘する。そんな流れを何度か繰り返した。
やはり睡蓮は圧倒的だった。全然指摘する所がない。遠慮して言えないのではなく、本当に言えるところがない。
浮草と桜蓮も高水準だ。レベルの高さを感じた。
私は袋叩きにあった。観察していたメンツに偏りがあったせいだ。
睡蓮に浮草、そして桜蓮に采女。今いる八人で、ダンスの技術においては上半分の四人だ。順番に感想が告げられる。
「可愛い、持って帰りたい」
「表情が硬い、背が小さい」
「音のインプットが甘い。キレを意識しすぎ」
「色気でごまかしてる、えろい」
桜蓮以外、まともなアドバイスがなかった。
クールダウンして解散になる頃には、全員で一つのグループのような雰囲気になっていた。
さすがに一度に更衣室を使うのは手狭だったので、三人だけ廊下で待機する。普通ゲストに先に使わせるべきだろうに、私と一緒に待つ睡蓮と桜蓮はリラックスして待っていた。
「お二人さん、どうだった?」
「もうずっとここに居てもいいと思ったよ。みんな可愛いね」
「凄く参考になりました。さっきの動画も欲しいですね」
「並んで話してるの初めて見るけれど、性格違うんだね」
「そうですか?」
「普通だよね?」
二人が顔を見合わせている。以前はちょっと問題があったという話もあったのに、ずいぶん仲のいい雰囲気だ。
「動画については、あとで瑞香さんが用意してくれるよ。プライベートドライブって言ってたから、動画サイトとかじゃないけど」
「うん。そういうのは上げない方がいいからね」
「色々ありますからね」
二人も頷いている。
「その、桜蓮の中間立場の敬語、面倒じゃない?」
私も長いこと経験してきた煩わしさだ。
「うぅ、それは感じてました」
「やめたらいいじゃん。私なんて、年上の連理ちゃんにもずーっとこんなんだし」
「睡蓮は敬意を集める側だもんね」
「そういうこと」
「そこは『そんなことないよぉー』とか言うところだよ」
「連理ちゃんのそういう声珍しい。もっと甘えてみて」
演技のつもりが、変に媚びた声が出た。急に恥ずかしくなって、睡蓮を無視した。
「まあ、慣らしていきます。いくね?」
「ぎこちないなぁ。普段からもっと私に甘えなさーい」
睡蓮が桜蓮の顔をむにむにし始めた。
食事でもと言いたかったけれど、学生陣は明日も学校がある。私たちも一応出勤義務があった。
動画のURLは、近日中に私の方から睡蓮と桜蓮に送るということで決まり、二人は木蓮さんの車で帰っていった。
事務所前で浮草とも別れ、いつものように五人で帰路に着く。もうすぐクリスマスだ。
「凌乃ー」
「あーい」
呼んだらすぐに来てくれる。まるで忠犬だ。
「お寺さんの予約、やっぱりこの時期だから難しいと思うんだよね。一月末くらいになりそうだけれど、急ぎで行きたい?」
「焦ってないし、いつでもいいよ。駄目で元々だし、今週末とか聞いてみたら?」
「それでもいいんだけどね。ただ、私は最近、土日ずっと出かけてたからちょっと休みたいなーって」
「ああ、そっか。ごめん、連理さんタフだから、疲れ知らずと思ってた」
悪気はないようで、気遣う素振りがありがたかった。
「そういうわけで、今週末はゆっくり過ごすつもり」
「クリスマスだしねー」
「あんなもの何がいいのやら」
「ケーキ!」
「それだけでしょ?」
言われてケーキを食べたくなった。まだ八時過ぎだし、開いているお店はありそうだ。
「あたしも興味ない派だけど。これで浮かれる子はあんまり周囲にいないんだよねぇ」
「学校でも?」
「こっそり彼氏持ちな子はいるみたいだけど、あんまりそういう話はしないからね」
「へー」
凌乃の学校の話を聞きながら、そういうことに浮かれそうな人を考える。瑞香さんしかいなかった。
翌日金曜日のレッスンが終わり、書類仕事もやり残しがないことを確認した。ようやく週末だ。
明日からの休みを堪能するため、今日は道場主に報告して気持ちをすっきりさせておきたかった。事前に連絡し、アポ取りもばっちりだ。
移動を楽にするため、今日はバイクで通勤していた。
そして、少し早いクリスマスケーキを注文してある。道場主とのお話のあと、受け取りに行って四人を喜ばせてあげるつもりだった。
「ご無沙汰しております」
「いらっしゃい。どうぞ」
「はい」
いつもの挨拶をする。今回は、報告を兼ねた軽い相談だ。
「今日は見ていただきたいものがありまして」
「ほうほう。楽しみだ」
この人の周りは、時間がゆっくりと流れているようだ。話し方のせいなのかな。緊張感はあるのに、凄く落ちつく気持ちになる。
動画をスマホで開いた。画面は小さいけれど、元の撮影画質が高かったので鮮明に映っている。
『千振糸遊』『はい!』
違う。この動画じゃない。
「すみません、間違えました」
「それも見せてほしいね」
「えっと、あー、あの、はい……」
道場主は悪戯っぽく笑っている。渋々再生ボタンをタップした。
ほんの二分にも満たない、盤駒譲渡の儀式を盗撮された動画だ。
巡り巡って、師匠経由で送り付けられた、とてもとても恥ずかしい動画だった。
「いい動画だね」
「盗撮されたものです」
「それでも消していないということは、大事に思っている証拠じゃないかな」
敵わないなぁ。もう認めるしかないじゃないか。
「そうですね」
「そのデータをもらってもいいかな」
「こんなものをですか?」
「参考にする時が来るかもしれないからね」
こんなものが参考になるのだろうか。確かに私としては、会心の決意でやったことだった。
