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23歳22_Invisible scars

 ここ最近は毎週末出かけている。そのせいか、疲労が抜けきれないようで、週の頭はぼーっとする時間が多かった。

 出勤前にいつもの純喫茶に立ち寄り、コーヒーで頭を覚醒させる。浮草は本格的にパントマイムでもやるつもりなのか、色んなポーズを試していた。

「五十点、七十点、七十五点、十点」

 なかなかに厳しい採点だ。店主の採点に浮草が不満の声をあげる。

 まだ私以外にお客さんがいないからだろう。店主も採点して遊んでいた。

 のんびりとした空気の店内に、パントマイムをしてくれる店員がいる。お得なお店だ。

「ちょっとぉーお客さん、タダで見てもらっちゃあ困りますねぇ」

「お金取るんだ」

 絡んできた浮草をじっと見つめて言うと、店主が浮草に冷たく言い放つ。

「別にいいよ。浮草はちゃんと働け」

「せめて追加注文してもらわないとぉー」

「前言撤回」

 店主の現金な合いの手に思わず苦笑が漏れる。もう、そういう商売なんだろうか。

 店主のこだわりでコーヒーは持ち帰れないけれど、スイーツなら大丈夫なシステムになっている。そういうことで、ロールケーキを丸ごと一本注文した。事務員さんたちとおやつにいただこう。

 明後日でようやく休みだ。仕事らしい仕事はそれほどしていないけれど、日々レッスンがあるので休みが恋しくなっていた。

 ロールケーキの包みを手に会計を済ませ、店のドアを開けて伸びを一つ。店内から送り出す声が聞こえる。

「毎度どーもねーまた寄ってってー」

「市場じゃないんだよ」

 お見送りのパターンが変わっていた。


 年末が近いというのに、我らが亜嵐コーポレーションは緩い空気の時期に入っていた。

 ロケもライブも片付いた状態で、事務員さんたちも一息ついているタイミングだ。

「おは連理ちゃーん」

「はーい」

 木蓮さんのふざけた挨拶に雑に返す。一々突っ込んでいたらキリがない。

「桜蓮今日見学に来るってさ。誘ってくれたんだってね」

「主に凌乃がね」

「そんでさ、見学者用の入室マニュアルどこだっけ?」

「棚にあると思うよ」

 事務机の群れから離れた一角を指さす先に、資料が詰まったキャビネットがあった。バイト扱いになり、そういう下仕事は私の担当だ。

「あー、多分わかりにくいかも。やっぱり取ってくる」

 サンキューという木蓮さんの声を背に立ち上がる。そういえば、見学者として人が来るのは初めてのはずだ。

 設立から七か月が経ち、Wildflowersと浮草のデビューからも半年が経過した。それぞれのライブの出来は悪くないのに、そういう見学依頼は全然来ていない。

 単に募集していないだけか、亜嵐さんがストップをかけているのか。どちらにせよ、私が個別に誘うような相手はいなかった。

 キャビネットを開き、同じようなファイルを見比べる。あったあった。セキュリティカードの認証もチェックした方がよさそうだ。事務所と更衣室のある区画に入る際、セキュリティチェックが必要になる。

