23歳19_Invisible scars
ガラリとドアを開けられたプレハブ小屋は、道場と同じ板張りの床だった。
「さみーなここ」
言いながら瓦先生がライターを取り出した。石油ストーブに火が入る。灯油のにおいのあとで、少しずつ暖かさが広がった。
水の入ったヤカンがストーブの上に置かれ、紙コップとティーバッグが並んだ。
「私やります」
「おう」
瑞香さんがお茶の準備を引き受けた。私は厚着していた上着を脱いで準備運動に取りかかる。
この寒さでいきなり始めても、思い通りに動けるかわからない。怪我防止も含めて最低限身体を温めておきたかった。
冷たい空気をゆっくりと吸い込む。いつもの深呼吸を意識して、ゆっくりと、ゆったりと息を吸って長く吐いた。
「では、やります」
「おう」
数か月間、徹底的にやり込んだ動きだ。ゆっくりと、丁寧に基本的な型をなぞるように行う。
もう一度、今度は同じ動きにメリハリを持たせた。ダンスの緩急を意識して、部分的な動きをより早く行う。
お腹の辺りが温かくなる。うん、いい感じだと思う。
「見事なもんだ」
パンパンという、空気の弾けるような大きな拍手が聞こえた。
「何つーか、舞ってやつか?」
「多少アレンジはあると思います」
「綺麗な動きだと思うぜ。まあ、迫力はわかんなかったけどな」
「迫力ですか」
「何かこう、ちんたらやってもなぁ。一発でこれだってのはないのか?」
一発で示せるもの。このお腹の中心が温まっている状態なら、道場主に教えてもらった踏み込みができると思う。あれが周囲にどう映るのかわからないけれど、ものはついででやってみよう。
「一回しかやったことがないんですが」
もう一度、深く深呼吸する。足だけの踏み込み。道場でやった時は音が響いた。あれでは不完全だと思う。道場主が見せてくれた動きはもっと静かで、力が完全に下に抜けるようなイメージだった。
変に力まず、それでいて全力で、片足に体重を乗せて、落とした。
大きな音はしなかった。失敗したかな? ただ、力が完全に下に通った感覚はあった。板張りの床が振動するような、不思議な心地よさがあった。
スッと顔を上げると、ストーブの上のヤカンが揺れていた。沸騰してるのだろうか。左右にぐらぐらと動き、そして元に戻る。
瓦先生を見ると、驚き顔で笑っていた。間抜け過ぎた? 拍子抜けさせた?
「ビリっときた。いや、ズンって感じか。いやー、とにかく」
相変わらず表現がわからない人だ。抽象的で、擬音が多い。
「腹に響いた。あんなこともできるんだな、きゅーさん」
あの時と同じように、型をやり終えたあとの一回に集中した踏み込み。足は何ともなかった。痛みも違和感もない、効率的な力の伝達だったと思う。
「何つーか、ボウリングの玉とか重いもの、あれを地面に叩きつけたみたいな衝撃だった。いや、すげーよあんた。面白い」
お、おお。成功なのか。
「え、どういう足してんだ? 触っていいか?」
「あ、はい、大丈夫です」
靴下を脱いだ素足だ。足の指と甲から脛までは傷だらけ、足首はそこらの女性より太い。
筋肉をぐりぐりといじられる。痛みはないけれど、くすぐったかった。
「足に痛みとかないのか?」
「いえ、全くもって平常運転です」
「いや、使えるぞこれは……」
瓦先生がぶつぶつ呟きはじめる。
「タイマンさせてるところに第三者が入り、いきなり衝撃でビビらせるか、ステージでどう響くか……」
自分の世界に入ったらしい。どうしようと思い、瑞香さんを見ると呆けた顔をしていた。どうしたんだろう?