仕方ない、ここは従おう。大袈裟に嫌がるほどのことでもない。
「こちらのパソコンに繋いで、はいケーブル」
「どうせなら、今日の本命動画もそちらで見ませんか?」
「そうだね。こっちで見よう」
そこそこの大音量で、さっきの動画が流れる。
「あの、それはもう……」
「そうかい? ではこちらだね」
時折悪戯好きな一面を覗かせる人だ。脈絡がない分心臓に悪い。
瑞香さんから教えてもらい、URLからダウンロードした動画ファイル。結構な容量だったので、睡蓮と桜蓮にはURLだけ伝えておいた。
「先日、剣戟の訓練場にお世話になりまして、スポーツチャンバラをしていた際にこの動きができたようです」
「うん」
道場主はじっと動画を見ている。
ふむとかうんとか呟き、動画を二つ並べて再生する。片方は後半からの糸遊の動きにシークバーを合わせ、左右同時に見れるようにしてくれた。
ずいぶんと手慣れている。改めてどういう経歴がある人なのか知りたくなった。
「君の動きはそうだね、悪く言えば邪道かな」
「邪道ですか」
「うん。素直な気持ちを伝えるなら、いいオリジナルだ」
「よかった」
「そしてこちらの糸遊さんの方は、ほぼ正統派と言ってもいいね。現代流の最速を目指していると思う」
「現代流ですか」
「そう教えられてきたんだろうね。古いから正しい、新しいから悪いというものではない」
「わかる気がします」
「そして糸遊さんは、恐らくだけど、習った以上のことをやろうとして制限されてきたんだね」
どう答えたらいいのかわからない。道場主は構わず続けた。
「元々、能力の高い子だ。本質的な何かを持っていると思うよ。同時にいくつもやろうとして、上手くいかない時期もあっただろう。今はきっと、色々とできるようになって楽しくて仕方ない時期だろうね」
「そういう印象は私も持っています」
「君も鋭いし賢い。けれど、糸遊さんに敵わないと思うことがあるんじゃないかな」
「そうですね」
「制限されたことや、まだ幼かった時期から解放されて、この子はどこまでも伸びると思うよ」
「ありがとうございます」
道場主のお墨付きだ。これほど頼りになる言葉はなかなかない。
「話を戻そう。君の動きについてだ」
「はい」
「さっきも言ったように、新しい・オリジナル・邪道は悪いものではないと思う。今回、あの本を参考にそこまで辿り着いた。結果として、オリジナルになるのは仕方のないことだ」
「他の結果もあったんですかね」
「いっぱいあると思うよ。人の数だけ違う。だから、自分と同じだと思わないようにすることが大事だ。逆も然りだね」
どこかで聞いた言葉だ。いつだったか……そうだ。采女を預かる前に師匠から言われた言葉だ。
「自分と他人を比べるなということでしょうか」
「そういう解釈もあるね」
ふむふむ。少し聞いてもらおう。
「あの子たちを預かる時なのですが、事前に将棋の師匠に相談したことがあるんです」
「ほう」
「師匠は『自分と比べちゃいけない』ってアドバイスしてくれました」
「いいお師匠さんだね」
「偏屈な人ですが」
「それも誰かと比べての感想じゃないかな?」
悪戯っぽく笑われた。そうですねと、つい頷いてしまう。
「これから伝えることは、誰かと比べる必要のないことだ。忘れてしまってもいいし、上手く使ってくれてもいい」
「はい」
「外に出よう」
板張りの道場に出た。以前、踏み込みを教わった場所だ。
「まずは君の動き」
強い踏み込みのあと、動画の私とほぼ同じ距離をすっと動いた。私の時のような溜めがなく、とても滑らかな動きだった。
「そしてこれが、剣道以前の動き」
妙に腰を落とした構えだった。そのまま、スッスッスッと歩くような動作だ。意識して比べなければ、少し早歩きなだけのように見えた。
「溜めがいらない動きだから楽に使える。もし剣戟をやるのなら、現場に詳しい人がいると思うよ」
「何があったのかよくわかりませんでした」
「体重を上手く使い、前傾姿勢で推進力に変える。君のやった溜めを抜きにして、一歩一歩に分散するイメージだね」
「やってみてもいいですか」
「転ばないようにね」
道場主は腰を落としていた。真似して腰を落とし、力まないように気をつける。少しずつ身体を前にして、重心がずれたように感じたところで足を動かした。
上手く足が運べない。溜めのある動きで癖がついてしまったのだろうか。
「どこでもできるからね。気が向いたら練習するといいよ」
「ありがとうございます」
「他に質問は?」
「ではもう一つ。さっきの動画で、私は手を前に出していました。その時は進む距離が伸びたのですが、身体が浮く感覚はありませんでした」
「ほう」
「手を構えずにやった時は、どこか身体が浮くような感覚がありました。どちらがいい、悪いなどはありますか?」
「どちらも悪くはないよ。強いて言えば、好きな感覚を選びなさい」
「好きな感覚」
「そう。繰り返して、自分の中でだけ比較して、いいと思ったものを取り入れる。それだけでいいよ」
「わかりました」
抽象的に聞こえたけれど、腑に落ちた感覚はあった。
帰りの準備が整い頭を下げようとすると、道場主が笑っていた。
「どうかしましたか?」
「いや、最初の動画を思いだしてね」
「忘れてください」
「できない相談だ」
諦めて笑って返した。どうせデータは渡してしまっているし、今更どうということはない。
「では、失礼いたします」
「またおいで」
「はい。ありがとうございました」
くそー、動画はURLのまま開くんだった。