 普段は顔認証かパス入力で入れるところ、ストラップ状のカードをかざした。動作に問題はなかったので、改めて事務所に入った。

「はい、カードも問題なかったよ」

「わざわざありがとねー」

「見終わったら、あそこの空いてるところ。ファイル片付けといてね」

「あそこって、あーあれね。よく見えるね」

 木蓮さんは少し目を細めて見ている。そんなに分かりづらいだろうか。

「木蓮さん目悪いの?」

「普通見えなくない?」

 近場の事務員さんにも確かめた。

「よーく見ると、確かに隙間があるのがわかりますね。ぱっと見じゃ難しいですよ」

「そうなんだ」

 私の視力は昔からずっと二・〇。人よりいいのは知っていた。

「ちょっと自慢できそう」

「誰に何をよ」

 木蓮さんの突っ込みに、自分の目を示した。誰に自慢すればいいのか、言われるとわからなくなる。

「本当、連理さんは可愛いですね」

 金井さんのような雰囲気の事務員さんに笑われる。そんなに変だろうか。

 今日は瑞香さんがいない。いつもなら一言二言あってもいいのに、物足りない気分になった。

 一人でレッスン場にいても寂しいので、こうやって事務室に居座っていた。


 お昼過ぎにお土産のロールケーキを切り分けた。二人いる男性社員も、甘いものは大好きだそうだ。

 亜嵐さんの人材発掘はアイドルに留まらない。マネージャー候補や優秀な事務員も、全て亜嵐さんの手で引っ張られてきた。

 コーヒーは一日一杯までと決めている。しかし、ロールケーキの誘惑に抗えず、本日二杯目のコーヒーに手を伸ばした。

 エスプレッソマシーンのコーヒーも悪くない。悪くないけれど、やはりあのお店の味を覚えてしまうと味気なく感じた。


 おやつを食べ終えて夕方まで緩く過ごし、夕方になる前に着替えに立ち上がる。

 暇潰しに弊社サイトをチェックした限りでは、見学申し込みの項目はなかった。亜嵐さんは相変わらずいないし、今度聞いてみよう。

 着替え終えて更衣室から出ると、瑞香さんとぶつかりかけた。ぶつからないように避けようとすると、逆に通せんぼされて捕まってしまう。

「つっかまえた」

「見えないよー」

 頭をホールドされ、上を向く形で瑞香さんと目が合った。

「今から上に行くの?」

「うん」

「待ってて、すぐ着替えるから」

「先に行ってるね」

「こらー」

 噛み合わない会話ではなく、噛み合わせない会話を楽しむ。瑞香さんをからかうのは楽しい。


 レッスン場は少し冷えた。動いていればすぐに暑くなるし、暖房はいらないだろう。

 しかし、桜蓮が本当に見学に来るとは思わなかった。

 柔軟をしつつ鏡を見る。以前より可動域は広がっているようだ。大きく見せる動きも、少しずつよくなっている。

 そういえばあの踏み込み、ここではまだ試していなかった。

 レッスン用のシューズでもできるだろうか。あの時の感覚を思いだしながら、踏み込んでみる。

 シューズが床とぶつかる音が響いた。普通に踏んだ時と同じような音しかしない。失敗だ。

 型をしたあとの、お腹の熱を意識した。この状態で、踏み込む。

 感触はあった。でも、まだ足りない。意識するだけでなく、ちゃんと身体の準備ができていなければならないようだ。

 やっぱり、しっかり型をやってからがいいみたいだ。ただ、凌乃を打ち抜いた時は型をしていなかった。

 集中力かな。そんなに簡単に集中のオンオフは切り替えられない。やっぱり型だろうか。身体の芯を温めつつ、集中力が高まるルーティンワークだ。

 鏡の前で、目を少しだけ開けて型を通してみる。ドアが開いたのがわかった。瑞香さんがこちらを見て待っている。邪魔をしないよう配慮してくれているのがわかった。ありがたい。

 うん。熱を感じる。お腹は温かく、頭は冷静だ。この状態で真っすぐに立ち、踏み込む。

 大きな音はしなかった。下に力が抜ける感覚が、足から全身へ伝わってきた。

 もう一回。今度は逆の足でやってみた。少し弱いけれど、一応はできていた。元の足でもう一度踏み込み、反動を使って、前へ。

 身体が少しだけ浮いたような錯覚に陥る。勢いに逆らわず、数歩進んだ。これだ、この感覚。凌乃を相手にした時と同じだ。

「すっごいねそれ。前やってたやつだ」

「うん。コツ掴んだかも」

「一つ問題があるけどね」

「え? 何か悪いところあった?」

「いや、速すぎて見えないから、ダンスに使えない」

 それもそうだと二人で笑った。そうだ、私たちはダンスのレッスンをしに来ていたんだ。


 凌乃と糸遊がやってきた。浮草も続いて入室する。浮草は最近、伸びてきた髪を気にしてアップにしていた。

 その浮草と目が合い、口を開いた。

「ロールケーキ美味しかったよ」

「毎度アリね。いつもアリガトね」

 シェーシェーシェーシェー言っている。どういうキャラなんだ?

「最近髪気にしてるよね? 切らないの?」

「切りたいんだけどさ、年末で美容室が取れないの」

 話題が変わると声のトーンも変わる。本当に面白い子だ。

「今日桜蓮が来るんだって」

「下で聞いたよ。来て何になるんだかね」

「見学だし、気楽に見てもらえばいいんじゃない?」

 凌乃と糸遊を眺めながら話す。二人は背中合わせでストレッチをしていた。身体を伸ばすのが気持ちいいのだろう、声にならない声をあげている。絶対に男の人の前で出さないでほしい声だ。