あ、ヤカンが鳴りはじめた。
二人は思考に夢中のようなので、ヤカンを手に取り紙コップに注ぎ分けた。
「先生、お茶できましたよ」
「おう」
返事だけで、お茶に手を伸ばそうともしない。何かが頭を駆け巡っているのだろう、とても楽しそうだ。表情は笑っていないけれど、楽しくて仕方がないということは理解できた。
「連理ちゃん、あれどうやったの?」
「どうって、踏み込んだだけかな。真っすぐ真下に、力を通すような感じで」
「今まで見せてくれたことなかったじゃない」
「そりゃドスンドスン歩くわけにもいかないでしょ。教えてもらったのを思いだして、やってみたらできただけだし」
「何かに使えそうなのよね、そう。オリジナルのステップの締めとか、最後に引き締めるのに使えそう。その分前の動きは軽く早くして、そうね……」
こっちも始まった。ブツブツ言い出した二人の前でお茶を啜る。もう上着着ていいよね。靴下も履く。どうしたんだ二人とも。
「きゅーさん」
「はい」
「なるべくスケジュール空けといてくれ。いいこと思いついた」
「ということは?」
「あんた使える。マジですげーぞ」
不気味な笑みを浮かべる瓦先生が恐くなった。変なことをしてしまっただろうか。
ただ、認められたのはわかった。嬉しいけれど、実感は今一つだ。
「ほんで、この姉ちゃんはどうしたんだ?」
「先生もこんな感じでしたよ」
「俺が?」
この人も無自覚だ。クリエイター気質の人が集中すると、周りが見えなくなる。とてもよくわかった。
「あっち戻るか、おーい、姉ちゃん行くぞ」
「はい。あ、はい!」
瑞香さんの返事が妙な感じになる。それすらも気にならない様子で、歩きながら宙を見あげては、ずっと何かを考えていた。
小さなプレハブ小屋から訓練場に戻ると、スポーツチャンバラの世界だった。連れてきた四人が夢中になっている。
「こんなの向いてなーい」
真っ先に音を上げたのは浮草だった。確かに、一番イメージとは程遠い。貸し出されたフェイスガードを外して息を整えている。
フェイスガードを見せてもらった。案外堅い作りになっている。その分息がしづらいようだ。
胸元の防具を外すのに手間取っていたので、後ろに回って手伝ってあげる。
「あー、ありがとー。これ外しにくくて嫌い」
「何で参加してんの?」
「知らないよ。三人が勝負するとか言い出して、気づいたら巻き込まれただけだし」
浮草らしく、髪を気にして手櫛で直している。普段からウェーブのかかった髪だからか、こういう固定されるようなフェイスガードとは相性が悪いらしい。
「こういうのは浮草の目的じゃなさそうだもんね」
「俳優さんの劇中の動きを見てみたかったんだよねぇ。今日はこういう練習日だって話だから、やらないともったいないし」
素晴らしいもったいない精神だ。そうだよね、基本は何でも体験することだよね。好奇心旺盛な浮草には、合わないと思っても参加しない方が嫌だったのだろう。馬は無理とか言いつつ、一応は乗馬にも挑戦していたし。
フェイスガードをつけた男性が、何気なく浮草に話しかけてきた。
「君、もうやらないの? 動きよかったのに」
「あっちの三人と一緒にしないでくださいよ」
三人は基本を教えてもらい、実戦形式で練習に参加するようだ。面白そう。私もやってみたい。
「きゅーさんもやるか?」
「いいんですか?」
「おう、そこの嬢ちゃんの防具、そのまま使いな」
浮草が脱いだチェストガードを受け取った。再び上着を脱いで、上から被るように装着する。フェイスガードは少し曇っていたので、渡された除菌シートで拭きあげた。
「人が汚れてるみたいに」
「衛生面は大事だよ。別に汚いとか思ってないから」
防具を装着して、浮草の持っていた武器を握ってみる。軽い武器で、長さも短い。睡蓮の劇に参加した時の模造刀より少し短めで、妙に手に馴染んだ。
「いいか。基本はな」
「先生が教えてくれるんですか?」
「嫌か?」
「はい、ちょっと……」
瓦先生と立って並ぶと、身長差で首が疲れる。それに顔が恐い。
「こりゃ、さっきの話は考える必要があるなぁ」