 浮草のストレッチは一人で進む。開脚前屈で、背中を押す時だけ手伝った。

 今いる全員で簡単にステップを確認していると、すぐに結葉と采女もやってきた。

 采女にしては遅い時間なので声をかける

「珍しいね。何かあったの?」

「追試受けてた」

「ちゃんと勉強しなさいよ」

「へいへい」

 身内の会話をしていると、レッスン場の内線が鳴った。瑞香さんが応答するとすぐに出て行く。

 見学といっても、何か特別なことがあるわけでもない。みんな平常心で準備運動と振付の確認を進めた。


 五分ほど経った。まだ来ない。

 もう五分ほど経った頃、ようやくドアが開いた。

 瑞香さんに亜嵐さん、木蓮さんもいる。続いて桜蓮が入室し、頭を下げて挨拶した。

「お邪魔します。本日はよろしくお願いします」

「みんなよろしくねー」

 桜蓮に続き、軽い挨拶で睡蓮も入ってきた。

 私は完全に口が開いていたと思う。ポカーンって感じ。他の誰も挨拶を返せてない。

「お前等、挨拶くらいしろ」

 亜嵐さんの声で慌ただしく挨拶した。桜蓮が凌乃と浮草のところへ向かい、睡蓮は私の方にやってきた。

「君が噂のカエルさんかな?」

「暇なの?」

「失礼だね。これでもスケジュール調整してきたんだよ」

 桜蓮と同じく、睡蓮も動きやすい格好をしていた。

「桜蓮の話を聞いてね。たまには違う環境もいいって言われたから、来ちゃった」

「軽いなぁ」

 桜蓮を見る。以前のとげとげしい印象が薄れている。ただ、桜蓮の周りだけピリッとした空気があるのは、彼女の真面目さのせいだろうか。

「はーい、じゃあお二人の準備運動の間、基礎トレやるよー」

 瑞香さんの合図でレッスンが始まった。

 いつものように、基礎のあとでカエルの解剖学のコーナー。最近好評な動きの分解講習だ。

 改めて考えると、カエルというより人体模型だ。采女が余計なあだ名をつけたせいで、すっかりカエルで定着してしまった。

 いつも通り、瑞香さんの指示する動きを実演する。はいここ、とストップがかかり、動きを止めた。しかし、瑞香さんの持つ棒は私の力の入った部位をペチペチ叩き続けている。

「止まってるって! ペチペチしないで!」

「いつもみたいにゲコゲコ言ってよー」

「いつも言ってないでしょうが」

「采女ちゃんうるさい。じゃあ、連理ちゃん。じゃなくてカエルちゃん、後ろ手で片足持ってーはい、ストップ」

 きついポーズだ。「この時の身体の反らし方ねー」なんて言われた。足がプルプルしてくる。

 一旦解説が終わり、それぞれがポーズを真似した。変な力が入っていないか瑞香さんがチェックに回り、私も一緒に確かめる。

 二人にもお分かりいただけたことだろう。カエルが解剖されるように、実験台にされる私の無様な姿を。

 その分私も鍛えられるし、みんながすいすい覚えてくれる。嬉しいのは嬉しいけれど、他の誰かに代わってもらいたい気持ちもある。できれば浮草に。

「じゃあ、休憩のあとで四人は合わせるからねー」

 みんなではーいと声をあげて、一旦休憩に入る。飲み物を取りに棚に向かうと、桜蓮にボトルを手渡された。

「カエル、堪能させてもらいました」

「笑ってるの見えたよ」

 桜蓮は今も笑いを堪えきれずにいる。口元の笑みを、必死に隠そうとしているのがわかった。

「あの子、ゲコゲコって……」

「言ってないからね。普段から本当に」

「わかってますって」

 もう完全に笑っていた。まったく、こんな見せ物にされるのなら、見学なんて断固拒否すればよかった。


 飲み物を飲みながら睡蓮を目で追った。凌乃と話している。結葉と糸遊もその近くで談笑していた。

 こっちには采女がやってくる。面倒な奴が来た。

「やあやあ桜蓮さん。その節はどうも」

「何かありましたっけ」

「固いなー。適当に乗っとけばいいんだよ」

 桜蓮は「はぁ」と不思議そうにしている。

「名前知ってるよね、采女。今日追試で遅れてきた」

「それは関係なくない?」

「そんな教育した覚えないのになぁ」

「連理ちゃんこそ、学生時代の成績どうだったのよ? 将棋ばっかだったんでしょ?」

「国立医学部一発合格、全国模試最高で二桁順位」

「いるんだよねー、こういう頭でっかち女。乳もでっかいし」