「先生教えて下さい!」
「待ってろ」
ニカリと笑った先生は自分の防具を取りに行った。浮草から受け取った武器を軽く振ってみる。エアーソフト剣というらしい。
軽いなぁ。柄の部分はしっかりしているけれど、刀身部分に触ってみると風船みたいだった。周囲を見ると、長い獲物を振ってる人もいる。槍とか棒とか、薙刀みたいなものまで色々あるようだ。
どこかしこから、スパーンと小気味のいい音がする。足音もドタドタと響いていた。素足の人もいれば、スポーツシューズを履いている人もいる。
片手に剣、片手にミットのような盾を握っている人もいた。凌乃が通う道場で見たものそっくりだ。
「へぇ、盾とかあるんだ」
「おう、あるぞ」
思わず呟くと、先生が私と同じ武器を持ってやってきた。いつも以上に大きく見える。
「基本は充分な振りで当てることだ。チョン当てじゃ意味ないからな。打ち込んでみな」
「胴当ては?」
「それみたいに女の子用の胸当てはあるけど、男は基本的にシャツだ。いいぞ気にすんな」
周りの人がやるように、先端だけ瓦先生の胴体に振り当ててみる。あまり音はしなかったが、これは気持ちいい。
「おおぉー! 楽しい!」
色々な角度から打ち込ませてもらった。厚めのインナーを着ている瓦先生に、あの時のいじりの恨みを思いだしながら。
「楽しいですね」
「だろ? これのいいところは、公式ルールで一対複数もあることでな」
端に寄って説明を受ける。「上手いのはあいつとあいつ、見てな」と言われ、参考になる人を教えてもらう。
凌乃が夢中になっているのがわかった。遠くで声をあげている。時折、薄着の部分にでも当たったのか、痛がる声も聞こえた。
桜蓮はどうだろう? 素直に教わっているようだ。フェイスガード越しで表情は見えないけれど、教えられたことに頷いていた。
糸遊がこちらにやってきた。少し疲れた様子で、珍しく俯きがちだ。
「どうだった?」
「難しい。剣先で制せない」
「剣道経験者だったな、嬢ちゃんは」
「糸遊でいいよ」
剣道はあまり見たことがないが、竹刀の先と先で距離を取っている仕草は知っている。
「おう糸遊な。先端が柔らかいから、相手の動き合わせづらいんだろ?」
「うん。上手く誘導できない」
「剣道やってた奴がよく引っかかるパターンだな。そういう時はな」
糸遊はうんうんと頷きながら聞いている。素直で勤勉。そして、コツを掴むと凄まじい実力を発揮する。
「そっか、どこを狙ってもいいんだ」
「そうだ。だから防御より、先に当てることを考えろ。きゅーさん相手してやれ」
「えぇ?」
剣道歴のある糸遊とやるのか。うーん、勝てる気がしない。
空いているスペースで糸遊と向き合う。お互いに軽く一礼し、竹刀を持つような構えの糸遊に対し、こちらは軽く握って剣先を外に向けた。
糸遊の剣先がゆらゆらと揺れる。お互い裸足だ。軽く踏み込んでフェイントをしようとすると、簡単に脛をひっぱたかれた。
「いてて」
皮膚が弾けるような感覚だった。大袈裟に痛がってみたものの、案外すぐに痛みはなくなる。
「これでいいの?」
「そうだ。きゅーさん、情けないぞ」
瓦先生の声にむっとして、糸遊に冗談交じりに文句を言った。
「足に傷でもついたらどうするのよ」
「あはは、連理ちゃんの足もう傷だらけだよ」
ブラックジョークだ。遠慮のない返事で覚悟が決まった。よーし、よくわかった。本気でやってやろうじゃないか。
そのまま数分、糸遊と打ち合った。いやぁ、強い。そして速い。避けるのが上手いので、リーチの差で打ち負けてしまう。糸遊はステップを踏む感じではなく、避ける時にスッスッと動いている。剣道経験者の無駄のない動きだった。
戦える要素はバネくらいか。瞬発力はほぼ互角。狙いを読むことにした。
糸遊の狙いは四肢の先端付近ばかりだ。どこでもいいと言われて、逆に狙いが固まってしまったらしい。胴体付近は狙い辛い様子だったので、距離感を意識して急激に身体を寄せた。四肢狙いが失敗した糸遊に、スパンと顎を下から叩き上げた。
速さ重視で、コンパクトに。痛くないよね?