「あんたねー!」

 思わずいつものノリでヘッドロックをかました。そうだ、桜蓮が見ているんだ。

 慌てて桜蓮に向き直ると、お腹を押さえながら笑っていた。

「あーおかしい。この子、采女さん? いつもこうなの?」

「こんなの普通だよ。ねー?」

「ねーじゃなくてね。本当、追試のことあとでちゃんと聞くからね」

「桜蓮さん。こんな人Lotusに誘っても荒れるよー」

「今の様子で、少し考えなおそうと思いました」

「どうせ行かないよ」

 ドアの方から「馬鹿共が」と聞こえた。亜嵐さんだ。苦笑している。

 瑞香さんから声がかかる。

「ねー連理ちゃん、さっきみんなが来る前にやってたの見せてよ」

「別に見せ物じゃないよ」

「いいから。木蓮さん、言ってたアレだよ」

 何か相談してたんだろうか。木蓮さんが興味津々でこちらを見ていた。


 私をからかいだした二人から距離を取り、空いたスペースに陣取った。

 さっきの笑いのせいで集中するのに時間がかかりそうだ。采女め、あとで何かしてやる。

 念入りに、ゆっくりと、ゆったりと、丁寧に、正確に型をなぞった。もう、何百回とやったかわからない動きだ。意識しなくても、目を閉じていても身体がスムーズに動いた。

 まだお腹が温い程度、もう少しだ。もう一周、少し早く動いて短縮する。いい感じだ。

 スッと顔を上げる。手は軽く前に、足だけその場に落とすような体勢から、踏み込む。そのまま前へ足を動かした。

「おっとっと」

 さっきより勢いが出た。前に出していた手で壁に触れる。

 歓声が上がった。振り返って瑞香さんを見ると、カメラで撮られていた。

「何で撮ってんの?」

「言ったら集中できないかと思って」

 そりゃそうだ。言われていたら、集中できなかったかもしれない。

 でも、何かが違ったような気がする。手を前に添えてたせいか、身体の浮いた錯覚がなかった。どちらがいいんだろうか。

「連理ちゃん今の何? どうやったの?」

「どうって、強く踏み込んで反発力を使って前に行った感じ」

 興奮気味でやってきた睡蓮に説明する。ああもう、近い。こんなに睡蓮が近くにいるのは久しぶりだ。

「その前の動きは? 太極拳?」

「流派不明の古文書由来の型だよ。通った道場で一時的に本を預かって練習したんだよね」

「ほえー。古文書なんて読めるんだ」

「いや、図示されてたポーズを真似して繋いだだけだよ」

「あれにどんな効果があるの?」

 うーん、言葉で教えるのは難しい。こちらを見ていた凌乃に手招きする。

「えーとじゃあ、凌乃来て」

「あいあい」

「型の真似できるよね。ストップって言ったら止まってね」

「え、むず」

「じゃ、睡蓮は凌乃の真似してみて」

 睡蓮と凌乃は背丈も体型もほぼ一緒。若干凌乃の方が筋肉質ではあるけれど、比較にはぴったりだ。

 休憩時間は大丈夫かなと思い、瑞香さんを見る。続けていいと合図が出た。

 さすがのセンスのよさだった。見様見真似でここまでできるようになった凌乃も凄いけれど、止めながらでも一周できた睡蓮も凄い。

「凌乃はお腹の辺りに熱を感じる?」

「うん。念入りに準備運動して、調子のよさを感じた時と一緒」

「睡蓮は?」

「熱? っていうのかな、お腹の辺りでぽわんって感じがするね」

「じゃあ、凌乃は直立して力抜いて、足を落とすような感じで踏み込んでみて。サンドバッグ打つ時の、腰を回す前みたいに」

「こう?」

 床に確かな振動を感じた。「おぉ?」と、凌乃も手応えを感じているようだ。

 睡蓮にも真似させる。ちょっと弱いけれど、それでも感触はあったようだ。そういう踏み込み方に慣れていないのだろう。武術や格闘技由来の動きのようだし、睡蓮にはまだ難しそうだ。

「ってなわけでこの踏み込んだ時、下に抜ける力を感じたんだけど、それを使って身体を前に傾けたら」

 壁を示す。

「あそこまで歩けた。以上」

 頭を下げて畏まった。


 私が伝え、凌乃と睡蓮が真似していた様子を、糸遊は正座してずっと見ていた。

 うん、うんと、確認するように丁寧に頷いていた。もしかして、剣道でも似たような動きがあったのだろうか。

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