「うっま」
「何、今のすご」
ギャラリーが沸いていた。いつの間に見られていたんだ? 糸遊を見ると、フェイスガードが少しずれたようだった。
「ごめん、痛くなかった?」
「ううん。見えなくてびっくりした」
そこで制止が入る。最終的には、私の方がいっぱい叩かれた。しかし、最後にやり返せて満足だった。
「最後読んでたの?」
「うん、手足に攻撃が分散してたから、胴体付近しか狙えない距離なら安全と思ってね」
「あーそっかー、意識しすぎたー」
悔しそうな糸遊と防具を外し合う。
汗をかいていた。いやいやこれは面白い。こんなものがあったんだと感動を覚える。
ダンスのキレを決める感じも好きだけれど、それとは別の爽快感があった。何より、将棋以外で読み合いを活かせる機会を得られたことが嬉しかった。糸遊はきっと、剣道でそういう経験をしてきたんだろう。
凄いなぁ。私も剣道スタートだったらと考える。将棋とは別の読み合いと、瞬発力と技術の世界。きっと楽しい時間を過ごせたことだろう。
そんなことを考えていると、休憩時間が宣言されていた。
前回も話した三人が近付いてくる。
あ、どうもと頭を下げた。若い男性は田中さん。今日の頭に、私を先生の愛人呼びした人だ。
「九さんすげーっす。動きがめちゃくちゃ速いですね」
「ダンスとかやってるせいですかね」
「そっちの子も剣道経験者だよね。凄く綺麗な動きだったよ」
「本当? 褒められちゃったー」
訓練に来ていた人は、みんなお昼ご飯を持ってきていた。私たちもコンビニで買っていたので、おにぎりやサンドイッチを取り出して食べた。動いたあとで食べるご飯は美味しい。
一緒にご飯を食べる男女は夫婦だそうで、剣戟の世界から抜け出せなくなったジャンキーだ。四十代で夫婦揃って熱中するなんて、いい歳の取り方をしていて羨ましい限りだ。
瑞香さんは、レッスンで使う撮影用のカメラを持ってきていた。許可をもらって練習風景を撮っていたらしい。私と糸遊のタイマンは間に合わなかったそうで、残念そうにしている。私も見直したかったのでがっかりした。
アイドルの練習現場は、若い子が中心となり、大人がサポートする世界だ。ここは大人全員が責任を持って現場にいる。その違いも面白かった。
午後も当初の見学目的を忘れ、スポーツチャンバラに明け暮れた。どこかで演技の練習があったとしても、直接参加できるこちらに夢中になっていたことだろう。
何人かのチャンバラの先輩と打ち合い、壁に寄りかかって一息ついた。偶然、隣に桜蓮がいた。
糸遊が凌乃の挑戦を受けている。そちらに目を向けながら桜蓮に問いかける。
「面白い?」
「物凄く面白いです。これを知ってて連れてきたんですか?」
「いやいや、私も知らなかったんだよ」
「これで生意気な奴を、スパーンってやってやりたいです」
この子も危ない思想持ちのようだ。まあ、スポーツのルールの範囲の話だろう。きっとそうだと自分に言い聞かせる。
遠くでは、暇になったらしい浮草もスポーツチャンバラを再開していた。瑞香さんに撮らないでーなんて言うから、瑞香さんの撮影魂に火が点いたようだ。
視線を戻すと、二人の動きがよくなっていた。速度と手数重視の凌乃に、糸遊は攻めあぐねている。いい勝負だけれど、凌乃の動きは単調だ。息切れの瞬間、やはり糸遊が一本取った。
へこたれずに続ける凌乃。闘争心の塊だ。
隣の桜蓮を見ると、いい表情をしていた。なるほどね、プライドの塊みたいな子だけど、こういう一面もあるのか。Lotusのライブ映像の時みたいに、最後は笑顔になっていた。
私の視線に気づいたのか、前を向いたまま桜蓮が表情を引き締めて言う。
「Lotusへの勧誘は諦めませんからね」
「しつこいなぁ」
「今日の動きを見たら、尚更来てほしくなりました」
「逆効果だったかぁー」
お、凌乃が一本取った。
休憩している人たちも、私たち見学人の運動能力に乗り気になってくれている。
一人の男性が凌乃を囃し立てた。
「いいぞー、ギャルの姉ちゃんおしいぞー」
「ギャルちゃうわー」
余計なことを言って、更に一本取られた。凌乃は本当に面白い。
「私も、糸遊ちゃんとやってみたいな」
「いいじゃん。やっておいでよ」
「はい」
糸遊は連戦で少し疲れていたが、相手が桜蓮と知ると目つきが変わった。
桜蓮も動きが鋭い。ただ、直接的な勝負経験がないせいか、駆け引きは今一つの様子だ。そう思ったら、予想外の動きを見せてくれることがある。武術的というより、相手を見て動きを組み立てるような、私と似たものがあるように感じた。
桜蓮と入れ替わった凌乃と並んで観戦する。
「面白い?」
桜蓮にするのと同じ質問。
「ちょー面白い! まじ本当、もっと早く知りたかったー!」
「サンドバッグを相手にするのと違うよね」
「うん。たまにだけど、相手が何を考えてるのかわかるのがいいよね。それ返した時が最高!」
「先に手を出しまくってたのに?」
「ジャブだよジャブ。けん制して誘い込むの」
時計をチラリと見ると、もうそろそろ帰ってもいい時間だった。でも、その前に凌乃とも手合わせしたかった。
「じゃあ、最後に私とやろうか」
「お、やりますかー」
空いたスペースをお邪魔して、凌乃と向き合い頭を下げた。凌乃もつられて頭を下げる。
お互い、最も短い小太刀型のエアーソフト剣一本だ。身長差がそのままリーチの差になる。私の方が待つ展開になった。
凌乃は突きが多い。円形に回りながら動きを誘導する。うんうん、いいね。ただ、体力を使っているせいで動きが雑になっている。
逃げるように下がりながら、武器を横に払った。武器だけを狙った一撃だ。次の瞬間、凌乃の武器が転がった。
「次」
「はい」
道場のスパーリングのようになる。グローブをつけて、何度かやらされたことを思いだした。
怪我をさせそうであんまり好きじゃなかったけれど、これはその心配がいらない。
今度は凌乃の方が攻撃を散らしてきた。思わず手を出してしまい、最短距離のカウンターを食らった。あっさり取れて、凌乃の方が拍子抜けしている。
「まだ終わってないよ」
ペチリとフェイスガードを叩いて、次の合図をした。
糸遊と桜蓮の試合が終わったらしい。周囲も片付けに入りつつ、こちらを見ている。
もうそろそろ終わりみたいだし、最後に実験してみることにした。
少し距離を置いて、一呼吸の余裕をもらう。凌乃が警戒する。大丈夫、痛くしないよ。
思いきり踏み込んだ。前に行かないフェイントに見せかけ、タメを作った。地に力が通る感覚があった。成功だ。
その反発を活かして、前へ一気に進んだ。自分でも驚くくらい身体が速く動き、勢いのままに凌乃の太ももを打った。訓練場に大きく響く音が鳴った。
「いったあああ」
笑いながら凌乃が転げまわる。力が入り過ぎたか、それとも速すぎたか。つい調子に乗ってしまった。
「ごめんごめん、最後に試したくなっちゃった」
「もー。これ絶対腫れるやつだよ」
「ちゃんと冷やそうね」
凌乃が服をまくり上げると、太ももに赤い痕ができていた。
「そこも終わってねー」
指導していた人から声がかかる。凌乃と返事をした。
糸遊も見ていたらしい。驚いた顔になっている。桜蓮も口を開けて、私と凌乃を見比べていた。
「どうかした?」
「最後凄かった。連理ちゃんすっごい速かったね」
「うん? まあ、動けた感はあったね」
「その前に何かしてませんでした? フェイントみたいな?」
二人の矢継ぎ早な質問に、どう答えたらいいかわからなくなる。
「そんなとこかな? できるかなーって思って、やったみたらできた感じ」
笑ってごまかした。
「凌乃ちゃんも凄かったよ。一瞬でやり返した時、連理ちゃん見えてなかったもん」
「まじ? あんまり覚えてないなぁ」
「うん。私も何があったのかわかんなかった。凌乃も凄いよ」
「うわぁー。負けたのにうれしー」
褒めると素直に喜ぶ凌乃。本当に愉快な子だ。
「桜蓮さんはどうだった? 楽しかったでしょ?」
凌乃は、まるで自分が連れてきたかのように言う。
「うん、凄く楽しかった。最後は、糸遊ちゃんにボコボコにされちゃったけど」
「修行不足だね。構えが硬かったもん」
「おーい、そこーもう閉めるぞー」
瓦先生の声に慌てた。ここの四人以外、既に外に出ているようだ。
防具を大急ぎで拭き上げ、糸遊が武器を持って行く。分担して大急ぎで片付けた。
「お待たせしてごめんなさい」
「土産がなかったら閉じ込めるところだった。みんな喜んでたぞ」
知っている。一緒に美味しくいただいていた。
駐車場で参加者たちが挨拶を交わしている。大きな声でそちらにお礼を伝えた。
「お世話になりましたー」
「また来てねー」
「次は俺とも打ち合おうなー」
誰の声かわからないが、「はーい」と返す。いやぁ、楽しかった。さっぱりした人たちだった。
「すっきりしただろ?」
「はい、それはもう」
「そっちの嬢ちゃんも」
「私ですか?」
瓦先生に顔を向けられた桜蓮が、驚いて答える。
「楽しかったですよ。負けまくりでしたけど」
「睡蓮の妹さんだってな。また来な」
「はい!」
瓦先生も、最初の桜蓮の強張った顔を見て気にしていたのだろう。
それが今はすっきりした表情になっている。そんな変化を見て、嬉しく思うのは当然だ。
「そういえば、愛人とか何とか言う人いましたね」
「田中か。今度シメとく。俺は嫁さん一筋だ」
「結婚されてたんですか?」
「なんだ、狙ってたのか。残念だったなぁ。きゅーさんがあと十年、早く生まれてれば考えてやらんことも……」
「いえ、それはないので大丈夫です」
「なんでぇ、冗談に付き合えよ」
わははと笑う瓦先生に合わせ、お上品に笑ってみせた。
「てなわけで、今度はこっちから仕事の依頼で連絡するからよ。それより先に来たくなったら、また連絡くれや」
「はい!」
凌乃と糸遊、一緒に瑞香さんと私で深く頭を下げてお礼を言った。浮草も習って頭を下げる。
妙な一体感に巻き込まれて、桜蓮も深々と頭を下げた。半強制のような挨拶だった。
「そんなに畏まるなよ、やりづれぇな」
照れ隠しなのだろう。悪態をつく先生に見送られ、みんなで笑いながら車に乗った。




